散歩コースの途中で、以前はお年寄りのご夫妻が住まれていたのに、お見かけしなくなる場合があります。
どちらかが病院に入られたのか、また、どちらかが老人施設に入られたのか、あるいはその両方なのか。。。
古いおうちで人が住まなくなると、初めに庭が荒れてきます。通り過ぎるたびに、あぁ、この家はもうどなたも戻ってこられないのかしら、と気の毒な気がしてつい、庭の草や花に目が行きます。
手入れをしなくても、無秩序ながらそれぞれの草花は、それぞれの主張をしつつ健気に咲いています。
この写真の牡丹も、そんな無人の家の入り口辺りで、見事に咲いていました。
主なき庭に火焔の牡丹咲く (萄子)
次に、大手毬(オオデマリ)の写真を載せます。純白の清々しい花です。そろそろ終わり近くになりました。
当地では、むろん大家族でお住まいのお宅もありますが、核家族も多いです。そして、老夫婦だけのお宅、老人の一人暮らしなども、案外と多いようです。他には、別荘として家を建てたものの、ほとんど使わなくなったケースです。
庭の手入れが思うに任せない、あるいは荒れ放題のお庭もあります。そういう光景を見ると、私はいたたまれなくなり、気持ちが沈んで悲しくなります。
それでも、植物たちは環境に適したものが、季節のままに咲いてはいます。適者生存の、自然の摂理を見るようです。それはそれで、仕方のないことなのだろう、と思いますけれど。
どんな美人も、最後は萎んで崩れて死ぬのだよ、などと、取りようによっては”虚無”とも思えることを言う人がいます。
それはそうでしょうけれど・・。では、死ぬと分かっているのになぜ、我われは生きるのでしょうか。
どんな人でもただ、生きることそのものに、意味があるからではありませんか。
いずれ死ぬと分かっているのに、なぜ人を好きになったりするのでしょうか。疑問はどんどん出てきます。
命に限りがあるから、今を精一杯生きるしかない。それしか思い浮かびません。
もしも、「不老不死」が手に入ったら、人間はどうなるのでしょう。生きることに、いつか飽きるかもしれませんね。安らかに、羽を閉じるように、ゆっくりと眠れる日は永遠に来ないのでしょう。
それも、困るような気がします。「花の命は短くて。。。」と言います。本当に、あっという間に盛りを過ぎて、花は終わってしまいます。それが、自然のサイクル。
でも、表から見えないところで、生命は脈々と続いている。花を観察していて、そんな「生と死」の感慨に、胸迫る今日この頃です。
(クリックする↓と、アップの写真になりますよ~^^ )
純白の群れ強かに大手毬 (萄子)
追記ーー→私の師匠筋にあたる「建コン一擲」さんが、うちのワン太とニャン子の写真を(何の意味もなく?)貼ってくれています。御用とお急ぎでない方は、見てくださいね~「建コン」さんといえば、心優しい元・テニスの王子様です(はて、現在ではどうでしたか・・)あはっ!
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どちらかが病院に入られたのか、また、どちらかが老人施設に入られたのか、あるいはその両方なのか。。。
古いおうちで人が住まなくなると、初めに庭が荒れてきます。通り過ぎるたびに、あぁ、この家はもうどなたも戻ってこられないのかしら、と気の毒な気がしてつい、庭の草や花に目が行きます。
手入れをしなくても、無秩序ながらそれぞれの草花は、それぞれの主張をしつつ健気に咲いています。
この写真の牡丹も、そんな無人の家の入り口辺りで、見事に咲いていました。
主なき庭に火焔の牡丹咲く (萄子)
次に、大手毬(オオデマリ)の写真を載せます。純白の清々しい花です。そろそろ終わり近くになりました。
当地では、むろん大家族でお住まいのお宅もありますが、核家族も多いです。そして、老夫婦だけのお宅、老人の一人暮らしなども、案外と多いようです。他には、別荘として家を建てたものの、ほとんど使わなくなったケースです。
庭の手入れが思うに任せない、あるいは荒れ放題のお庭もあります。そういう光景を見ると、私はいたたまれなくなり、気持ちが沈んで悲しくなります。
それでも、植物たちは環境に適したものが、季節のままに咲いてはいます。適者生存の、自然の摂理を見るようです。それはそれで、仕方のないことなのだろう、と思いますけれど。
どんな美人も、最後は萎んで崩れて死ぬのだよ、などと、取りようによっては”虚無”とも思えることを言う人がいます。
それはそうでしょうけれど・・。では、死ぬと分かっているのになぜ、我われは生きるのでしょうか。
どんな人でもただ、生きることそのものに、意味があるからではありませんか。
いずれ死ぬと分かっているのに、なぜ人を好きになったりするのでしょうか。疑問はどんどん出てきます。
命に限りがあるから、今を精一杯生きるしかない。それしか思い浮かびません。
もしも、「不老不死」が手に入ったら、人間はどうなるのでしょう。生きることに、いつか飽きるかもしれませんね。安らかに、羽を閉じるように、ゆっくりと眠れる日は永遠に来ないのでしょう。
それも、困るような気がします。「花の命は短くて。。。」と言います。本当に、あっという間に盛りを過ぎて、花は終わってしまいます。それが、自然のサイクル。
でも、表から見えないところで、生命は脈々と続いている。花を観察していて、そんな「生と死」の感慨に、胸迫る今日この頃です。
(クリックする↓と、アップの写真になりますよ~^^ )
純白の群れ強かに大手毬 (萄子)
追記ーー→私の師匠筋にあたる「建コン一擲」さんが、うちのワン太とニャン子の写真を(何の意味もなく?)貼ってくれています。御用とお急ぎでない方は、見てくださいね~「建コン」さんといえば、心優しい元・テニスの王子様です(はて、現在ではどうでしたか・・)あはっ!
