愛だと思っているかもしれないけれど、
それは愛ではありません。
レンゲさんは愛だと思っているかもしれない。でもね、僕に言わせてもらえば、それは愛ではありませんよ。
では、何だとおっしゃるのですか?
寂しさを紛らわせるための一時的な慰(なぐさ)めですよ。
デンマンさんはあたしが愛を知らないとおっしゃるのですか?
もちろん知っているでしょう。でも、現実のあなたは、その時の寂しさに心が動かされるんですよ。愛に感じて心が動くわけじゃない!
どうしてそのような事をおっしゃるのですか?
レンゲさんは書いていましたよね。
幼児的な
ふれあいへの
あこがれ
わたしのぐずぐず
さびしいよおおおお!
彼氏にあえないからねえ・・・
でも、本当はね、ここがふんばりどころだと気付いてる
遊びだけの男とセックスするのはやめとこう
連絡したら来てくれるヤツもいるけど・・・
ずるずると同じことくり返して学習しないわたしを変える
誰とでもセックスするヤツやったんや!って
あの人を傷つけてしまった。
さびしさでこわれてるけど、きっと直る、この心。
どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、
この年になると、イコールセックスになるんやわあ。
Renge 2004-12-27 11:37:24
『愛とセックスは、もちろん、違いますよね?』より
また、この手記を持ち出すのですかあああ。。。
これを見るのはイヤですか?
だって、いつだってこの手記でしょう?これって誤解を与えるんですねん。
でも、レンゲさんが書いたんですよ。
それは、そうですけれど。。。書いた時にはそれ程のセンセーションを巻き起こすとは思わなかったんですわァ。
自分の気持ちに素直になれないと、このような手記は書けませんよ。だから、レンゲさんの率直な性格が良く表れているんですよ。でも、確かに誤解されやすいですよね。誰が読んでも、レンゲさんの事を良く知らなければ、ギョッとするような衝撃を与えますよ。
あたしはこの手記を書いたために、ずいぶんと非難されたんですねん。
それでブログを丸ごと削除してしまったんですね。
そうですねん。
レンゲさんにとっての“幼児的なふれあい”への憧れというのは、実はお母さんとの“スキンシップ”なんですよね。不幸にもレンゲさんにはお母さんとのこのような心温まる思い出が無かった。それでレンゲさんは書いていましたよね。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。
2005-08-13
わたしは生まれた時から、
必要な愛情をあたえられなかった。
両親ともに、
こんなめんどくさい生き物の
ニーズなんて考えもしない。
わたしはいつも見捨てられてきた。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。
わたしは、親を憎んでいました。
今は“血のつながった
やっかいな他人”だと思っています。
これからどうなるか分かりませんが、
今の私には親との和解は無理です。
ウチの親を客観的に見れば、
社会性が欠如していたんです。
ふたりともボンボンとお嬢だから世間知らずだし。
で、わたし親から最後の一撃食らわされて、
自分は将来利用するために育てられてきたことがわかっちゃって。
親はわたしに向かって確かにそう言ったのです。
それで、わたしは親から離れたのです。
by レンゲ
『デンマンさんが私のことをグロリア・スタイナムに似ていると』より
僕は幼児の頃、母親に抱かれた肌のぬくもりだとか、母親のオッパイを口に含んだときの乳首の感触だとか。。。そういうものが今だにおぼろながら記憶の片隅に懐かしく残っていますよ。僕にとって母親との関係は、上のジューンさんが子供を抱っこしている絵のように、まさに懐かしくも思いで深い心の温まるものですよ。ところが、レンゲさんの場合には、お母さんが生きているにもかかわらず、もう5年以上も会ってもいないし、電話で話したこともない。僕にはとても考えられない事ですよ。つまり、一言で言ってしまえば、崩壊した家庭に育ったんですよ。
そうかもしれません。あたしはそのように母親からの愛を知らずに育ってしまったんです。
つまり、あなたは母親とのスキンシップを全く感じないで大人になってしまったんですよね。そういうわけで、あなたの場合には
どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、
この年になると、イコールセックスになるんやわあ。
このようになってしまうんですよねぇ~。イコールセックスというのは飛躍だと思うのだけれど、レンゲさんの頭の中では全く矛盾なく受け入れられているんだよねぇ~。
おかしいですか?
