風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 @NHKホール(11月13日)

2017-11-14 21:30:22 | クラシック音楽




275年の歴史を誇るライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、全世界の音楽シーンに比類のない影響を与えてきたといえるでしょう。このたび彼らは、楽団の豊かな歴史の中でも特に重要な役割を演じた5つの傑作――かつてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が世界初演を任された5つの曲――を、皆さまのために演奏いたします。いずれも、楽団の個性の本質を成す作品です。とりわけ私は、日本の聴衆の方々の前でブラームスの《ドイツ・レクイエム》を初披露できることに心躍らせております。
(ヘルベルト・ブロムシュテット。公演プログラムより)

【ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45】

みなとみらいホール、サントリーホールに続き、ブロムシュテット×ゲヴァントハウス管弦楽団の来日ツアー最終夜のNHKホールに行ってきました。
開演前の西村朗氏によるプレトークがとてもわかりやすくて、クラシックど素人の私には非常に有難かったです。シューマンを亡くし、母親も亡くしたブラームスは、この曲を作曲することで自らも救われたのではないか、と。
死者への鎮魂ではなく、愛する者を亡くしこの世界に遺された者達への、そしてやがては自らも死にゆく運命にある、生者のためのレクイエム。

このホールは、メータ×イスラエル・フィル×ベジャール・バレエ団の第九を聴いて&観て以来です(来月公開の「ダンシング・べートーヴェン」楽しみ!)。
心配していたホールの音響は、今回は全くといっていいくらい気になりませんでした。これがモーツァルトとかだったら別だったと思いますが、ブラームスだとこの派手さの皆無なデッドな音響も合っているようにさえ感じられた。

正直なところオケの集中力はみなとみらい>サントリーホール2日目>NHKホールと尻下がりになっているように感じられましたし(ツアー最終日でだいぶ疲れてるのだと思う)、今夜は崩壊しそうな演奏をなんとか持ち直しているような危うい箇所もあったと思うし、前半などは手探りな感じもありました。
しかしそんな演奏の色んな粗を全部超える大きな大きな幸福感をもらえた演奏会でした。

今回3日間聴いて、このオケの弦の音って独特な揺らぎ(うねりじゃなくて揺らぎ)があるんですね。一方で揺らぎもうねりも全くないオケもあるし、弦楽器の知識は皆無なのでよくわかりませんが、楽器とか奏法とかオケによって色々違いがあったりするのかな。ブロムさんのインタビューによると、コントラバスの弦もアメリカのオケより一本多いそうです(確かに低弦がズンズン響いていますもんね^^)。

演奏は先ほども書きましたが、特に前半はちょっと手探り状態のような、危うい箇所も多くあったように聴こえました。合唱団がフォローしていたようにも感じられた。でも案外初演もこんな感じだったのではないかしら、とか感じられちゃったりもするのだから、初演楽団というのは得ですね笑。
それに本当につくづく、このオケの音はブラームスに合っているのだもの。器用じゃなくて、実直で誠実で優しくて。

ところで第2曲の「und ist geduldig darüber, bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen. そして耐え忍んでいます、その上に、朝の雨と夕べの雨を迎えるまで。」の部分の雨の音を模した演奏が私はものすごーーーく好きなのですが、この曲の実演を聴くのは初めてだし3階席からじゃ聴こえなかったらどうしようと思っていたら、ものすごくはっきり演奏していて、思わず笑ってしまいました(声は出してないよー)。ブラームスの曲って時々こういう妙に可憐で可愛らしいところがありますよね。あの仏頂面でこの可愛らしさ。ああ、好き!

個人的にうわぁ・・・と感じたのは、第4曲からでした(音がノってきたなと感じたのは第3曲から)。始まった瞬間にオケからふわぁっと広がるように天国が見えた。録音で聴いたときは他の6曲に比べてさほど面白みを感じられなかったこの曲だけど、もう泣きそうになるほど美しかった。。。。。
この後、第5、6、7曲と、ずっと幸せな気持ちが続きました。

最終楽章の終盤に現れたとてつもない音色と合唱の美しさはもう・・・・・・泣。全てがあるべきところに自然にあり、最後には静かに還るべきところへと還っていった、そんなレクイエムでした。

