ぼくは、せっかくヨットがあるんだから、ヨットをあやつれるようにならなくちゃいけないんだ、と、ヘムレンさんは思いました。
でも、ヨットを習っているひまなんて、ちっともないんだ・・・・・・。
ふいに、ヘムレンさんには、なんだか自分は、朝から晩まで、あれこれ、もののおき場所をかえたり、人に、それは、どこにおくほうがいいなんていってばかりいるように思えてきました。
すると、ふと、自分がなんにもしなくなったらどうなるんだろう、という気がしました。
「たぶん、いまとちっともかわりやしないさ。ほかのやつが、また、だれか、せわをやきはじめるだけさ」
そう、ひとりとごとをいって、ヘムレンさんは、歯ブラシをコップの中にもどしました。
と、いま、自分のつぶやいたことに、自分で気がついて、ぎょっとしました。すこし、こわくなってきました。
*****
「きみに、うちあけることがあるんだよ。海に出たのは、こんどが生まれてはじめてなんだ」
(中略)
「ヨットって、おっかないんだ」
と、ヘムレンさんはいいました。
「死にたいくらい、気持ちがわるくなって、ずっとびくびくしどおしだったんだ。わかるかい」
ホムサ・トフトは、ヘムレンさんの顔を見ていいました。
「そりゃ、とってもおっかなかっただろうね」
「そうともさ」
と、ヘムレンさんは、そういってくれたのを、ありがたそうにあいづちをうちました。
「だけど、ぼくは、スナフキンには、そのことを、ちっとも気づかせなかったんだぜ。あいつは、ぼくが、大風をものともしないで、りっぱだと思っていたにちがいないんだ。ぼくは、正しくかじをとったからね。だけど、ぼくは、いまになってわかったよ。ぼくはもう、ヨットにのらなくていいんだ。おかしいだろう。もう、二度とのる必要がなくなったってことがわかったんだ」
ヘムレンさんは鼻をもちあげて、心の底からたのしそうに、大声をだしてわらいました。
彼は、ふきんで鼻をかむと、こういいました。
「さあ、また、からだがあったまってきた。くつしたと長ぐつがかわいたら、ぼくはさっそくうちへ帰るよ。うちには、おいしいソースがたっぷりあるんだ。かたづけなくてはならないことも山ほどあるし」
「そうじをするのかい」
と、トフトはききました。
「もち、するもんか」
と、ヘムレンさんは、大声をあげました。
「ぼくが、かたづけをするってのは、ほかの人のものなんだ。どうやってとっておけばいいのかわからなくて、そして、自分ひとりで、うまくかたづけられない人が、けっこうおおいんだよ」
(トーヴェ・ヤンソン 『ムーミン谷の十一月』)
そうして彼らは、ふたたび日常に帰っていく。
なにも変わらない、でもこれまでとはちょっぴり違う日常に。
そのためにヘムレンさんには、今ヨットに乗ることが、どうしても必要なことだった。
スナフキンにはそれがわかっていたんですね。