気づけばなぜか皆勤してしまっていた、ハンブルク・バレエ団の『真夏の夜の夢』。自分でもビックリです
ワタクシこの原作がすごーーーく好きでして・・・。今回は、演出もキャストも好みにドンピシャ!だったものだから・・・。
もっとも11日は舞台の上の情報を目で追うだけで精一杯で、オケ(東京シティフィル)にもクラクラ眩暈がしたりして、あまり落ち着いて観ることはできませんでした。そんなオケも尻上がりで良く(というかましに…)になり。13日の公演は本当に感動してしまいました。最初から泣きそうになってしまった。ハプニングが一番多かったのも13日でしたけど(手回しオルガンの太鼓?がうまく鳴らなかったり、一幕最後の薔薇がオベロンに届かなかったりetc)、そういうのは感動には無関係なのだなぁ。
好きな場面を挙げればキリがないけど、やっぱり何より、舞台のあちこちで登場人物が芝居をして一体どこに目をやればいいのやら(@@)なTheノイマイヤーさんな演出にピッタリのカオス感が、最終幕で静かな優しいメロディのなか、それぞれのあるべき場所へと収束していくところ。エピローグのパック(フィロストレート)がまたいいのよね。「お楽しみいただけましたか?」っていうイタズラっ子の声が聞こえてくるよう(トルーシュGJ)。そして薔薇を高く放って姿を消して、最後に全てを締めくくるのは、もちろん妖精界の王オベロンと女王タイターニアの仲直り。このひたすらな幸福感・・・
そんな人間界と妖精界の恋愛劇に絡んでくるのが、職人たちの世界。いつでもどこでもマイペースに、ポコポコ呑気な音楽を鳴らしてご登場。そうそう、彼らはこうでないと。大真面目にお馬鹿に描かないとネ。とはいえ11日に観たときは彼らの場面が少々間延びして感じられ、12日はキャストがイマヒトツだったせいかやっぱり少しタイクツに感じられたのですが、13日はもう一番好きなのは彼らの場面かも!!というくらいツボでございました。ロイド・リギンズ(ボトム)、やっぱりこの人上手い 表現力はもちろん動きも本当に綺麗で、眠るタイターニアに躓くときのスローモーションなんて、双眼鏡でガン見しても完璧すぎて見入ってしまった。その後のタイターニアとのオタノシミも、笑えるのに下品にならないバランスが素敵(でもちゃんとエロいところも素敵笑)。劇中劇でのシスビー(コンスタンティン・ツェリコフ)との掛け合いも、二人とも最高でした
ヘレナが男二人に口説かれて、「二人とも私のもの♪」とハーミアの前で得意げなのも可愛かったな~。ヘレナは、12日に踊ったカロリーナ・アグエロも全く問題なかったのですけど、11日&13日のアッツォーニが絶品でした。魅せ方もすごく上手いし、なによりリアブコとのパートナーシップが鉄壁。まるで二人で一つの体のようだった。「色々あっても最後はこの相手以外いないよね」というのが感覚で伝わってくるカップルだから、途中のドタバタ劇も安心して楽しめるし、最後に収まるべきところに収まる結末がとても自然に感じられました。こんなにこのストーリーに説得力をもたせられるデミトリアス&ヘレナってなかなかいないのではないかしら。
この二人の場面はどれも絶品だったけど、二幕の最初に目覚めたとき、デミトリアスがまだ夢の中にいるような表情でハーミアに手を伸ばしかけるところ、良かったなぁ。後ろからヘレナも彼に手を伸ばすんだけど、やっぱり駄目なんだな…と諦めて背を向ける。でもデミトリアスは、「いやちがう。自分の相手はこのヘレナだ」としっかり納得した表情でヘレナの肩に手を置くんですよね。これ、原作にないヒッポリタの目覚めの場面を敢えて挿入したのと同じ意図なのではないかな、と。ガラでノイマイヤーの「愛」の洗礼をこれでもかと受けた後にこういう場面を見ちゃうと、泣かないではいられないっすよ、もう・・・。結婚式では、ヘレナは登場するときは眼鏡をかけてるけど、その後にデミトリアスがヴェールをそっとめくって、眼鏡を外してあげるのね。もうこの二人に眼鏡は必要ないんだなって、再びジーン・・・
それにしても、リアブコ&アッツォーニの芸域の広さよ・・・!