なんとなく分かるけれど、愛イコールセックスとはならないよ。あまりにも短絡的な受け取り方ですよ。愛とセックスは全く同じものではありません。僕はそう思いますよ。
図で示すなら、普通、このようになりますよ。重なる部分があるけれど、同じではない。ところがレンゲさんの場合は次の図のようになるんですよ。
2つが重なるほどに接近してしまう。そして、寂しくなるとレンゲさんは決まってこの“幼児的なふれあい”を求めるように心が動いてしまう。
2004-09-03 21:39:51
ますますさびしさが
つのってくる。
わたしは拒否なんてしてない。
でも、わたしの世界の中で、
わたしは拒否されている。
悔やまれることばかり。
でも、自分がやらかしたこと。
ごめんなさい。
わたしが迷惑をかけてしまった人。
ごめんなさい。
不思議なことに、
希死念慮はわいてきていない。
それだけが不思議。
というよりは、逃げ道がない。
明日が来ませんように。
by レンゲ
『本当の寂しさはマイナス42度の原野で。。。』より
野々宮さんのことでも、レンゲさんが彼に“愛”を感じたのはこの寂しさがますますつのってきたからだと僕は思っているんですよ。
なぜですか?
レンゲさんには愛し合うボーイフレンドが居ませんでしたからね。付き合っていた彼は大阪です。電話したからと言ってすぐには会えない。そして、その寂しさがつのってきた時、身近に居たのが野々宮さんだったわけですよ。営業成績を上げるためにも、ずいぶんと野々宮さんには世話になったわけでしょう?
そうです。
だから、レンゲさんが野々宮さんに“愛”を感じても不思議ではないですよ。でもね、レンゲさんは、そのように感じているけれど本当の愛じゃない。あなたはそう思いたい。思い込みたい。“小説的人生”ですよ。
それは愛ではありません。
レンゲさんは愛だと思っているかもしれない。でもね、僕に言わせてもらえば、それは愛ではありませんよ。
では、何だとおっしゃるのですか?
寂しさを紛らわせるための一時的な慰(なぐさ)めですよ。
デンマンさんはあたしが愛を知らないとおっしゃるのですか?
もちろん知っているでしょう。でも、現実のあなたは、その時の寂しさに心が動かされるんですよ。愛に感じて心が動くわけじゃない!
どうしてそのような事をおっしゃるのですか?
レンゲさんは書いていましたよね。
幼児的な
ふれあいへの
あこがれ
わたしのぐずぐず
さびしいよおおおお!
彼氏にあえないからねえ・・・
でも、本当はね、ここがふんばりどころだと気付いてる
遊びだけの男とセックスするのはやめとこう
連絡したら来てくれるヤツもいるけど・・・
ずるずると同じことくり返して学習しないわたしを変える
誰とでもセックスするヤツやったんや!って
あの人を傷つけてしまった。
さびしさでこわれてるけど、きっと直る、この心。
どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、
この年になると、イコールセックスになるんやわあ。
Renge 2004-12-27 11:37:24
『愛とセックスは、もちろん、違いますよね?』より
また、この手記を持ち出すのですかあああ。。。
これを見るのはイヤですか?
