平野啓一郎で未読だった短編集。
作者自ら、実験期と呼んでいる時期の短編集で、その後のテーマのもとになっているそうです。義足が頻出することから、かたちだけの愛のテーマになっているのは感じるのですが、分人主義のもとになる要素はどこにあるのかはわかりませんでした。
しょっぱなの「やがて...」は、老化を砂化(砂漠化)をモチーフにした内容に、フットノートで津波の風景が描写されているという作品だけど、これらの関連性がわからない。
「鏡」は、これまさかどこかの雑誌に発表したのか?と思いつつ初出を見てみたら、書下ろしということで一安心(なにがだ^^;)
『フェカンにて』が最も長いですが、自伝っぽくもあり、過去の小説(葬送)と未来の小説(主人公K)が混在しつつストーリーが進行する、これまた難解な内容。
「女の部屋」は2ページの散文を7つの異なる虫食い文にしたもの、意味はまったく不明。
「一枚上手」は、夫婦間の小噺、これはあまりに明瞭な話で、どうしてこういう話を載せたのか意図が難解。
「クロニクル」は、アーティストとアスリートの堕落を、女性へのインタビュー形式で語る小説、クロニクル(年代記)という題と内容との関連が不明。
「義足」は反戦小説でしょうか...??
「母と子」は、似たようなストーリーを5つのシチュエーションに分け、それらが切れ切れで登場すする実験的な小説で、読むのにものすごく疲れた。
「異邦人#7-9」、「モノクロウムの街と四人の女」は安部公房を彷彿させるシュールな短編。
「慈善」は拝金主義へのアンチテーゼでしょうか。
と、どの作品もひとくせもふたくせもあるもので、作者の実験指向が伺われる一冊でした。
作者プロフィール。
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あちこちに現代的な描写を感じる小説なのだけど、15年前の本なんですね。
p.s. 買い物にいったついでに晩御飯でラーメン食べてしまった。
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