風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

初春花形新派公演『日本橋』 @三越劇場(1月19日)

2019-02-17 02:50:26 | その他観劇、コンサートetc




だいぶ時間がたってしまいましたが、1月の舞台の感想を。※2列目中央
シネマ歌舞伎で玉三郎さん主演の舞台を観て以来、ぜひ生で観たいと思っていた『日本橋』。ようやく観られて嬉しかった。しかも日本橋で日本橋
生で観たいと思った理由の一つは、舞台のセットや設定の諸々がとても素敵だったから。それらはもちろん鏡花の原作(小説/戯曲)によるところが大きいのだけれど、地蔵尊の縁日とか、天秤棒をかついだ植木売りとか、桃の節句のあくる晩に栄螺と蛤を川に放す放生会とか、桜の枝を袖にのせた京人形とか、夜の生理学教室に祭られた雛人形とか。ああ大正…ああ鏡花…な世界にうっとりです。

「鏡花は、あの当時の作家全般から比べると絵空事を書いているようでいて、なにか人間の真相を知っていた人だ、という気がしてしようがない」

これは三島由紀夫の言葉ですが、鏡花の描く世界に「人間の真相」を感じる三島もまた、鏡花と同じくらいに純粋な部分をもった人だったのだろうなと思う。私達の生きる世界は決して美しいばかりではないけれど、少なくとも、こういう作品(三島は「天使的世界」という言葉を使っていますが)を生み出した鏡花という人がいたこと、その作品世界に惹かれる玉三郎さんのような人達がいること、そのこと自体に私は決して美しいばかりではないこの世界の美しさを垣間見せてもらえる気がするのです。

舞台は、高橋恵子さんの清葉が素晴らしかった
品、透明感、奥ゆかしさ、清らかに香る色気、芯の強さ。その姿も仕草も空気も清葉そのものに感じられて、彼女の存在だけで『日本橋』という物語が立ち上ってくるよう。

勝野洋さんの巡査も、生理学教室に雛を祭る葛木の行動を「自分の知らない別世界を見せてもらった」とお孝に語るところは、本当に感銘を受けているのだなあということが伝わってきて、ちょっとじぃんとしてしまった。いい場面だなあ、と。

春猿さん改め雪之丞さんのお孝は、決して悪くはなかったのだけれど、玉三郎さんと比べると意地を通す女の可愛らしさのようなものがあまり感じられず。。纏う空気が健全すぎるのかな。。鏡花の台詞や仕草を美しく感じさせるゆったりとした間のようなものがあまりなく、現代的に感じられてしまったのも残念でした。雪之丞さん、好きな女形さんなんですけどね。

緑郎さんの葛木も決して悪くはなかったのだけれど、どころか結構よかったのだけれど。お孝に対する優しさや愛おしさが感じられて。雪の橋をお孝と二人相合傘で歩いてくる場面なんて、二人の雰囲気が本当に素敵で、切なくて、泣きそうになった。のだけれど。『婦系図』のときと同じく鏡花の登場人物にしては演技が少々逞しすぎる(熱すぎる)ような気がするのよね・・・。今回の席は最前列だったのでめちゃくちゃ目の前で熱演を見せてくださって、何度も目が合う錯覚もさせてくださって、カテコも爽やかだったので、悪く書きたくはないのだけれど。。

最前列といえば、火事のシーンの前に下手の舞台裏で待機している役者さん達(火事で騒ぐ役の人達)がずっと普通の声で話をしているのが客席に聞こえてしまっていて、今の時代は役者もマナーをキチンとしないとダメでしょうよ、と思ってしまった。この緩さも新派の魅力というわけでもないでしょうに。

ところで、葛木がお孝に対して「葛木晋三の妻となろう者がなぜ熊の如き男を弄んだ」と吐き出す場面(小説になく戯曲にだけある場面)、葛木と出会う前からの関係を今更責めても仕方がないでしょうに、と以前は思ったのだけれど。
彼は伝吾を弄んだお孝を責めているというよりも、妻子も人としての誇りも何もかもを捨てて土下座をしてお孝から手を引いてくれと泣き縋る伝吾の姿に、呆然とし、やりきれない気持ちになってしまったのだろうな、と。お孝のために妻子を捨てた伝吾、伝吾を弄んだお孝、お孝と恋仲である自分。そんな浮世が嫌になり、かねてから考えていた姉を探す巡礼の旅に出ようと思った。お孝のことを嫌いになったから離れたいわけでない(葛木は伝吾に「私にきっぱりと『女と切れない』と言わせてくれ」と言っている)、でも共にいることはできなくなってしまったからこその、あの狂おしいまでの「口惜しい、残念だ」なのかな、と。この場面の緑郎さんは叫びすぎ&悶えすぎに感じられたのだけれど、おかげでそういう葛木の心情の流れが理解できたような気がするのでした。
とはいえお孝の元にあんな危険人物を残して自分だけ旅に出るってどうなのよ、とは思いますがね。葛木のような人間に「いやそこは心を強くもってお孝のために残ろうよ」というのも酷なのでしょう。葛木のそういう純粋すぎる弱い部分もお孝は愛したのでしょうし。

でも観終わって不思議と心に残るのは、葛木&お孝と同じくらいかそれ以上にお孝&清葉の関係であり生き様なのよね。結局この舞台は、誰が主人公という見方をしない方が面白いのかもしれない。
演出の齋藤雅文さんが会見で仰っていたように「笠原信八郎のような無骨な登場人物さえ、純粋な魂の持ち主です。そのような人たちが、日本橋の上で出会い、別れることにより、転落する人、成功する人、狂気に陥る人、殺人を犯してしまう人、それを背負って生きていく人もいる。人生のさまざまなバリエーションをみせています。」と。
そんな浮世の、人間のどうしようもなさ、やるせなさの全てを浄化するような清葉の笛の音。

また新派で鏡花ものがかかるときは観に行かせていただきます
玉さまもまた鏡花の演出をしてくださらないかなあ。玉さまの鏡花作品の演出がとても好きなんです。『外科室』のような短編映画ももっともっと観たい。

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先日訪れた小石川植物園にて。
鏡花をはじめ多くの文豪にゆかりの場所
次は『外科室』と同じツツジの季節に来たいな。


園内にある旧東京医学校本館。
東京大学の前身である東京医学校の施設として明治9年に本郷キャンパス鉄門の正面に建てられ、明治44年に赤門わきに、さらに昭和44年に現在の地に移築されたそうです(国指定重要文化財)。
葛木もこういう建物で研究していたのでしょうか


ずっと我慢していたのに結局手に入れてしまった『日本橋』の初版復刻版。
雪岱の装幀が好きすぎて我慢できなかったの。。




表見返し(春・夏)


裏見返し(秋・冬)
上下の赤い帯は屏風絵のように見せる効果があるのですって
昔の本の装幀はほんっとうに素敵ですよね。もっと欲しくなってしまうけれど、この辺でガマンガマン。

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