三島は『美と共同体と東大闘争』の後記「討論を終えて」の最後をこんな風に結んでいます。
私は彼ら(全共闘)の論理性を認めるとしても、彼らのねらふ権力といふものがそれほど論理的なものであるとは考へないのである。そして彼らが敵対する権力自体の非論理性こそ、実は私も亦闘ふべき大きな対象であることは言ふを俟たない。もし万一私がその権力を真に論理的なものとすることに成功したときに、三派全学連もまたその真の敵を見出すのではなかろうか。
まず闘うべきは、権力の非論理性。これは今の時代にも通じることのように思います。
ところでこの後記で三島は「私がこのパネル・ディスカッションのために用意した論理の幾つかを次に箇条書きにしてみよう。」と、時間の連続性、政治と文学、天皇の問題などの5つの論点を列記し、それぞれについて自身の考えを再度整理しながら述べています。実際の討論もほぼこの5つの議題に沿って進んでいたので、討論会を開催するにあたってこれらの議題が事前に両者の間で決められていたのでしょう。
三島は「その2時間半のうちに十分に問題点を展開し得なかつたのには私の責任もあつた。私はむしろもつとよく問題を整理し、一つ一つの問題の発展に留意すべきであつた。」としています。どこまでも真面目で謙虚な人だなあと思うと同時に、自分の子供くらいの年齢の学生達に対して、たとえ政治的に真逆の立場であったとしても、これからの日本を生きていく彼らの中に何かを残していきたいという想いもあったのだろうと思う。
討論会冒頭で三島が「半熟卵の日」と言っている1969年4月28日についてググってみたところ、「沖縄デー闘争」と呼ばれる日なのだそうです。1952年の同日にサンフランシスコ講和条約および日米安保条約が発効され、それにより日本は連合国から独立したと同時に沖縄は米国の施政下に入ったため、反安保勢力からは沖縄が切り捨てられた日とみなされ、1969年のこの日も学生達が都内や全国各地で大規模な武装デモを行い、逮捕者が続出したとのこと。ちなみにここで三島が展開している「安心した目をした日本の知識人」に関する話が私は好きである。