今日も昨日も 異国の丘に
重い雪空 陽が薄い
倒れちゃならない 祖国の土に
辿りつくまで その日まで
年明けから1年間は帰国する予定がないため、今日は祖父母の家へ遊びに行ってきました。おじいちゃんは末期癌で、短くて明日長くて1年といわれているので、会っておこうとおもいました。
子供のときから本当に可愛がってもらったおじいちゃんです。
最近はすこし痴呆症気味なので一年間海外へ行くことは伝えませんでした。
帰るときに「またくるからね」と言うと「今度はもっとゆっくり来なさい」と笑っていました。
これで最後なのかなと一瞬思うと泣きそうになりましたが、まさか泣いたりしたら変に思うでしょうし(癌のことは知らせていません)、いつものように帰ってきました。
私も元気で帰ってくるから、一年後までどうか元気で頑張ってね。おじいちゃん。。。
今日はこの冬初というくらい寒くて、「雪が降りそうだねー」と話していたら、おじいちゃんがぼそっと、けれど珍しく大きな声ではっきりと「重い雪空 陽が薄い・・・」と呟きました。
私も周りの家族も何のことかわからず「え?なにそれ?」と聞きましたが、「いい加減に言っただけだ」と笑っていました。
でもどうにもそのときの言い方が(それに詩っぽい言い回しが)気になったので、先ほど帰宅した後にgoogleで検索をかけてみたら、一発でヒットしました。
ああそうか。『異国の丘』の歌詞だったのか。
私も劇団四季のミュージカルは見たことがあったけれど、3番の歌詞までは覚えていませんでした。
『異国の丘』はシベリア抑留兵士の間で作られ、歌われていた歌です。
祖父も元シベリア抑留者です。
あれから60年たち、私にとっては太平洋戦争もシベリア抑留も教科書の中の出来事でしかないけれど、祖父のなかでは記憶の中に刻み込まれている実体験なんだなと今更ながらに感じました。
その太平洋戦争のときに敵国であったイギリスに私は来年こうして留学する。そんな時代に私は生まれることができた。
「戦争なんてあんな馬鹿なことは絶対にしてはいけない。戦争して良いことなんか何もない。日本は負けてよかった。軍国主義じゃなくなったんだから」
そう言い続けてきた祖父とも、もう二度と会えないかもしれない。。。
決して無駄な一年にするものか、と今夜あらためて感じました。