彼らは、踊りを観る楽しみもいっぱいにくれるんですよね。一幕途中の、男女四人の関係がめちゃくちゃになって、踊りまくって、それをパックとオベロンが眺めていて、風が吹いて木がざわついて嵐になるところとかすごく好きなんですけど、ここの二人の踊りも美しかった。リアルなものをリアルじゃない形で踊りで表現するのがバレエのストレートプレイやミュージカルと違うところだと思うので、やっぱり踊りからの満足感は私にとって重要なんです。全てではないですけど。
11日&13日のエレーヌ・ブシェ&ウラジーミル・ヤロシェンコ(ポーランド国立バレエ団)も、素晴らしかった。
ブシェのヒッポリタは一幕の最初から好きだなぁと思いました。体格や顔立ちは大柄なのに、仕草や表情がとてもキュート。タイターニアも理想的なタイターニアでした。ゲストのヤロシェンコ(この人もノーブルで素晴らしいダンサー!)ともすごくお似合いだった。13日のヒッポリタの目覚めの場面などは、二人の空気が11日に比べてあまりに濃密で恋愛オーラがふわぁ~~~と5階席まで届いてきたので、「この二人本当に恋しちゃったんじゃないかしら・・・。大丈夫かしら・・・」と妙な心配をしてドキドキしてしまった。同じことをツイッターで書かれていた方がいたので、そう感じた人多かったのではないかなぁ。この二人のオベロン&タイターニアはリゲティの音楽とともにまさに超自然の存在で、『真夏の夜の夢』の妖精そのもの
そして、アレクサンドル・トルーシュのパック。リアブコとともに3日連続おつかれさまでした~。
ガラでは彼の良さがわかるようなわからないような?だったのですが、このパック、とってもよかったです。この役って結構難しいのではないかなぁと思うの。パックとフィロストレートって全く別のキャラクターだけど同じ一人の表裏ともいえて、更に最後のエピローグではそのどちらにも見えなくてはいけなくて、物語を終わらせる存在感も必要だけど、軽さも必要で。
人間界の小物にいちいち反応する姿も、可愛かったなぁ
オベロンとの掛け合いは、ユングのときは絶対的な上下関係のもとでイタズラっ子パックがじゃれついてる感じだったけど(主人にじゃれつく仔犬的な)、ヤロシェンコとは歳が近く見えるせいか妖しいじゃれつきに見えて、ドキドキしてしまった。オベロン、パックに食べられちゃいそうって(はい、そのままの意味です)。オベロンのパックの頭ナデナデも、ユングよりヤロシェンコの方が長くやってませんでした?気のせい?
そういえば2日目だったか、パックの足首につけた薔薇が木に掠れて落ちちゃって、トルーシュはどう回収するのかな~と思っていたら、もう一度その場所を通るときに「僕の大事な薔薇っ」って飛びついて、その後も「王様には渡さないっ」て演技をしながらちゃんとオベロンが取り上げやすいような流れに持っていってて、それが全く不自然じゃなくて「おお!」と思いました
このブシェ、ヤロシェンコ、トルーシュの三人、福田恆存さんが書かれている原作の彼等の役割をこれ以上ないくらい立派に果たしていたと思います↓。
演出の真の成否はこの劇の作因にもなり、行き違いの調整者として劇を「ハッピー・エンド」に導くオーベロン、タイターニア、パック、その他の妖精達にかかっている。その超自然の力と雰囲気とが出せなければ、何にもならない。彼等の存在は超自然でありながら、超自然であることによって自然を表出するというシェイクスピア的機能を背負わされているからだ。
(新潮文庫「夏の夜の夢・あらし」解題より)
というわけでキャストは11日&13日の方が好みではあったのですが、12日に感情表現がはっきりしているアリーナ・コジョカル&カーステン・ユングの二人を観られたからこそ物語をより理解でき、13日にあんなに感動することができたのだと思います。コジョカルはタイターニアも良かったですが(あんなに無理なく女王様な官能的な演技ができる人だったとは!)、やっぱりヒッポリタが素晴らしかったな。序幕では彼女の悩みがストレートに伝わってきましたし、あんなに小柄なのにしっかり主役オーラなのはさすがだった(テクニックもさすが)。ユングもコジョカルとお似合いのカップルで、好演でした。ただ彼は踊りの技術はイマヒトツなのかな・・?でもガラのときは気にならなかったので、クラシック系が苦手なだけかも。
ライサンダー(庭師の設定なんですね)は、11&13日がエドウィン・レヴァツォフ、12日がクリストファー・エヴァンス。ハーミアは全日程フロレンシア・チネラートでした(お疲れさま!)。こちらのカップルはあまり注目して観ていなかったので感想らしい感想はないのですけれど(ごめんなさい・・・)、安心して舞台の他の部分に集中できたので、いいキャストだったのだと思います。
しかしノイマイヤーは、ほんっっっとーーーーーに舞台の端っこから端っこまで使いますねぇ・・・。貧乏人に優しくない演出家だわ・・・。重要な場面をサラリと端っこでやるのだものなぁ(^_^;) 特に序幕のヒッポリタとシーシアスの心情は、舞台左右を同時に見られないとわかりずらい・・・。他の女性と戯れてはいるけれど、本当はヒッポリタを愛している不器用なシーシアスの性格も。
照明効果も素晴らしかった。特に二幕冒頭の次第に夜が明けはじめるところ。一夜のバカ騒ぎが終わって、皆があるべきところに収まって。同時に、夢が終わろうとしてるんだな、この舞台も終わりに近づいてるんだな、と切なくもなり・・・。
一幕最後でヒッポリタのソファが森に現れて、パックが眠る彼女に花の露を降りかけますよね(そしてその花をオベロンに投げる)。結局このノイマイヤー版でも、妖精界はやっぱり超自然の位置にあるのだな、と。人間臭くて馬鹿なケンカもしてるけど、彼等は人間の常識や意識を超えた絶対的な存在で(眠っているときに見る夢も基本そうですよね)。そこではヒッポリタの意識は解き放たれ、だからこそ彼女は夢から目覚めたときに眠る前とは違う自分になることができた。シーシアスを愛し、彼の愛を受け入れる勇気をもつことができた。ノイマイヤーの妖精界とはそういう場所なのかな、と。でもそれは完全にヒッポリタが作り出した想像上の世界(いわゆる夢オチの夢)というのとは少し違うのだと思います。恋人4人もボトムも同じようにその世界を体験していますし、こちらの世界に戻ってきた後も恋人達の服はボロボロでしたから。それは「常にそこにあるけど目には見えない、私達のもう一つの人格の世界」あるいは「同時に存在しているパラレルワールドのような世界」(ノイマイヤーはサイバーワールドと表現していました)で、このたった一夜だけ二つの世界が重なったのではないかな、と。
そんなことを思いました。
13日のカーテンコール。ノイマイヤーさんもダンサー達もいつもの「See you again」電飾とキラキラ紙片を目を丸くして見上げてて(知らなかったのかな?)、すっごく嬉しそうな表情だった。彼らも楽しんでくれたのなら嬉しいな。
大きな大きな感動を本当にありがとうございました。次は7年後といわず、もっと早く来てくださいね(^_^)
そして今年はシェイクスピアの没後400年。シェイクスピアはまだまだ読んだことのない&観たことのない作品がいっぱいなので、機会を作って色々観たいです。6月のロイヤルバレエ団のロミジュリも楽しみ♪
舞台セットの木(NBSツイッターより)。美しいですよねぇ
装置・衣裳は、『椿姫』と同じ、ユルゲン・ローゼ(Jürgen Rose)さん。
※ハンブルク・バレエ団特集⑦ 現地特別取材[5] ジョン・ノイマイヤー インタビュー
※ハンブルク・バレエ団特集① 現地特別取材[1] エレーヌ・ブシェ インタビュー
※ハンブルク・バレエ団特集⑪ 現地特別取材[8] アレクサンドル・トルーシュ インタビュー
※プログラムで評論家の三浦雅士氏が「パックが素知らぬ顔で侍従長よろしく宮廷に侍っている不気味さ」ということを書かれているけれど、これ、そういう設定かなぁ・・?私には違う風に感じられたのだけれども。もし侍従長が完全にパック本人なら、パックが人間界のメガネや手回しオルガンにあんなに興味を示すのはどう説明するのだろう・・?
ちなみに今回パックを踊ったトルーシュは、上記インタビューでこんな風に言ってます。
「パックとフィロストレートの二人はまったく異なるキャラクターではありますが、同時に別の側面を持った一人の人間でもあるので、バランスに気をつけながら微妙なところを演じ分けています。幕開きに登場するフィロストレートは婚礼の準備を仕切っていて、シーシアスのお屋敷も本当は自分が牛耳っているんだと思いこんでいるところがあり、性格も頑固で厳しい。一方パックは、ふざけるのが好きで、間違いもたくさん犯してしまう。僕自身のキャラクターはたぶん、その両方の要素が混ざっているかなと思います。この作品はとても複雑な構造をしていて、ちょっとした仕掛けやジョークがあちこちに散りばめられているので、好きなシーンを挙げるのは難しいのですが、だからこそ全幕バレエの醍醐味を味わえるのではないかと思います」