今夜合唱を担当したウィーン楽友協会合唱団は、この曲の最初の3曲の初演を行った合唱団とのこと(合唱団まで初演を同行するこだわりぶりは流石アニバーサリーツアー!)。人の声の力ってすごいな、と心から感じました。ブラームスがこの世界の「生きとし生ける者」へ向けて作ったこのレクイエムに、この合唱のこの声は必須だと感じた。その声からは、あのみなとみらいのシューベルトと同じく、人間の崇高さと愛おしさと美しさをはっきりと感じることができました。

NHKホールの客層ですが、正直私、舐めていました。過去の二大最悪客層(ちなみにどちらも都民劇場公演)と同じなのではないか、と。ごめんなさい、謝ります。想像していたより遥かに素晴らしかった。そりゃあ演奏中に時計のアラームが小さく鳴ったりとか何もなかったわけではないけれど、あの大きさのホール(収容人数3600人)で、あの曲目で、あれだけの静けさと集中力を維持した今夜の聴衆に心からブラボーです。
今夜は、最後の曲が終わった後(といっても少したってからですが)、指揮者が手を下ろす前に約1、2名の方がフラ拍手。ブロムシュテットは手を下ろさず。残りの客席が全く追従しなかったので再び長い沈黙が戻り、それからゆっくりと手を下ろされました。ミューザのヤンソンスさんのときと同じですね。ブロムシュテットさんの音楽に対する厳しい姿勢を垣間見ることができたと同時に、日本の聴衆(といっても約1名ですが)へ教えて下さっていたのではないかな、と思った。「この音楽はこういう風に余韻も味わうものなんですよ」と。
今夜あの場所にいた聴衆の気持ちはちゃんとブロムさんに通じていると思います。全く追従しなかった99.9%の人に私は感動すら覚えましたもの。ブロムさん、本当に日本の聴衆に愛されているんだなあって

その後は、数え切れないほどのカテコ+ソロカテコ。
上手側へ退場途中の楽友協会の皆さんも、そんなブロムさんに笑顔で温かく拍手を送っておられました。

終演後の会場はみんな笑顔で「よかったねえ」って口々に言い合っていて。
私の隣の高齢の男性は「ありがとうございました」って私に笑顔で挨拶して帰っていかれました。今日の演奏の精度は「完璧」とはいえないものだったかもしれないし(でもそれなら「完璧」ってなんなのだ?とも思う)、もしかしたらラジオやテレビでは伝わらないかもしれないけれど、そういう本当に温かく幸福な空気に会場が満たされていた演奏会だったんです。そしてそれに値する演奏を今夜の指揮者、オケ、ソリスト、合唱団はしてくれたと私は思います。

外に出たら演奏中に降った雨が上がっていて、ホール前の木々の青色のイルミネーションが濡れた落ち葉に反射してまるで夢の世界のようで。ホールから出てくる人達はみんな幸せそうで。本当に満たされた夜だった。
ブロムシュテットさん、ゲヴァントハウス管弦楽団の皆さん、ソプラノのハンナ・モリソンさん、バリトンのミヒャエル・ナジさん、ウィーン楽友協会合唱団の皆さん、本当にありがとうございました!

ゲヴァントハウス管弦楽団は次回は2019年に、新カペルマイスターのネルソンスと来日予定です。
ブロムシュテットさんは来年4月にN響を指揮予定。



このいかにもgoogle翻訳で頑張りました感が嬉しいデス


※以前もご紹介しましたが、アンサイクロペディアの「ブラームス」の記事がマジで秀逸なんです。ぜひご覧ください、冗談のわかる方は

※11/21追記

本日の読売新聞ニュースより。NHKホール前で見た青のイルミネーションは、これ↑です。
「青の洞窟 SHIBUYA」というプロジェクトらしいです。
21日が点灯式だったそうだけど、どうして13日夜に点いていたのかな。開演前には点いていなかったのに、終わって外に出たら点いていたんです。試し点灯だったのかしら?
ブロムさん達もあの日にこのイルミネーションをご覧になっていたら嬉しいな(^-^)

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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 @サントリーホール(11月12日)

