ショウビン先生の新・俳枕(東北/山形編)山刀伐峠

2020-08-26 14:04:40 | 平井照敏編の俳枕〈東日本〉

 

 

 

「高山森々として一鳥声をきかず、木の下闇茂りあひて夜(よ)る行(ゆく)がごとし/芭蕉」で知られる山刀伐峠、道自体が難所である上に昔は山賊が出たという。もと山形藩と新庄藩との境にある山刀伐峠(なたぎりとうげ)は、高さは510メートルだが、芭蕉も苦労したらしい。

『おくのほそ道』では、鳴子から中山平、堺田を経てこの峠を越え、尾花沢の鈴木清風を訪ねている。

 

 

 

レンゲショウマ

 

 

峠の上に加藤楸邨揮毫による『おくのほそ道』の一節を刻んだ碑があるそうだ。

 

 

 

 

加藤楸邨/山刀伐峠や大かたつむり雲に匍ふ

 

 

水原秋櫻子/蝮出てさけびつづけぬ時鳥

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (青萄)
2020-08-26 22:08:10
山刀伐峠は金山と大森山の間にある。小国川沿いの赤倉からの道は二十二曲りとよばれる難所だが、尾花沢側は勾配がゆるくなる。
芭蕉は紅花問屋の鈴木清風をたよって尾花沢に十泊し、宿の養泉寺で俳句を詠んでいる。

涼しさを我宿にしてねまる也
まゆはきを俤にして紅粉(べに)の花
這出よかひやが下のひきの声


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Unknown (青萄)
2020-08-26 22:26:09
因みに尾花沢は花笠音頭発祥の地とされ、隣町の大石田は最上川沿いの川港で、芭蕉が三泊した。斎藤茂吉が疎開して名歌を残したところとしても知られている。

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