「日常から離れた、遠いところから聞こえてくる音とか声とかが好きってことなのかもしれない。はっきり論理的に聴こえてくるものと違う、何かわけがわからないものが聞こえてくる方が好きだから、それが“遠い声”だったりするのかもしれないね」
(谷川俊太郎)
こちらの記事より。
"今は何もかも聞こえ過ぎるような気がするから"
"生きることを物語に要約してしまうことに逆らって"
小説ではなく詩を読みたくなる時って(あるいは何も読みたくなくなる時って)まさにそういう時だけれど、この詩人が詩を書きたくなるのも(そして書きたくなくなるのも)そういう時なのかな。
書きたい。いや書きたくない。ただ感じていたい。ただ感じているこの感じを書きたい。
言葉にした瞬間に全てが嘘になってしまうことを誰よりも自覚しつつ、そのパラドックスと戦いながら。
しかし機械オタクな谷川さん、やっぱり素敵な爺さまだわ^^
夜のラジオ
半田鏝を手にぼくは一九四九年製のフィルコのラジオをいじっている
真空管は暖まっているくせにそいつは頑固に黙りこくっているが
ぼくはまだみずみずしいその体臭にうっとりする
どうして耳は自分の能力以上に聞こうとするのだろう
でも今は何もかも聞こえ過ぎるような気がするから
ぼくには壊れたラジオの沈黙が懐かしい声のようだ
ラジオをいじることと詩を書くことのどっちが大事なのか分からない
まだ詩と縁のなかった少年のころに戻って
もういちど埃っぽい砂利道を歩いてみたいと思うが
ぼくは忘れている
まるで時間などないかのように女も友だちも
ただもっと何かを聞きたいもっと何かが聞こえるはずだと
ぼくは息をつめ耳をすませてきただけだ
入道雲が湧き上がる夏ごとの空に
家族が集うしどけない居間のざわめきに
生きることを物語に要約してしまうことに逆らって
(谷川俊太郎 詩集『世間知ラズ』より)