年齢を重ね、舞台を重ねてたどり着いた『俊寛』
夜の部は俊寛僧都を演じます。「長らく上演されていなかったものを、初代があそこまでつくり上げた、練り上げた芝居。心理描写はとても現代的で、心の動きを大事にする型がついております」。あくまでも近松の書いた竹本を大事にすることが重要で、「三味線とのイキが合わないとできない型になっております。竹本さんに乗ってやる芝居で、踊りでなくても踊りのように体を動かしてやらなければならないところが、たいへん多うございます」。今回は前後で替わらず、太夫の第一人者の葵太夫が通して語ります。吉右衛門は「大変だと思いますが、とてもありがたい」と喜びました。
初代は「魂で芝居をする人」と言い、「吉右衛門の魂がこもっている芝居。大切に、大切にやっていきたい」と、『俊寛』への思いが言葉を超えて伝わってきます。実父(初世白鸚)の教えを守りながら再演を重ね、自分の解釈で演じるところも生まれました。「俊寛が乗るは弘誓(ぐぜい=仏や菩薩が衆生救済を願い立てる誓い)の船、浮世の船には望みなし」と、妻を殺されて絶望した俊寛は、自分の替わりに島の娘を赦免船に乗せ、若い人に夢を託して島から船を見送りますが、「20年くらい前、客席の上のほうに弘誓の船じゃないかというものがふっと浮かんだんです」。
「それがこの芝居にとても合った感情、俊寛の状態だと思いました。弘誓の船が来ることは、そのまま死んでいく意味にもつながります。幕が降りて俊寛は息絶え、解脱して昇天していくのではないかと思い、それからは、幕が閉まる寸前に(船を)見上げるようにしています。親父から教わった、最後は石のようになれとは違うんですが、私の解釈でやっています」
20回、30回と続けていきたい秀山祭
「実父の年齢も初代の年齢も超え、こんなに長くやっていられるとは自分でも思っておりませんでしたが、初代の魂、向かいたかった階段は、一歩一歩昇れているのではないかと自負しております」。今こうしていられるのは「諸先輩のご指導のおかげ」と感謝しつつ、「自分が吉右衛門を継ぐのはどうかと悩んだこともあるけれど、どうにかこうにか名前を継いで、還暦を過ぎて思いついたのが秀山祭。今では生きがいなんてものじゃなく、生きている理由です」とにっこり。
(歌舞伎美人より)
あまりにも遅くなりましたが、、、9月の歌舞伎座の感想を。
自分用覚書はやっぱり必要なので、短くても書いておく。
9月は『俊寛』のみ前楽の日に幕見してまいりました。昼の『金閣寺』(福助さん、お帰りなさいませ!!!)も『河内山』もとてもとてもとても観たかったけれど…、9月は体調を崩していて&クラシック音楽会尽くしで全く無理だった……。
吉右衛門さんの俊寛は杮落しの2013年6月に観て以来、5年ぶりです。
前回も今回も一日しか観ていないので他の日にどういう演技をされていたかはわからないのですが、今回の吉右衛門さん、私の記憶の中のそれと全く違っていて、驚きました。
5年前の登場場面の俊寛はとってもよぼよぼに見え、よぼよぼ演技が上手いわ~と思い、でも35歳には見えないかもだわ、とも思ったのだけれど。今回はなんだか若々しくて、史実と同じ35歳くらいに見えた。素の吉右衛門さんはあの頃に比べてだいぶ歳をとられた印象なのに役の方は若くなっているとは。
前半の俊寛はまだまだ生きていけそうに若々しくて、都への思いはとても強いけれど島でも皆で和やかに暮らしていて。一層、後半の悲劇(と言っていいかはわかりませんが)が引き立つように感じられました。
そういう俊寛なので、妻が都で殺され、自分には都に帰る意味はもうないのだ、とわかるところは・・・・・
しかし今回の舞台で最も強く私の心に残ったのは、終盤の場面です。
千鳥の代わりに自分が島に残る道を選んだ俊寛。彼の中に自分の選択に対する後悔は微塵もないことは明らかです。若い人達を乗せて出港する船の纜を彼が掴むのは、未練や後悔ではなく、それが現世(俗世)との最後の繋がりだから。上手く言えないけれど、別れ難い名残惜しさのようなものだと思います。
そして遠ざかっていく船に「おーい」と手を振る時、そこに壮絶な何ものか(孤独という言葉さえ甘く感じられる何ものか)が感じられて・・・。ここからラストまでの吉右衛門さんは、本当に命を削っているというか。そうあの知盛のときと同じで、このラストの後に生きている俊寛、そして生きている吉右衛門さんの姿というものが全く想像できないのです。俊寛の人生も吉右衛門さんの人生も、ここで終わっている、と強く感じる。この後に島でしばらくの間は生きていくであろう俊寛は想像できない。仮に生きていたとしても、それはもう魂はこちらの世界にない抜け殻のような俊寛に違いなく、きっと遠くなく餓死か別の方法で死ぬとしか思えない。そして同様に、この後に楽屋で誰かと話をしたり食事をしている吉右衛門さんのお姿が全く想像できない。この後に生きていることの方がよっぽど不思議に感じられる。
ここまでの壮絶さは、杮落しの俊寛のときには感じなかったものです。
吉右衛門さんが最後に客席に見えるという”弘誓の船”がどのような船であるのか、今回初めてわかった気がしました。5年前の私はわかっているようで何もわかっていなかったのだ、と。その船が見えるということが、どれほどのことであるか。
これは先日のサントリーホールの光子さんのシューベルトから感じたことと、非常によく似ています。会場で配られたプログラムノート(青澤隆明氏)に書かれた言葉にあるように、「ぎりぎり迫った孤絶の深淵とはかように凄惨な光景なのではないかと思うと、茫然とする」。そして光子さんも吉右衛門さんも、それが全く意図的でなく、自然で。だからこそ一層、強烈に胸に刺さったのでした。
今回の吉右衛門さんの『俊寛』、観ることができて本当によかったですし、私がこの先の人生で死や孤独に直面するときに、この俊寛を観ていたことは、きっとほんの少し私を救ってくれるのではないかと、そんな風に感じています。
こういう舞台に対しては感謝の言葉も軽く思えてしまいますが、吉右衛門さん、本当にありがとうございました。
※河内山・俊寛演じる中村吉右衛門、「秀山祭」は“生きる理由”(ステージナタリー)
※吉右衛門が語る『河内山』『俊寛』(歌舞伎美人)
※『秀山祭九月大歌舞伎』中村吉右衛門が語った『俊寛』の最後にみる景色(SPICE)
©ステージナタリー
©ステージナタリー