風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『考える人 2016年夏号』谷川俊太郎1

2019-08-20 20:56:55 | 

「その出会いがなかったら今私は生きていなかったかもしれない」という存在は誰にでもあると思うけれど、私の場合は、同時代の人をあげるなら龍村仁監督、谷川俊太郎さん、中島みゆきさんの3人。同時代でない人も加えるなら+漱石、でしょうか。
皆、10代の頃に出会いました。

先日図書館で『考える人 2016年夏号』を借りたのです。
谷川さんの特集が載っていることを知ったので。
そもそもこういう雑誌が新潮社から出ていたこと自体を今回初めて知ったのですが、これ、いい雑誌ですねえ。考える人っていうタイトルもよい。残念ながら2017年で休刊になっていて、今はwebマガジンとして存続しているようです。

谷川さんの特集は北軽井沢の別荘の写真も多く掲載されていてとてもいいインタビューなので、ご興味のある方はぜひ図書館かバックナンバーで全文をお読みください
ここでは抜粋を。

谷川:…加藤周一さんが『日本文化における時間と空間』で、「今=ここ」が日本人の感性の中心にあるという言い方をされている。僕も本当に歴史が苦手で、痛いことも全然覚えてないし、未来にそんなに心配がないのね。くよくよしない。自分の「いま、ここ」に百パーセント満足して、エネルギーを集中するみたいな。

――その過去と未来のなさが、洗いたての印象を呼ぶのでしょうね。人は、できれば忘れたい。でも、忘れられない。だから羨望する。……多くの人から薄情と言われたかもしれませんが。

谷川:あ、それは自分でそうだと思ってますよ。人もそうとう傷つけた。でも、「薄情」でなく漱石のいう「非人情」だと。イギリスの詩人キーツは「デタッチメント」と表現しています。関心を持たないできたということでしょうね。(中略)他人とは浅い付き合いだから、相手を肯定できるんです。唯一の例外が結婚。あそこまで深く付き合うと、やっぱり自分の欠点がボロボロ出てくるという感じですね。

漱石は非人情の世界に憧れ、ときにそこで心を休めながら、基本は人情の世界で生きた人ですよね。一方谷川さんは非人情の世界に身をおきながら人情の世界に憧れそこへ降りてこようとした人、だろうか(私の勝手なイメージ)。これって小説家と詩人の違いでもあるような感じがして興味深い。
似ていて違うようでやっぱり似ているような。人間の世界というものに対して臆病なところのある人達なのかな、とも。
そして非人情の視点を知っている人だけがもつ独特の視野の広さは、龍村監督やみゆきさんにも共通しているもののように思う。非人情やデタッチメントという言葉は昨年9月の朝日新聞のインタビュー記事では「人間と距離を置く」と括弧書きされていたけれど、「人間を含めた世界を俯瞰で眺める」という説明の方がわかりやすいのではないかしら(この「人間」には自分自身も含まれている)。
そういえば谷川さんはバッハやヘンデル、そしてグールドのピアノもお好きなんですって モーツァルトについての詩も書かれていますよね。