菊五郎さんと吉右衛門さんによる『鈴ヶ森』。
ああ、見逃さないでよかった
悪くはないだろうとは思っていたけれど、正直これほど素晴らしいとは思っていなかった(ゴメンナサイ)。
この演目を観るのは、杮落しでの梅玉さん&白鸚さん以来。
今回の『鈴ヶ森』はなんていうか「人と人との運命の出会い」とはこういうことか、という重厚なドラマが感じられて、でも決してリアルすぎるわけではなく、歌舞伎の美しさと楽しさと華やかさとおおらかさがしっかりあって、でも闇と凄みもちゃんとあって。
いやあ本当に、観にいってよかったなあ。。。。。。。
そしてこういう鈴ヶ森を次に観られるのはいつになるのだろう、次に観られる日はくるのだろうか、とやっぱり思ってしまうのでありました。。
吉右衛門さんの長兵衛、かっこよかった あの大物感!権八を籠の中から眺めているときのあの余裕っぷり
!はあ、かこいい。。。こういうお役の吉右衛門さんがほんとうに好き。江戸っ子!鬼平!…って以前吉右衛門さんの幡随長兵衛を観たときの記事を読み返したら全く同じことを書いていた。鬼平!って笑。
「悪を倒すだけでなく、悪の中に善を見出し、弱い者を同じ人間と見て助ける。そんな鬼平みたいに生きられたらいいなと、憧れます」
(インタビューより)
これに惚れない人いる
対する菊五郎さんも、存在感はしっかりあるのに貫録を消しているのが素晴らしかったなあ。「白井・・・」の文に気まずげな権八と、その文を提灯の火で燃やす(本火
)長兵衛。ここのお二人の空気。。。。。ああ。。。。。
お二人とも身体的な衰えは避けられないけれど、それがお芝居の質と決してイコールにならないのが歌舞伎の良さだよねえ。
最後にぱッと照明がついたときの華やかさ、上手へゆったりと歩いてゆくお二人のスッキリさ、大きさ。
歌舞伎って素晴らしいなあ。
又五郎さん(飛脚早助)、こういうお役が本当にお上手。「〇に井!〇に井!
」。左團次さん(東海の勘蔵)、楽善さん(北海の熊六)と並んで、今回は脇も厚い!
ところで私の祖父母は白タクや柄の悪そうなタクシーの運ちゃんのことを普通に「雲助」と呼んだりしていて(祖父は大正、祖母は昭和一桁生まれ。今では完全に差別用語なのでしょうね)、他にも歌舞伎に出てくる今は使われない言葉を普通に使ったりしています。思うに江戸時代から昭和初期(戦前)あたりまでは明治維新だなんだと大きな時代の転換はあっても、庶民の日常はさほど大きくは変わっていないのではなかろうか、と。そして私の世代はまだ祖父母からの影響でそういう言葉や習慣にぎりぎり親しんでいるけれど、これからの令和世代は日常の延長線上としてではなく完全に別個の時代劇やファンタジーを観るように歌舞伎を観るようになっていくのかもしれないなあ
と思ったりするのでした。
と、平成最後ぽくまとめてみた笑