周囲の人々を信じない人がたまにいます。何故、日常生活で必然的に付き合う必要のある人々を信じないのか?その理由を聞くと、それなりの理由を話してくれます。必然的に付き合う必要のある人々とは家族、夫婦、友人、知人、近所の人々、職場の人々のことです。疑い深い人間の眼差しを「邪眼」といいますが、この邪眼は人生の途上で私も経験しました。何らかの理由で疑い深くなると人の眼差しは確かに邪眼となり澄んだ感じがしなくなります。何故、このように成るのか、理由ははっきりしません。一度、鏡を見てみましょう。人生の途上で、自分の目が澄んでいる時と、透明感がなく何となく疑い深い目付きになる場合の違いを思索してみましょう。周囲の人々も邪眼の人を避けます。澄んだ目付きの人と付き合いたがります。何故でしょう?このある程度信じ合う度合いの調整は難しいのですが、こればかりは本人の問題なので何とも言い難いのですが「ある程度、周囲を信じる力と勇気と度量を持たないと人は幸福感を感じない」という考え方を大事にしたいものです。:<心の世界を飛び回る:118>
備考:広く理論を学習したい方は左記カテゴリーの第1章から11章の好きな章をクリックして楽しみながら勉強して下さい。6年間、書き綴った2275回分の記事が同時に読めます。
いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング
備考:広く理論を学習したい方は左記カテゴリーの第1章から11章の好きな章をクリックして楽しみながら勉強して下さい。6年間、書き綴った2275回分の記事が同時に読めます。
いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング