日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

教育と認識と隔たりと  20220624

2022-06-21 17:36:48 | 日記
 戦略企画課企画官という募集が標的表示された。母集団を広くという意味なのだろう。けれどそれが建前で実際は採用したい人物の目星は付けているのが条件の限定さや期間からも容易に推測できる。

募集されていたものは確かに興味深いものではあるが私の場合3項目ある1つの経験に問題ありで、思うのは恐らくは祖父だったら難無くと通過して行くんだろうなと想像してしまう。

そう思うのは最近では漸く話題に為り始めた秋丸機関という話でそこに祖父も協力し関与していたからだ。その時の出来上がりの成り立ちも聞いているからで、汲み上げ方は先ずは文章は使わないというものあった。

その事の意味も本質や中心義もそうとは知らずに聞いているが、今回は一つの事に限って書くことにする。文章を使うと日本語で万頁に為ってしまうからと言う事が解っていたからと、それが一人の量に為ってしまうからという事だった。

実際に書いた時に一人で一万頁を超えた人も何人かいたという。その一万頁から数千頁の数を複数の人が書いたら、何十万から何百万頁に為ってしまう、「それも相当に何度も短くしろと言われ10ー50回位だったか書き直しと言われたそうだ」が書き直した回数の記憶は曖昧だ。

実際に祖父が書いた頁数は一万頁弱位で、余り文章で書いても頭に残らなけれ仕方がないからというもので文章以外が多く一番短かったそうだ。流石だなと思う一方でこの事と親戚の女の子の当時理解できなかった話と頭の中で交錯する。

 確かにその通りだと思う一方で、戦後の教育で日本を農業国の貧しい国にしようとしたGHQの策略も、教育が随分歪められて来たのは最近になって、漸く少しは拡がって来たことは良い傾向になるが未だ未だと言う印象。大学で社会・教育・制度の講義の話を以前書いたと思うが、この外縁から見た視点でもこれ程なのだから、内縁からだと相当だろうなと言うのを前述した話を聞いても、随分隔たりがあるなと言う思いにさせる。
コメント
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