男女の愛は閉鎖的か?(PART 1 OF 3)
バカバカしい
テーマ: ヲチヲチヲチ~♪
ああ。バカバカしい。
男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛をいっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。
それとも、ただのエロなのか?
もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。
posted by merange
2009-03-08 18:48:47
『バカバカしい (2009年3月8日)』より
デンマンさん!。。。これはめれんげさんが書いたのでしょう?
そうですよう。
でも、めれんげさんの『即興の詩』のサイトに書いたものではありませんよね?
違います。めれんげさんはアメブロ(Ameblo)でも、ときたま記事を書いているのですよう。
つまり、上の記事は、めれんげさんがアメブロで書いたものですか?
そうですよう。
デンマンさんは、そのサイトで上の記事を見つけたのですか?
そうなのですよう。うしししし。。。
デンマンさんが「広い愛」と「狭い愛」について書いたことをめれんげさんはバカバカしいと言っているのですわ。しかも、デンマンさんが漢字馬鹿さんに、いつも言っている事をデンマンさんに言っているのですわ。うふふふふ。。。
レンゲさんは面白いのですか?
だってぇ~、デンマンさんを低能児扱いしているのですものォ~。うふふふふ。。。デンマンさんのような低脳な方と、かかわっていると、めれんげさんまでが悪影響をうけてしまいます、と言っているのですわ。うふふふふ。。。
うしししし。。。
デンマンさんまでが、あたしと一緒に笑う事はないでしょう!?デンマンさんは低脳児扱いされているのですわぁ~。
そうですよう。分かっていますよう。
でも、デンマンさんはムカつかないのですか?
ムカつきませんよう。
どうして。。。?
だってぇ、レンゲさんが次のような素晴しい手記を僕に書いて、ムカつく事がどれだけ愚かな事かと言う事を教えてくれたのですよう。うしししし。。。覚えていますか?
本当のわたしの気持ち
井戸端会議と言われてもかまわないんです。
その中から、有意義な付き合いができる人があらわれれば。
デンマンさんに対する投稿もいつも常にデンマンさんを満足させられる内容のものなんて書けません。
嫌味じゃなく、わたしは本当に、おヴぁかさんですから。
わたしのIQだって、たしかにあの数値らしいですけど、
そんなもので何を測れるのでしょう。
・・・「自慢」ですか。
以前は、ずいぶんと身に余るほどの、
お言葉をいただきましたね。
薬だって、先生の処方にのっとって服用しています。
本当に薬漬けかどうかというのは、
わたしと生活してみないとわからないことだと思います。
だから、根拠のない中傷ではないですか?
わたしがすぐに感情的になる、すぐキレるヒステリー女ですか。
でも、それは何かに反応したからですよね。
いろんな種類の人格障害を、全部同じもののように言わないでください。
こんなわたしでも、おびえてしまう種類の人とかもいますよ。
デンマンさんも、すぐキレますよね。
自分の意に沿わない発言をぶつけられたら、
対話どころかキレますよね。
相手をののしり、自分の正当性を訴えますよね。
違いますか?
デンマンさんって冷たい人だと思います。
わたしの体調もおかまいなしに、
常にデンマンさんを満足させられる投稿を求めて来られますよね。
しんどい時くらい、井戸端会議で許してもらえません?
わたしとしては、とてもしんどくてすぐにでも寝たいけど、
デンマンさんにメッセージを送っておかないと、
デンマンさんが心配されるんじゃないかと思うので、
せめて、生きてるということをお知らせしていたんです。
心配して下さる方だと思って信じていたんです。
だから、わたしとしては常に誠意を示していたつもりです。
どうぞ、わたしには悪意はないことを、ご理解ください。
by レンゲ
2004/12/24 12:35
『レンゲさん、薬漬けになっていませんか?』より
(2005年11月21日)
デンマンさんは、あたしが書いたものは何でも保存しておくのですか?
そうですよう。レンゲさんが書いたものはレンゲさんと同じように愛(いと)しいから。。。うしししし。。。
急にそのように持ち上げられると、なんだか気味が悪いですわぁ~。。。で、どうして、めれんげさんの書いたものを取り上げたのですか?
シェイクスピアの目の付け所は間違っていないと思ってね。
シェイクスピアですか?
そうですよう。
なぜ、急にシェイクスピアを持ち出すのですか?
『リア王』の悲劇が思い浮かんだのですよう。
『リア王』の悲劇ですか?
