日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

私にとっての伯父さんへの継ぎ2

2013-11-13 23:56:09 | 日記
news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20131113524.html?fr=rk


Twitterでも書いたがこの悲惨さの原因はまず初めに両親の離婚があるだろう。


小学校の時の離婚から始まる、個人への影響。それでも社会が救うシステムなりが有れば彼は新しい付加価値や消費者としての生む存在足り得るが、この状態では経済的にもマイナスでしかない。


昔、同様の事を思って想像したこともある。自分にもそれに近い状態に陥って居たからだ。


こうなった時、自分に出来る事は何であろうかと。


結果は結婚を安易にしてはいけないということだ。


人は寂しさや、孤独や、共有したいという欲求、また認められたいという承認欲求、愛し愛されたいという欲求すらも現代では耐え忍ばねば為らないという世界なのだ。とても苦しい世界だと思う。


心理学の猿のボルビィの実験は有名だが食より、抱き心地が良い方に何時もいるのである。


この文章中の彼も、きっと耐えられたのは愛する妻が居たからだろう。そうでなければ、自殺者の仲間入りだろう。                        

このように忽ち、奈落へ落とされるのが現代なのだろう。



だから、小学校の頃の夢が他の何者でもない「結婚」したいという夢だった。周りからは馬鹿にされ、からかわれたが。そんなの直ぐに出来るじゃんっと。



このことが、今まで混乱していた伯父さんの話とも繋がるのである。


親戚の女の子が好き曲がMr.Childrenだった。

当時はどうして好きだったのか理解出来なかったが、全般を聴く内に理解できたのが今も記憶に残っている。


話したその時は今度聴いてみると告げた彼女の表情が階段で微笑んだ気がする。その後別の時に話の続きに成ったし。


コメント
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