風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

歌舞伎座新開場こけら落 九月花形歌舞伎 夜の部(9月5日) ②

2013-09-08 23:53:20 | 歌舞伎

というわけで、『陰陽師』の感想をざっと。
観てよかった!というのは前回書いたとおりでございますが、今回はツッコミどころを中心に、笑。
ネタバレ注意。
3階A席上手からの鑑賞です。


幕が開いてまず驚いたのが、歌舞伎座の舞台ってこんなに奥行があったんですねぇ~。舞台セットの置き方が完全に現代風で、まるでレミゼの舞台を見ているようでした。歌舞伎座で廻り舞台の円が全部見えているのって新鮮。
そんな舞台を役者が縦横無尽に動くのも、これまた現代的。普段は、左右と花道の移動が殆どですものね。
そして空間に映し出される「二十年前」の文字。
「ここ、たしか歌舞伎座だったよね・・・?」と自問してしまいましたですよ。
全体的には悪くない演出だと思いましたが、録音BGM、音響効果、カラフルなスポットライトの3つは微妙でございました。

染五郎の晴明。
美しいの一言に尽きます。外見は完全に晴明ですよ。睫毛長い!白い衣装も似合っていました。
でも、口を開いた途端に幸四郎さんでしたが・・・^^;
もうすこし人間臭さを出さない演技にしてくれると、なお嬉し。染五郎は演じるにあたって「晴明は存在感のない存在。宇宙の真ん中にいるような孤独感を漂わせて」と語っていますが、そういう感じをもう少し強く出すとより晴明らしくなると思います。
屋敷の場面の白狐、可愛いっ お酒を持ってこさせるところ、染五郎があまりに楽しそうで(笑)、何度でも見たいです。
この晴明の屋敷で晴明と博雅が二人でお酒を呑む場面は、私が原作シリーズで一番好きな場面ですが、これほど美しく再現してもらえるとは思いませんでした。伸び放題の萩、薄、桔梗、と金木犀? 晴明の庭には秋草が一番似合うと常々思っていたので、嬉しい。歌舞伎にしては珍しく季節感が合っているのもポイント高し。
そこで寛ぐ晴明と博雅とともに、小説から飛び出てきたような景色でした。大満足。
この後、二人が自然に道を歩いている場面に変わる廻り舞台の使い方も、素晴らしかったです。

勘九郎の博雅。
おお、博雅だ!朴訥で、一人だけこっち側の世界の人間な感じが博雅そのもの!しかもカッコイイじゃないのさ!
だけど博雅の笛って一体どれだけスゴイの、笑

松緑の藤太。
松緑の荒事、いいですねぇ!この松緑と新悟君の大蛇のムカデ退治の場面が、私には一番歌舞伎に見えました(ムカデはバルタン星人だったけど・・・)。花道の六方、カッコよかった!
将門との友情場面もなかなか素敵でしたが、このお二人、リアル世界ではどうなのでしょうね。超ポジティブ思考の海老蔵と超ネガティブ思考の松緑って、合うのかなぁ・・・。そんなことを考えながら観てしまいました^^;

七之助の桔梗の前。
芯が強くて、でも儚い雰囲気がぴったりでした。
死んでゆく場面の海老反り、美しかった。。。

海老蔵の将門。
悪役だけど実は興世王から利用されている、そんな人の良さと弱さが出ていて、とてもよかったです。特に一番最後の演技は、素晴らしかった。脚本さえ良ければ泣けていたと思う。赤と黒の衣装も似合っていました。海老蔵って『一命』でも思いましたが、普段はあんななのに、意外に父親役が似合うんですよね。不思議。
ただ、将門が復活して「また、この哀しみの世に戻ってきてしまった…」と言う部分は、もう少したっぷりと演じた方がいいと思うのです。でないと最後の「もう十分でござろう…」辺りが唐突に感じられてしまう。。

愛之助の興世王。
時々表情があまりに仁左さまにそっくりで、背丈には目を瞑るからこのまま仁左さま路線を突き進んで!と心から願ってしまった。。。ほんとに似てる。。。
ただですね・・・今回の役に関して言えば、、、軽い、、、。
ラスボスの大きさがもうひとつ感じられず、愛之助だけは昼の部の方が良かったです(昼の部の妻平は絶品だった)。まあ興世王という人物を描き切れていない脚本の問題もあると思いますが。

菊之助の滝夜叉姫。
素晴らしい。貫禄とピュアな可愛らしさの両方を備えていて。
つくづく、花形の中で菊之助の存在は貴重ですねぇ。
出番は多くないけれど、タイトルロールにふさわしい存在感でした。

亀三郎の保憲。
外見、雰囲気、声、すべてこの役にぴったりでした。とてもよかった。

亀蔵さんの道満。
事前に「亀蔵さんの出の度に笑いが起きる」という評判を聞いていたのでハラハラいたしましたが(ワクワクではありませぬ)、この夜は笑いが起きたのは一番最後の出だけでした。このすっぽんの登場は最高、笑。でもそれまでは、少なくともこの晩は、笑いをとらない演技をちゃんとされていましたよ。
実際に観てわかりましたが、最後以外は決して笑う場面ではないのですよね。にもかかわらず、どうして他の日に笑いが起きてしまったのか、不思議です。亀蔵さんというだけで条件反射でしょうか?
亀蔵さんも市蔵さんも、笑いも取れるけど、そうじゃない演技もとてもお上手な良い役者さんですから、亀蔵=笑うキャラのようになってしまったら本当にもったいないと思うのです。昼の部の秋月大学もきっちり演技されていて、よかった。というわけで亀蔵さん、今後もこの夜みたいな方向性でよろしくお願いいたしまするm(_ _)m

以上、配役に関してはほぼ完璧!でございました。

問題は・・・・・・それ以外です。
正直なところ、次回上演するときは、脚本を思い切ってごそっと改良していただきたい(根本的な部分は変えなくてOKです)。
何より、時代が前後しすぎです。これは原作の欠点でもありますが。「二十年前」はともかく、「その四年後」「その一年前」となってしまうと、原作を読んでいる私でさえ混乱しました。元々のストーリーもすごくシンプルというわけではないので、原作を読んでいない人はついていけなかったのではなかろうか。

また、歌舞伎風とそうでない部分の使い分けが不自然に感じました。
歌舞伎の抑揚をつけて話す人もいれば、そうでない人もいたり・・・。普通の言葉でしゃべっているのに、突然見得を切ったり・・・。別に無理に見得を入れなくてもいいのでは・・・。

そしてラスト――。
「博雅さま、笛を!」、「人は何のために生きている?」、「友達だ」のくだりは、現代風というよりも、ふた昔くらい前の青春映画を観ているようで、キツかった・・・。挙げ句、「明けない夜はない」(でしたっけ?)で盛り上がるBGM・・・・・。
古典より遥かに古臭く感じました・・・(古典はいつでも最先端です)。
それに「花になぜ咲くと問いますか?」は原作でも唐突に感じましたが、舞台で観るとさらに唐突感が・・・・・・・。

ここまで小うるさく書いたので、ついでに言ってしまいます。
小道具の趣味も宜しくないです。染のネックレスの先に付いた赤いガラス玉とか、道満のレモンライムなネックレスとか腰にぶらさがった髑髏とか、安っぽすぎる。。。バルタン星人なムカデは言わずもがな。

一方、原作にはない歌舞伎独自の演出でいいなと思ったのは、少女の滝夜叉が妖怪と毬で遊ぶところ。福太郎くんが可愛いし、妖怪も可愛いし、視覚的にも美しいし。そして最後に晴明が「滝夜叉姫の側にいてくれた彼らのためにも笛を」のところは、とてもいいと思いました。ちょっと感動した。

これらの点を少しでも改善していただき、ぜひとも!ぜひとも!シリーズ化してほしいです!!
そしてそのときはぜひ同じキャストでお願いします、松竹さん!
本気で若いお客を増やしたいのなら、絶対に再演すべきです。
今回だって結局、若いお客さんは増えていないじゃないですか。私が行った夜の年齢層はいつもと全く変わっていませんでしたよ。
それは若い人達がこの作品に興味を持っていないからではなく、既にチケットがソールドアウトになっていたので入り込む隙がなかったからです。
ですから、ぜひ再演して、今度こそ若い人達を歌舞伎座の中へ取り込むべきです。でないと歌舞伎の未来はありませんよ!!


以上、すべて歌舞伎への愛ゆえの叫びでございます。
何卒ご容赦くださいませ。