平野啓一郎の三島由紀夫論はボリュームが多くてなかなか一気に読み進めることが出来ない一冊なのですが、その中で「金閣寺」と「鏡子の家」が対となっている作品ということを知り(三島自身もそう述べているとのこと)、読み直してみることにしました。
鏡子の家を読んだのはもう40年以上前のことなので、内容はあまり覚えてない^^し、金閣寺と対だと言われても何が何やらだったのですが、平野啓一郎の、金閣寺が「戦後が終わった時代」に生きることを決意した作品なのに対し、鏡子の家は「戦後が終わった時代の生き方」であるという解説に得心がいきました。
こちら内容紹介。主人公は、清一郎、峻吉、夏雄、治の4人。これらはそれぞれ、認識、行動、肉体、芸術についての三島の化身と言えるでしょう、これら4人が持っているニヒリズムこそが本作品の中心となります。そして4人の主人公らを映す鏡、というか分光するためのプリズムのような存在が鏡子です。
第一部では主人公らの思想、生き方、第二部ではその破滅が描かれています。
実際には破滅から逃れる一人がいるのですが、それが三島の現在への妥協(?)なのでしょうか。
三島のニヒリズムと経済繁栄に現を抜かした高度成長期への嫌悪感がよく表れた作品だと思います。
三島思想の表れだけでなく、昭和30年前後の風俗が窺える読み物としても面白かったです。三島の代表作のひとつ、として納得の作品です。
作者プロファイル。
初出は1959年、文庫化は1964年。
p.s. 藤井棋聖の強さが際立った、棋聖戦第三局。
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