2017-11-14 20:21:26 | クラシック音楽




みなとみらいに続いて、行ってきました。
本日はブロムシュテットさんのお得意とするブルックナーの日なので、ほぼ満席のサントリーホール。

【メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
カヴァコスはのびのびと演奏していましたねえ。感情が音そのものになっている、素晴らしく美しい音色
そしてやっぱり、ソリストとオケの音が同じ属性だなぁと改めて感じました。
ただ、単なる個人的好みの問題なのですが、1~2楽章は非常~~~に美しかったのだけど、3楽章はもう少し華やかで軽やかな演奏の方が私は好きかも、でした。オケもソリストも、ちょっと演奏が重厚すぎて、、、。と聴いているときは思ったのだけど、先入観を取っ払って思い返すと、ああいう演奏もアリかも、と。考えてみればメンデルスゾーンってドイツの人で、この楽団の指揮者もやっていて、初演もこの楽団なわけで。意外と初演ってこういう演奏だったりしたのでは、と。いずれにしても、濃厚な熱い演奏でした。

演奏を終えた瞬間、両手を合わせてガッツポーズ(orありがとうのポーズ。いつもされますよね^^)のブロムさんと抱き合ったカヴァコスは、嬉しそうにはにかむ笑顔が少年のよう。それから彼も、オケに感謝の仕草。謙虚な感じの人だなあ。本当に外見から想像していたのと全然違う^^;。ヤンソンス&シャハムの姿にも癒されたものだったけど、ブロムシュテット&カヴァコスにも癒されました。


【バッハ:パルティータ第3番より「ガヴォット」(ヴァイオリン・アンコール)】
おお、先日聴いたばかりのシャハムのそれと全く違う個性の演奏!ピアノと同じで、ヴァイオリンも同じ曲を弾いてもこんなに変わるものなんですね~~~~。開放的で明るいシャハムのそれに対して、こちらはやはり内省的なガヴォットでした。


【ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(ノーヴァク版)】

「ブルックナーは、他の作曲家の誰よりも、時間と空間の永続性を音楽に表現することに成功した作曲家です。…(現実世界の負の面を音楽に曝け出したマーラーに対して)ブルックナーの世界は違います。自由な世界です。天国のようです。ブルックナーは私の人生です。この種の音楽は崇高さをもっています。…ブルックナーの世界は平和と美の世界です。しかしそれは脱力すると言う意味の平和ではありません。夢に満ちています。常にドラマの解決があります」
(ヘルベルト・ブロムシュテット @2012年バンベルク響来日公演プログラムより

先日のみなとみらいと同じく、オケがブロムシュテットのためにいい演奏をしたいと思っていることが強く伝わってきた演奏でした。ブロムさんがご高齢のせいもあるかもしれないけど、それだけじゃなく、ブロムさんのオケに対する敬意も素晴らしいのよね。演奏後に各パートを立たせる時、多くの指揮者は「よくできました」と褒め称える風なことが多いように思うのだけど(それが悪いということではなく)、ブロムシュテットはオケに心から感謝している表情と仕草をするのですよね。いい演奏をしてくれて本当にありがとう、と言うように。「奏者達は天使のように扱わなければいけませんとは、公演プログラムの中のブロムシュテットの言葉。

そしてこの人はブルックナーの音楽を本当に愛しているのだな、ということも強く伝わってきました。
正直に書くと、呼吸を忘れるくらい演奏に聴き入ってしまったのはみなとみらいのグレートの方でした。でもこのはっきりと「ドイツの音」のブルックナーには、ブルックナーの時代の演奏を聴いているような、そんな錯覚を覚えました。そして今日の演奏には、この演奏に何かを言うのはヤボ、と感じさせる何かが確かにありました。そういう意味でも、滅多に聴けないであろうブルックナーの演奏だったと思います。

そうそう。本日の聴衆はえらかったですねえ(^_^)。ブロムシュテットが手を完全に下ろしきるまでどれくらいだったろう、20秒くらい?完全な静寂が保たれました。ブロムさんはオケからはもちろん聴衆からも本当に愛されているのだな、と心から感じました。温かな、いい演奏会だった。ブロムさん、お利口だった客席に拍手してくれた

そういえば客席に小泉さん(元首相)がいらっしゃいましたね。この数ヶ月で、安倍首相やロシアの大臣や皇太子ご夫妻や、色んな人に遭遇するなあ。



kajimotoさんtwitterより。カテコの前のこの写真を撮ってるとき、私の席から見えていました笑。



ゲヴァントハウス管のtwitterより。ソロカテコでもP席まで挨拶してくれるブロムシュテットさん。この方がみんなに愛されている理由が本当によくわかります。



可愛いすぎるオジサンたち笑。

翌日はNHKホールに行ってきました。ブロムシュテット×ゲヴァントハウス管弦楽団来日ツアーの最終日。ドイツ・レクイエムです。

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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 @みなとみらいホール(11月9日)