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オオデマリの写真をクリックしたら、トーコさんの顔が現れました。
とても顔が真っ白で歯並びがきれいな美人でした。
笑っているのか、目が見えませんね。
人間はいつか死にます。
不老長寿の薬などありません。
生きてるからいろんなことができるのです。
元気で楽しく行き(生き)ましょう。
そうなの、体が弱いから色白なのよ。おほほ。
山小屋さんは、ピンクの牡丹がお好きでしたでしょ?
日頃のご親切とお誕生日祝いもかねて、ささやかなお印です~
”元気で楽しく”←山小屋さんの現在ですね。どうぞ、私にもおすそ分けをお願いいたします。私もあやかって、元気になりますよーーー
久しぶりに見ましたよー
純白の可憐な花、気持ちがアラワレルようです
コデマリも好きで、こっちはよく見かけるんですけどね・・・
人の生死は、色んなことを教えてくれますよね。
子供の誕生然り、近しい人の死然り・・・
私は、生まれた時から一緒に住んでいた祖母が入院したとき
仕事や遊びにかまけて殆んどお見舞いに行かず
仕事中に訃報を知らされ
祖母の気持ちや、母の苦労を思い
深~く後悔した苦い記憶があります。
山小屋さんのおっしゃる通り
生きている限り、楽しく生きたいですね
ユキヤナギ→モッコウバラ→コデマリ→この流れからして、オオデマリもお好きかも知れないと思いました~(笑)
この花、あちこちで見かけました。見た目が「白紫陽花」の小さめの花のようでしょ。
毎日、花の名前を調べるのに、悪戦苦闘。でも、知った時にはすごーく嬉しいし、楽しいです。誰かに教えたくなるのヽ(≧▽≦)/キャーお節介
振り返ると「後悔」は沢山あるけれど、そのおかげで、次は失敗しないように学習が出来る、のかもしれませんね
コデマリと違って大きいだけに強さと華やかさがありますね。
物言わぬ花にいろんなことを教えられます。。。
我が家も今年はまだ畑(花と野菜)をなーんにもやってないので、
殺風景になってます。明日こそやりたいぞ!
唯一、元気に育っているのは万能ネギだけです。
青々していて、もう食べ始めてますよ。
あ、この花見たことなかったですか?
まーるい白いお花です。コデマリは重みで枝が垂れるけど、この木はやたらしっかりしています
そうそう、今盛んにハラハラと花びらが散っていますけど、花の下は雪が積もったように見えるのでも、特徴的だそうです。
名前の知らない花に、せっつかれながら勉強しています。ひーー
あ、ハイハイ。名無しはまちるださんだと見当が付いていましたデス。
だって同じ時間帯に、なるせブログにもコメントしてたもんヽ(≧▽≦)/キャー
万能ネギ、植えてんですか?あれは、使えますね!
今の時期は長ネギが硬くてNG。うちも専ら万能ネギを食しています。
巨大化した蔓薔薇にアブラムシ大量発生~!!昨日はしかたなく殺虫剤をかけました。ヒーー
「死ぬと分かっていて、なぜ生きるのか?」
私たちは生かされている。その役割を精いっぱい務めるため、精いっぱい生きているのではないでしょうか。
「死ぬと分かっているのに、なぜ人を愛するのか」
好きになることは生きること。
愛することは精いっぱい生きていることの証しではないでしょうか。
「不老不死」はありえないこと。
だから憧れているように思えます。
火焔の牡丹は、やはり適者生存にかなった生き方をしているのでしょうね。
牡丹は、何かハゲシイものを感じさせますね。
今まで、あまり見ないようにしてきた気がします。
怖いほどに美しいから・・。
芍薬と牡丹の違い、やっと見分けがつくようになりました(笑)立てば芍薬、座れば牡丹。ホント、そんな風に見えますね。
ひよどりさんのお写真は、どんどん美しくなっていくので、驚いています。見ていて飽きないです