De cela

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安全な原発はありえないのか

2011-06-14 22:08:00 | 震災と復興
原発安全宣言
古川和夫著


 原発を安心・安全と国民を騙して電力会社の利益を支えてきた政府の誤りは責任重大と思う。

 しかしながら、極めて困難で悩ましい事態に国民、いや世界中がさらされている。脱原発は人類が解決しなければならない課題だと思うが、あまりにも重い課題である。原発止めろというのは簡単だし、代替エネルギー開発を叫ぶのも正しい。しかし、まだ膨張し続ける世界人口、富の再配分という叫び、開発途上国の急速な発展・・・などを考えた時、『原子力』という魅力を切り離せないという現実を感じる。
 
 私は、原子力は安全を絶対優先して追及しなければならないが、絶対安全ということはありえず、地域の住民の事故対策としての自衛処置・逃避訓練を重ねる必要性を感じていた。リスクを受け入れての国民の選択と考えていた。
 しかし福島原発事故の巨大さを目の当たりにして、どんなに不便な思いをしても原発は廃止すべきという考えに変わった。
 しかしまた、いくら日本がドイツやイタリーのように原発廃止を決めても、世界の中では原発は無くなるどころか増えていくのが必然と悟らざるを得ない。

 本当に安全な核技術はないのか。わたしの拙い知識の中でも、原子力エネルギーとは、核分裂を伴うもので、そこには必ず放射線の管理という問題が付きまとうことはわかる。安全な核応用技術とは、これを理論的に完全に閉じ込め、用が済んだら確実に放射性物質が消えて行くものでなければならない。

 安全な原発とは、電力を使う場所の近くに建設して、送電コストを下げ、廃熱もそのまま都市で使えるようなものでなければならない。そのような手段はあるに違いないと考えていた。たまたま本屋に積んであった新書に目がとまった。それがこの本である。

 易しく解説したと著者は言うが、本当のところ難しくて良くわからない。しかし、3,40年まえに開発されていながら何らかの理由で採用されなかったこの技術は、原子力をもう一度見直させる価値のあるものと思う。すなわち、『トリウム溶融塩核エネルギー協働システム』である。ある程度私を納得させる安全原発技術である。原子力の安全・安心という言葉にはもう騙されないぞという気持ちから、まだこれを頭から信じているわけではないが、本当に希望のあるものなら技術者の評価に上がってくるはずである。

 宇宙には巨大なエネルギーが充満している。しかしそれはすべて核反応による世界である。いずれ人間がそれを、大気と磁場のバリアで守られた地球の内側に取り込む、いやすでに取り込んでしまったのは必然であったろう。100億人の人間がこの地球の上に平等に存在して行くことを認める限り、人間の知恵で安全な核の技術を手に入れなければならないものと思う。

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