そうですよう。分からない人のために、ちょっとばかり解説を。。。
リア王
『リア王』(King Lear)は、シェイクスピア作の悲劇。
5幕で、1604年から1606年頃の作。
四大悲劇の一つ。
長女と次女に国を譲ったのち2人に追い出されたリア王が、末娘の力を借りて2人と戦うも敗れる。
王に従う道化に悲哀を背負わせ、四大悲劇中最も壮大な構成の作品との評もある。
材源
リア王のモデルはブリタニアの伝説の王レイアで、それに関するさまざまな文献が『リア王』の材源となっている。
その中でもとくに重要なものは、史劇でも主材源として使っていたラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed)の『年代記(Chronicles)』(1587年出版の第2版)だが、これは12世紀のジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』に基づいている。
1590年のエドマンド・スペンサー作『妖精の女王』にもコーディリアという名前の登場人物が出てきて『リア王』同様殺される。
『リア王』と内容が類似した『レア王』という作者不詳の劇がある(1605年出版)。
アーデン版の編者R・A・フォークスは、シェイクスピアはこの『レア王』のテキスト(上演の記憶からではなく)を材源にしたとする。
しかし、リヴァーサイド版の編者フランク・カーモードはその時には既にシェイクスピアは『リア王』を書き上げていたと反論している。
1936年、A・S・ケアンクロスは、2つの劇の関係は逆である、つまり、シェイクスピアの『リア王』が先に書かれ、『レア王』の作者はそれを模倣したのだと主張した。
しかし、1594年の書籍出版業組合記録に『レア王』の記載があり、同年のフィリップ・ヘンスロー(Philip Henslowe)の日記にも『レア王』を1594年にローズ座(The Rose)で観劇したという記録が残っている。
ところで、この2つは綴りは違うが『リア王』のことだとする意見もある。
ちなみに『レア王』はめでたく終わっているが、シェイクスピアは悲劇とし、『レア王』には登場しない道化(シェイクスピアが自らの作によく登場する道化を集成させたものと言われる)やグロスター伯らに関する話がある。
創作時期
出版登録がなされたのは1607年11月26日で、1606年12月26日に宮廷で上演されたと記されている。
よって、1606年末以前に書かれたと考えられる。
もし出版された『レア王』をもとにしたのであれば、1605年の下半期から1606年の間に執筆されたことになる。
あらすじ
ブリテンの王であるリアは、高齢のため退位するにあたり、国を3人の娘に分割し与えることにした。
長女ゴネリルと次女リーガンは言葉巧みに父王を喜ばせるが、末娘コーディリアの率直な物言いに、激怒したリアはコーディリアを勘当し、コーディリアをかばったケント伯も追放される。
コーディリアは勘当された身でフランス王妃となり、ケントは風貌を変えてリアに再び仕える。
リアは先の約束通り、2人の娘ゴネリルとリーガンを頼るが、裏切られて荒野をさまようことになり、次第に狂気にとりつかれていく。
リアを助けるため、コーディリアはフランス軍とともにドーバーに上陸、父との再会を果たす。
だがフランス軍は敗れ、リアとコーディリアは捕虜となる。
ケントらの尽力でリアは助け出されるが、コーディリアは獄中で殺されており、娘の遺体を抱いて現れたリアは悲しみに絶叫し世を去る。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
。。。で、なぜデンマンさんは『リア王』を持ち出したのですか?
黒澤明監督の『乱』を観た人は、話の筋が『リア王』と、マジで似ていると思うはずです。
デンマンさんは観たのですか?
僕はバンクーバーで観たのですよう。やはり、素晴しい映画だと思いましたね。観たことのない人のために。。。
乱
『乱』(らん)は、1985年に公開された黒澤明による映画作品である。
日本とフランスの合作。
黒澤監督の第27作目であり、時代劇としては最後の作品となった。
架空の戦国武将・一文字秀虎を主人公にその晩年と3人の息子との確執、兄弟同士の擾乱を描く。
毛利元就の「三本の矢」の逸話も取り入れてはいるが、物語の骨格はウィリアム・シェイクスピアの悲劇『リア王』である。
黒澤は『乱』を自分の「ライフワーク」と位置づけ、また「人類への遺言」でもあるとしている。
あらすじ
戦国時代を生き抜き、3つの城を抱える領土を維持した一文字秀虎。
ある日突然、秀虎は家督を3人の息子に継がせ、自身は隠遁する決意を客人たちの前で告げた。
彼は3本の矢を手に取り、「1本の矢は折れるが、3本束ねると折れぬ」と言いながら、息子たちにお互い助け合いながら一文字家を繁栄させるよう説いた。
しかし、父親思いの三男・三郎は、70歳になる父親に対峙し、
「父上は馬鹿だ。耄碌したのか。息子達が助け合うなどとは考え難く、血で血を洗う事態になるだろう。」
そう言って父親の甘さを戒め、3本の矢を力ずくでへし折ってみせた。
客人たちの前で愚弄されたと感じた秀虎は、三郎とその重臣である平山丹後をその場で追放した。
客人の一人である別の国の主・藤巻は三郎を気に入り、三郎を婿として迎え入れることを思案した。
一方、秀虎の残る2人の息子にかける期待は、思いのほか早く裏切られることとなる。
太郎の奥方である楓の方は、親兄弟を秀虎に殺された恨みを抱いており、太郎を巧みに動かして秀虎の失墜を画策する。
隠居した身とはいえ忠実な家来を抱え、城の中で未だに影響力を持つ父親に対し、太郎は、今後は自分が領主なのだから、一切の事は自分に従うようにと迫る。
太郎の強行な姿勢に立腹した秀虎は、家来を連れて次郎の元に赴くが、次郎は「家来抜きであれば秀虎を迎え入れる」とそっけなく告げる。
家来を見捨てることなど出来ない秀虎は、家来達と野をさまよう事態に陥ってしまう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒澤監督も「ライフワーク」だと言っているように、『リア王』にも『乱』にも、その悲劇の共通性があるのですよう。
その悲劇の共通性って何ですか?
その事については、すでに僕は一度書いたので、同じ事を書くのは面倒だから、ここに引用しますよう。ちょっとレンゲさんも読んでみてください。
(すぐ下の記事へ続く)