風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

東京都交響楽団 第994回定期演奏会Bシリーズ @サントリーホール(2月16日)

2024-03-08 21:05:39 | クラシック音楽




インバル&都響を聴くのは2019年以来、4年半ぶり。そんなに聴いていなかったのか・・・。
当時インバルの音作りがなんとなくワンパターンのように感じられてきてしまい、しばらくこのコンビの演奏会からは遠ざかっていたのだけれど。
久しぶりに聴くと、上記のような面は今もなきにしもあらずだけれど、やっぱり良いですねぇインバル&都響の音
このコンビからしか聴けない音が確かにある。

【ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 op.70】
5番11番に続いて、3回目のインバルのショスタコ。
相変わらず暗く厳しく深みのある音がちゃんと出てくれているインバルのショスタコ!
最近お気に入りの井上さんのショスタコと比べると、ショスタコらしい諧謔みは少なめだけれど、これはこれでとてもいい。これもとっても「ショスタコの音」。
インバルはオケの音を限界まで出し切ってくれるのも変わらずで、聴いていて気持ちがいい。なのに崩壊しない。
都響も良くも悪くも完璧過ぎる感もなくはないけれど、やっぱりすごく上手い。
そして、、、インバル元気!
今回最前列でインバルの真後ろで聴いていたのだけれど、変わらず鼻歌歌って、第一楽章では足でタンダンと力強くリズムまでとってた。
今日で88歳になられるんですよね・・・。すごいバイタリティだ・・・。

(20分間の休憩)

【バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》(日本語字幕付き)】
語り/ジェイ・レディモア
ソプラノ/冨平安希子
合唱/新国立劇場合唱団
児童合唱/東京少年少女合唱隊

バーンスタインの交響曲を聴くのは、ラトル&ツィメルマン&ロンドン響の『第2番 不安の時代』に続いて2回目。
今日最前列でその音に全身で浴びながら、バーンスタインの心に包まれているような、あるいはバーンスタインの頭の中に入っているような、そんな感覚を覚えました。
インバルや都響がどうよりも「バーンスタイン」を感じた。
LSOとバーンスタインを演奏しながらラトルがツィメルマンに「彼(レニー)がここにいた気がする」と何度も言っていたそうだけど、バーンスタインの曲にはそういうところがあるように思う。特にこの3番には。
今日の演奏にバーンスタイン特有の弾むような軽やかさが出ていたかは微妙だけど、その音の響きと色から”バーンスタインの心”はいっぱいに感じることができました。
目覚め、夜明け、宇宙、そしてこの世界。
それらとバーンスタインの個人的な心の葛藤を真っすぐに強く感じることできたのは、今日の歌詞と語りが当初予定されていたピサール版ではなく、バーンスタインによるオリジナル版だったからだと思う。私はこのオリジナル版、とてもいいと思う。

語りのジェイ・レディモアさん。私は彼女の真ん前の席だったのでPAを通してではなく直接音でその声を聴くことができました。
「Be the great name of Man!」このパワフルな空気、日本人には出せないものだろうな、と。日本人が悪いのではなく、歴史的、文化的に出せない空気のように思う。
神への疑い。人間と神の新たな約束。私(人間)がかけた新たな虹。インバルによるとこの曲の人と神との関係はバーンスタイン独自の感覚で、通常のユダヤ教の考えではないとのこと(バーンスタインはユダヤの考えだと言っているけれど)。
バーンスタインは「人間」を信じることができた人だったのだなと改めて感じた。人間の良心を。

合唱団は、静かな男声の迫力が特に印象に残ったな。あと、子供達の声。

演奏後は、今日88歳の誕生日を迎えるインバルに花束が贈られました
ハッピーバースデー、マエストロ

インバル スペシャルインタビュー 全4回(2015年12月)
バーンスタイン作品におけるユダヤ性とジャズ



Jaye Ladymore Performs Bernstein's "Kaddish" | Leonard Bernstein's Kaddish Symphony | GP on PBS

バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》(1963)

