今日 私が死を目前にして、平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。
つまり農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを貯蔵する。秋・冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ちあふれるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるということを聞いたことがない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。
なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐっていとなまれるようなものではないのだ。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおもずからの四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐み、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい。
(吉田松陰 『留魂録』)
『留魂録』は、死罪判決を覚悟した吉田松陰が門下生に宛てて書いた遺書である。
彼は安政6年(1859)10月25日獄中でその執筆にとりかかり、26日夕刻に書き終えた。
そして翌27日、評定所にて斬首を言い渡され、即日処刑された。
他言無用とされたこの遺書は無事門下生らの手にわたり、彼らはひそかに回覧し、書き写し、幕府に対する敵意を燃え上がらせたのである。
この『留魂録』の長さはわずか五千字にすぎないが、その重みといったら。。。
特に上で引用した部分は時代を超える名文だと思う。
また実物写真を見て感心するのは、ほとんど書き損じがみられないこと。
いくら覚悟ができているとはいえ処刑直前の精神状態で一気にこれだけのものを書き上げてしまう文章力と精神力に、身が引き締まる思いがする。
私が同じ立場だったら絶対に動揺して書き損じだらけになると思う。。
上記現代語訳は古川薫氏の『吉田松陰 留魂録』より。
この本もとてもおすすめです。
松陰の書いた原文は私のホームページに載せてあります。