だって、いつだってこの手記でしょう?これって誤解を与えるんですねん。
でも、レンゲさんが書いたんですよ。
それは、そうですけれど。。。書いた時にはそれ程のセンセーションを巻き起こすとは思わなかったんですわァ。
自分の気持ちに素直になれないと、このような手記は書けませんよ。だから、レンゲさんの率直な性格が良く表れているんですよ。でも、確かに誤解されやすいですよね。誰が読んでも、レンゲさんの事を良く知らなければ、ギョッとするような衝撃を与えますよ。
あたしはこの手記を書いたために、ずいぶんと非難されたんですねん。
それでブログを丸ごと削除してしまったんですね。
そうですねん。
レンゲさんにとっての“幼児的なふれあい”への憧れというのは、実はお母さんとの“スキンシップ”なんですよね。不幸にもレンゲさんにはお母さんとのこのような心温まる思い出が無かった。それでレンゲさんは書いていましたよね。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。
2005-08-13
わたしは生まれた時から、
必要な愛情をあたえられなかった。
両親ともに、
こんなめんどくさい生き物の
ニーズなんて考えもしない。
わたしはいつも見捨てられてきた。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。
わたしは、親を憎んでいました。
今は“血のつながった
やっかいな他人”だと思っています。
これからどうなるか分かりませんが、
今の私には親との和解は無理です。
ウチの親を客観的に見れば、
社会性が欠如していたんです。
ふたりともボンボンとお嬢だから世間知らずだし。
で、わたし親から最後の一撃食らわされて、
自分は将来利用するために育てられてきたことがわかっちゃって。
親はわたしに向かって確かにそう言ったのです。
それで、わたしは親から離れたのです。
by レンゲ
『デンマンさんが私のことをグロリア・スタイナムに似ていると』より
僕は幼児の頃、母親に抱かれた肌のぬくもりだとか、母親のオッパイを口に含んだときの乳首の感触だとか。。。そういうものが今だにおぼろながら記憶の片隅に懐かしく残っていますよ。僕にとって母親との関係は、上のジューンさんが子供を抱っこしている絵のように、まさに懐かしくも思いで深い心の温まるものですよ。ところが、レンゲさんの場合には、お母さんが生きているにもかかわらず、もう5年以上も会ってもいないし、電話で話したこともない。僕にはとても考えられない事ですよ。つまり、一言で言ってしまえば、崩壊した家庭に育ったんですよ。
そうかもしれません。あたしはそのように母親からの愛を知らずに育ってしまったんです。
つまり、あなたは母親とのスキンシップを全く感じないで大人になってしまったんですよね。そういうわけで、あなたの場合には
どうしても、幼児的なふれあいへのあこがれが、
この年になると、イコールセックスになるんやわあ。
このようになってしまうんですよねぇ~。イコールセックスというのは飛躍だと思うのだけれど、レンゲさんの頭の中では全く矛盾なく受け入れられているんだよねぇ~。
おかしいですか?
なんとなく分かるけれど、愛イコールセックスとはならないよ。あまりにも短絡的な受け取り方ですよ。愛とセックスは全く同じものではありません。僕はそう思いますよ。
図で示すなら、普通、このようになりますよ。重なる部分があるけれど、同じではない。ところがレンゲさんの場合は次の図のようになるんですよ。
2つが重なるほどに接近してしまう。そして、寂しくなるとレンゲさんは決まってこの“幼児的なふれあい”を求めるように心が動いてしまう。
2004-09-03 21:39:51
ますますさびしさが
つのってくる。
わたしは拒否なんてしてない。
でも、わたしの世界の中で、
わたしは拒否されている。
悔やまれることばかり。
でも、自分がやらかしたこと。
ごめんなさい。
わたしが迷惑をかけてしまった人。
ごめんなさい。
不思議なことに、
希死念慮はわいてきていない。
それだけが不思議。
というよりは、逃げ道がない。
明日が来ませんように。
by レンゲ
『本当の寂しさはマイナス42度の原野で。。。』より
野々宮さんのことでも、レンゲさんが彼に“愛”を感じたのはこの寂しさがますますつのってきたからだと僕は思っているんですよ。
なぜですか?
レンゲさんには愛し合うボーイフレンドが居ませんでしたからね。付き合っていた彼は大阪です。電話したからと言ってすぐには会えない。そして、その寂しさがつのってきた時、身近に居たのが野々宮さんだったわけですよ。営業成績を上げるためにも、ずいぶんと野々宮さんには世話になったわけでしょう?
そうです。
だから、レンゲさんが野々宮さんに“愛”を感じても不思議ではないですよ。でもね、レンゲさんは、そのように感じているけれど本当の愛じゃない。あなたはそう思いたい。思い込みたい。“小説的人生”ですよ。