2017-11-14 03:04:02 | クラシック音楽




「繰り返しではなく、毎回が新しい始まりでありたいと願っています。音楽家は、やはり探究者なのです。新しいものに到達することを目指して、だが、永遠に果てしがない。指揮者はオーケストラと手を取り合って、その道を進んでゆくのです」

(インタビューより)

ゲヴァントハウスの来日公演のうち、みなとみらいホール、サントリーホール、NHKホールの3つに行ってきました。

首都圏初日のみなとみらいホールは、翌々日にサントリーホールで同じプログラムが演奏されるためか、あるいは今月の来日オケラッシュのためか、これまで行ったことのあるどの演奏会よりも空席だらけでございました。P席(オケの視点)から見ると、もう本当にガラガラ。とにかくガラガラ。1階席でちゃんと埋まっていたのは前方真ん中ブロックだけで、前方左右ブロックと後方全ブロックは一人も座っていない空席。全体でも多く見積もって4割くらいだったのではないでしょうか。開演直前になってもそんななので、近くの席の高齢の男性が「なんだこれは、こんなにガラガラで演奏を始めるのか・・・」と呟いておられました。
でも、これではオケのやる気が削がれるのでは、という心配は私は殆どしていませんでした。本当に真摯な音楽家ならどんなに聴衆が少なくても最高の演奏をしようとしてくれるであろうことはこれまでの演奏会で知っていますし、きっとブロムシュテットさんはそういう指揮者に違いないと感じていたからです。


【ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ニ長調op.77
今回のツアーはゲヴァントハウス管弦楽団の創立275周年のアニバーサリーツアーで、演奏される作品は、全てこの楽団が初演した作品とのこと。このヴァイオリン協奏曲も、1879年にブラームス自身の指揮でゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されています。

今回私が同じプログラムなのにサントリーホールではなくみなとみらいホールを選んだ理由は、このホールの素朴で親密な音響のためでした。以前ツィメルマンのシューベルトとチェコフィルのスメタナをこのホールで聴いて、どちらもそういう音を聴かせてくれたからです。このオケのブラームスとシューベルトは、絶対にこの音響で聴きたかった。演奏が始まってすぐに、この選択は正解だったと確信しました。

今夜のソリストは、ギリシャ出身のレオニダス・カヴァコス。先日のチャイコフスキーVn協奏曲の予習の際に、シャハムとともに、全く違うタイプだけど同じくらい好きだった演奏がカヴァコスのそれでした。その演奏はちょっとクセのある外見に反して、清廉に感じられました。内向的な情感をたたえる暗めの音色がゲヴァントハウス管の音色と同質で、ブラームスにすごくよく似合う。

このオケのブラームスはフレイレとのピアノ協奏曲の録音(指揮はシャイーさん)を聴いたことがあって、そのときは欠点のない綺麗なだけの演奏に感じられたので、今回はどうなんだろ?と実はちょっと心配していたのですが。
今夜はオケがよく歌ってる…!それも「ドイツの音」で歌ってる…!そしてオケの音もソリストの音もこのホールの音響に想像以上に合ってる…!
これだけで早々にかなり満足してしまいました。

とはいっても、2楽章の半ばくらいではまだ温まりきっていない様子だったオケ。それを豊かな音色でリードしていたのは、紛れもなくカヴァコスだったと思います。そしてそれに導かれるように次第にオケとソリストが溶け合ってゆき、最後には聴いていて涙が出そうになりました。ああ、ブラームスの音楽だ、と感じた。いつまでも聴いていたい、私にとっては天国にいるような幸福な時間でした。

そしてブロムシュテットさん。入場時はすごく小さな体に見えて、演奏が始まってもしばらくは「…この方はいま指揮をしているのだろうか…」という風に見えていたのが、演奏が進むにつれてどんどん大きく見えてきて、ああこのオケをいま指揮しているのは紛れもなくこの人なんだ、と感じました。カデンツァのときに体ごと向きを変えて微動だにせずじぃーーーーっと真顔でカヴァコスの指先を凝視している様子は、今までに見たことのない光景で面白かったです笑(普通はオケの方を向いて視線を伏せて演奏を聴いている指揮者が多い気がするので)。

演奏後の拍手は、このガラガラの会場でよくぞこれだけの拍手をしてくれました。客席エライ!


【バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 2 -3 「サラバンド」(ソリスト・アンコール)】
しっとりと落ち着いた音色が、サラバンドの旋律にとてもよく合っていました。美しかった。
客席は無音。今日の客席、マナーがすごくいい。客自体が少ないせいもあるでしょうけど
演奏後はだいぶ長い時間、楽器を下げませんでしたね。
先日のシャハムと今回のカヴァコスには、ヴァイオリンの音の魅力をいっぱい教えてもらえました。


【シューベルト:交響曲第8 ハ長調 D.944 「ザ・グレート」】

ものすごく感動しました。

こういう演奏にやっと、やっと出会えた。。。。。。

ハイティンク×LSOのミューザでのあのブルックナーからずっと、こういう演奏にもう一度出会いたくて、今日までクラシック演奏会に足を運んできたんです。素晴らしい演奏には沢山出会えてきたけれど、どうしても出会うことのできなかった一つの感覚があって。諦めかけていたんです。あの感覚に出会えなくても他の魅力をもった素晴らしい演奏は沢山あるし、と。でも心のどこかで、どうしてももう一度出会いたいと思ってしまっていた。
それがどういうものかを言葉で説明するのは難しいのだけれど、言うなら、全体としての「一つの交響曲」の世界。四つの楽章の集まりではなく、一楽章から最終楽章へと続く一つの完結した世界。そしてそこに当たり前に自然に存在している、作曲家の心。この世の苦しみも悲しみも後悔も、全てを包み込む、音楽の温かさと軽みと美しさ。そんな音楽を作ることのできる、人間の崇高さ。愛らしさ。
演奏が進むにつれ次第に漂い始める、ゆっくりゆっくりと「どこかへ向かっている」気配。

全てがここにある、と感じた。
ずっとずっと聴いていたかった。でもその気配は、決して焦ることなく、でも着実に歩みを進めていて。
長い息で幾度も繰り返される旋律は、永遠に続くようでどれ一つとして同じではなく、ゆっくりゆっくりと、やがて還るべき場所へと向かっていた。
「天国的な長さ」とはきっと、この世界とは異なる時間の流れなのだと感じた。
そこではおそらく、シューベルトの一生も、ブロムシュッテットの一生も、どんな人間の一生も、その長さは同じなのだ。
シューベルトの人生は短かった?
違う。
どんなに短い一生でも、どんな人の一生にも、きっとそこに「全てはある」のだ、と。

最後の方にはブロムシュテットの体に光が見えました。本当ですよ。あの日のハイティンクに見えたのと同じ光(ちなみにあの時のミューザもガラガラでした)。どんどん思うとおりの、あるいはそれ以上の音を出していくオケの音に包まれた指揮者の、なんて幸福そうな表情。P席から見ると、ブロムシュテットが「音楽そのもの」に見えた。
この日の客席は最前の二列が中学生か高校生の学生さん達で(とても行儀がよかったです)、これからの生きる時間の方がずっと長いこの子たちと、今こういう演奏をしてくれている90歳の、まるで少年のような表情で指揮台に立っているブロムシュテットと。そんな光景を見ながら、この演奏を聴いていました。

今日のオケの集中力は、ちょっと言葉にならないものでした。
幾度同じフレーズが繰り返されても、その度により一層心動かされる、いつまでもいつまでも聴いていたい「音楽」がそこにありました。上手下手を超越していた。
これは今しか聴けない演奏だ、と聴きながら強く感じていました。例え二日後に同じ曲をサントリーでやるとしても、これと同じ演奏はきっと聴けない、となぜか強くそう感じたんです(どちらが良い悪いではなく)。「今」しっかりと聴いておかなければいけない、と。

こんなに大きくて温かな世界を見せてくれたブロムシュテットさんとオケには感謝しかありません。
そして今日この会場でこの演奏に感動した人とは、今後どんなことがあっても、全てを許し合えると感じた(実際知り合いはいませんでしたが)。声高な主張はなくとも、こういうものこそが本当の「音楽のもつ力」なのではないだろうか。

あれからこの夜のグレートの響きがずっと耳の奥で鳴り続けています。本当に、一生ものの宝物をいただきました。ありがとう、ブロムシュテットさん。

サントリーホール、NHKホールの感想はまた後ほど。

※今日の演奏はブロムシュテットがSKDと録音している演奏より全体的に早めで若々しかったです。でも勢いで押すことは一切なく、私は今日の演奏の方が好きでした。

※ブロムさんて元々はヴァイオリニストだったんですね(こちらの記事より)。カヴァコスの指先凝視はそういう理由もあったのかな。この記事によると、ブロムさんがタイムスリップして会ってみたい作曲家はバッハとシューベルトだそうです

※予定されていたカヴァコスのサイン会は「熱演による疲労のため」中止。本当に素晴らしい熱演だったものなあ。。。お疲れさまでした。


~ブロムシュテットの言葉(kajimoto公式ページより)~

「ゲヴァントハウス管は、まずなによりも、典型的なドイツのオーケストラです。どういうことかと言うと、音色がかなり暗めで、ずっしりとした豊かな響きをもっている。低音が土台であるためコントラバスは5本の弦をもっています。4本であるのが普通で、たとえばアメリカでは、5弦をもつコントラバスはほとんど見かけません。4本のものばかり。しかしドイツのオーケストラは、低音を基盤に響きをつくるため、さらに低いC音の絃を備えた楽器を用いるわけです。
 ゲヴァントハウス管の第二の特徴は、古典的なレパートリーに腰を据えて取り組んでいるということです。演奏会は録音されて放送されることになっていますが、ゲヴァントハウス管は、(公共放送の文化役政策上の役割を考慮して)新しい作品を優先的に紹介しなければならないという義務を負っていません。ゲヴァントハウス管のレパートリーの中心にはドイツ音楽があります。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー…。もちろん近・現代の音楽も演奏しますし、さまざまな国の音楽を取り上げてきました。ゲヴァントハウス管のフランス音楽の演奏はとても素晴らしいし、イタリア音楽も見事です。さらにロシアのもの、北欧やイギリスのものも一流です。でも中心は、やはりドイツ音楽にあります。

 したがって11月の日本公演で演奏するのも、すべてドイツ音楽です。それどころか、すべてライプツィヒで、ゲヴァントハウス管によって初演された作品です。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》も、そのヴァイオリン協奏曲も、シューベルトの大ハ長調の交響曲も、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やブルックナーの第7交響曲も、すべてがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の演奏によって産声をあげた作品ばかりです。もちろん時代は変わりましたが、このオーケストラの演奏様式は世代から世代へと引き継がれて、それほど大きく変わってはいません。新しい世代の楽員たちは、つねに演奏をとおして経験から伝統を身に着けてゆきます。この伝統は、とくに楽節のつくり方に顕著です。私たちは「バーン」と荒々しく音を出すことはなく、「ティー」とつねに美しく音をつくります。つねに美しく柔らかで、非常に力強い音を出すときにも、「ビャン!」と突発的な乱暴な音ではなく、「ブワァーン」と温かく柔らかです」


「私が80歳を過ぎてからウィーン・フィルと初共演をすることになったとき、友人の或る音楽批評家が、きみは大丈夫さ、楽員たちはみな君のことを尊敬しているから自動的にうまく進むよと言ってくれましたが、無論これは冗談で、演奏が自動的に進んでしまうのは、けっして望ましいことではありません。音楽の演奏に必要なのは表現の密度の高さなのです。しかも、それは物理的な音の密度ではなく、精神的なそれなのです。そこに音楽の芸術としての偉大さもあります。大きな動きを伴った物理的活動は音楽とは無縁のもので、そのエネルギーは芸術家の個性に由来するものなのです。指揮者が及ぼす物理的な作用が少なければ少ないほど、精神的な密度がより高ければ高いほど、よい結果が生まれることはよく知られています。オーケストラというのはタクシーではないのですから、あっちへ行け、こっちへ行けと次々に指示されてもうまく走れるわけではありません(笑)。よい結果は高度な集中から生まれるものなのです」


「たとえば演奏旅行ですと、同じ作品を繰り返して何度も演奏しますが、そのひとつひとつが違ったものでありたい。もっとよいものでありたい。いつも、そう念じています。繰り返しではなく、毎回が新しい始まりでありたいと願っています。音楽家は、やはり探究者なのです。新しいものに到達することを目指して、だが、永遠に果てしがない。指揮者はオーケストラと手を取り合って、その道を進んでゆくのです」

聞き手・文: 岩下眞好(ドイツ文学・音楽評論家)

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