 『ウエスト・サイド・ストーリー』などミュージカルの作曲家として知られるレナード・バーンスタイン(1918〜90)は、シリアスなクラシック作品も多く残しており、また20世紀後半を代表する指揮者でもあった。彼はボストン交響楽団の創立75周年(1956年)を記念するため、同交響楽団とクーセヴィツキー音楽財団から新曲の委嘱を受けた。しかし1950年代半ばのバーンスタインには映画や舞台、コンサート作品など、他にも作曲プロジェクトがあり、1958年からはニューヨーク・フィルの音楽監督に就任するなど多忙を極めていた。彼が委嘱作品にとりかかったのは1961年頃で、オーケストラ、混声合唱、児童合唱、語り手、独唱ソプラノによる交響曲《カディッシュ》は、1963年に完成した。完成間際にはジョン・F・ケネディ大統領(1917〜63)が暗殺される事件(11月22日)が起こり、バーンスタインはこの曲を「ジョン・F・ケネディの思い出に」献呈することにした。
 曲名の《カディッシュ》は、 ユダヤ教の伝統的な日々の祈りで、死に言及しているわけではないが、葬儀において墓前で引用される主要な祈りでもある。また、神への讃歌であると同時に平和への祈りでもある。この平和と救いを願うアラム語・ヘブライ語の讃歌は、交響曲の中で歌われる。またバーンスタインが作った英語による語りもある。その内容は、現代における信仰の危機、深刻な社会問題についてで、作品が東西冷戦期に書かれたことを彷彿とさせる。ときおり聞かれる神に対する鮮烈な不信や怒りが神への冒瀆ではないかという意見も評論家からは出されたが、バーンスタインはこれらをユダヤ教の伝統にあるものと認識していた。
 曲は3つの楽章からなり、第1・第2楽章は2つに、第3楽章は3つの部分に分かれるが、全曲は続けて演奏される。

 第1楽章は、序奏となる〈祈り〉と、主部にあたる〈カディッシュ1〉という構成。まずは合唱によるハミングを背景に〈祈り〉が始まる。フルートとハープによる謎めいた動機は弦楽器に受け継がれ、盛り上がる。この間に管楽器による突き刺さるような響きが挿入される。
 〈カディッシュ1〉に入り、合唱が歌い始めると、オーケストラが12音音列を使った不協和な動機を爆発させ、8分の7拍子と4分の3拍子が入り交じる変拍子の速いテンポの部分となる。合唱は手拍子も交え、エネルギッシュに進む。最後は「アーメン」を叫んで第1楽章が終わる。
 第2楽章の前半〈ディン・トラー〉は「裁きの場」。打楽器合奏が主導し、合唱のハミングを背景に語り手は、人間が起こした災いに満ちた世界における神の沈黙に対し、信仰の揺らぎを語る。やがて金管群による無調のファンファーレが始まり、心をかきむしる不協和な楽想が続く。曲は「アーメン」の合唱とともに高揚し、裁きが下されたかのような決然としたクライマックスに到達。最後は、8つのパートに分かれた合唱が各々のテンポで歌うカデンツァにより、瞑想的に「ディン・トラー」を閉じる。
 楽章の後半、8分の5拍子の〈カディッシュ2〉は、優しいオーケストラの伴奏に乗せたソプラノ独唱。三部形式で、神を讃美するソプラノの歌に、女声合唱は「アーメン」などで応えていく。中間部は16分の5拍子で盛り上がりを見せる。
 第3楽章は3部構成。〈スケルツォ〉はクラリネットとピッコロによる4分の3拍子の軽妙な動機で始まる。しかし無調のためか嘲笑的で皮相的だ。しかし語りが平和の虹とともに信仰を取り戻したことに触れると、変ト長調による希望の見える旋律が弦楽器を中心に麗しく奏される。この旋律は児童合唱によって導かれる〈カディッシュ3〉へとつながり、展開していく。
 〈フィナーレ〉は夢から現実への目覚めで、不協和な全奏によって始まる。弦楽による重々しい雰囲気が醸しだされ、静かになると、〈スケルツォ〉の後半で聴かれた希望の見える旋律とともに、神と人間との間に結ばれた契約に由来する生命の喜びや両者の共生が語られる。終結部は変拍子を使った賑やかな〈フーガ〉で、独唱ソプラノも加えた全ての合唱がオーケストラと華々しく共演する。最後に短く第1楽章冒頭の動機が回帰し、熱狂のうちに曲を閉じる。
谷口昭弘 @都響ホームページ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする