雨降って仲直り?
愛の世界
僕がエドモントンに居た頃に付き合っていたシングルマザーのことを書きますけれどね、この女性はエミリーさん(仮名)といって3人の子持ちでした。長男が5つぐらいでしたよ。
そのエミリーさんは30歳ぐらいの女性ですか?
そうです。
きれいな方だと言いたいのでしょう?
いや、ブスだとか美人だとかは、この場合関係ないんですよ。
でも、デンマンさんが付き合っていた方ですから気になりますわァ。
こんな感じの人でしたよ。
きれいな方ですわ。デンマンさんがお付き合いする人って、どうしてこのようにォきれいな方ばかりなんですの?
これは実物の写真ではありませんよ。プライバシーを守らなければなりませんからねぇ。
(中略)
。。。それで、そのエミリーさんはどんな躾(しつけ)をしていたのですか?
それが驚いたのなんのって。。。
だから、どのような。。。
そう、せかせないでくださいよ。今から言いますからねぇ。その5歳のマイケル君が食事のあとに皿洗いをするんですよ。5歳ですよ。日本では考えられない事でしょう?僕は危ないのじゃないか?と思いましたよ。ナイフなんかがシンクの中に混ざっていますからね。
しかし、5歳の坊やでは流し台にとどかないでしょう?
そうなんですよ。欧米の台所の流しはかなり高いですからね。そのままではとてもマイケル君には皿洗いができないんですよ。
それでどのようにして?
ビール瓶が1ダース入ったプラスチック製のケースがスーパーマーケットなんかにあるでしょう?あれが台所の隅に置いてあってね、それをマイケル君が流しの所に引きずって行き、ケースをひっくり返してその上に乗るんですよ。
そんなことまでして5歳のマイケル君に皿洗いをさせるのですか?ちょっと可哀想ですわ。
そうなんですよ。見かねて“危ないから僕がやりましょう”と申し出たのだけれどね、“それは躾のひとつだからマイケルにやらせているの”と言って僕の申し出を断固として拒絶しましたよ。
エミリーさんの家が特別なのではありませんか?
いや、そういうわけじゃないんですよ。欧米で僕は他の家でも同様な躾を何度か見ています。僕自身の小さい頃や、その当時友達の家に遊びに行った時などに目にした家庭の様子などを振り返ってみて、日本人の家庭では子供が甘やかされていると、僕はしみじみと感じましたよ。
しかし、躾と家庭崩壊とどのような関係があると言うのですか?
つまり、躾を通して社会的な規則や家族の絆を学んでゆくという姿勢ができてゆくと思いますね。マイケル君のような5歳の男の子に日本で皿洗いをさせたら、児童虐待と言われかねないかもしれません。でもね、もし、上の7人を殺害したカップルが幼い頃しっかりした家庭教育を受けていたら、社会的常識や規則、家族の絆を身に着けていたでしょう。だから、あのような無残な殺人をやってのけるような事にはならなかったと僕には思えるんですよ。
そうでしょうか?
じゃあ、もう一つエピソードを。。。僕はエミリーさんと子供たちと一緒に近くのショッピングセンターへ買い物に付きあった事があるんですよ。その時マイケル君がおもちゃの棚のところでプラモデルの飛行機が欲しいと言って駄々をこねたんです。エミリーさんは“前にも同じようなプラモデルを買ったじゃないの?あのプラモデルを途中で投げ出してしまったでしょう?だからこれは駄目よ!まだ、あのプラモデルがあるのだから、これは元の所に返してきなさい” このように言ってエミリーさんは断固として譲らなかったんですよ。
それで。。。?
マイケル君は泣きだしてしまいましたよ。“泣く子と地頭には勝てぬ”という諺が日本にはありますが、エミリーさんは断固としてマイケル君の言う事を無視し続けました。日本人の母親なら、子供が泣いてまで欲しがるのだから、おもちゃを買い与えてしまうかも知れませんよね。しかもショッピングセンターで子供が泣き出して駄々をこねる様子は日本人なら“みっともない”と考えて、そう高くはないおもちゃを買い与えてしまうかも知れません。
それで、どうしたのですか?
エミリーさんは全く取り合わなかったですよ。僕は、マイケル君にかなり同情していました。皿洗いまでしていましたからね。ご褒美に、もう一つぐらいプラモデルを買い与えてもいいのじゃないか?僕は、そう思いましたよ。
デンマンさんはどうなさったのですか?
僕が買ってあげると言い出したところで、エミリーさんが拒絶するのが分かっていましたからね。僕は何も言いませんでしたよ。あとでマイケル君にエミリーさんには内緒で買ってあげるつもりでした。そのことよりも、このあとマイケル君がどのような態度を取るのか?そのことの方に興味がありましたね。
マイケル君はどうしたのですか?
マイケル君もお母さんの性格が全く分からないわけじゃない。ひとしきり泣いていたけれど、お母さんが買ってくれないと分かると、泣き止みましたよ。そうなると、お母さんの機嫌を損ねた事が気になるのですね。マイケル君が駄々をこねたのでエミリーさんは無視し続けましたからね。マイケル君はエミリーさんと少し離れながら、買い物のあとに付いて行きましたよ。エミリーさんも気にならないわけじゃない。時々マイケル君の様子を見ていました。レジに着く頃にはマイケル君は駄々をこねた事を少し反省したらしくて、エミリーさんの手をそっと取って、じっと見上げるんですよ。
エミリーさんは何と言ったのですか?
何も言いませんでした。でも、マイケル君が握った手を離さずに、見上げるマイケル君にちょっぴり笑みを浮かべました。“Mommy, I'm sorry.” マイケル君は小さな声でそう言いました。エミリーさんはそんなマイケル君を見て前よりもやさしい笑みを浮かべたものですよ。僕がハッと思ったのはその次にマイケル君が言った言葉です。“Mommy, I love you.” 日本では、絶対にこのような会話は聞く事ができないですよね。
いいお話ですわァ。“小説的人生”を送っているあたしにはうらやましい限りです。
■ 『レンゲさんの小説的人生』
僕はその時、“家庭の絆”を目にしたような気がしましたよ。躾は厳しいだけじゃない。“母親のぬくもり”も充分にマイケル君に伝わっていたんですよね。この厳しさと母親のぬくもりが現在の日本には欠けているのではないか?実の両親と妹夫婦とその子供たちを殺し、死体を切り刻み鍋で煮て、ミキサーにかけてジュースにして捨てる。この死体なき完全犯罪をしようとした43歳の女性は心が壊れているとしか考えられないですよ。実際にこの犯行を考えたのは内縁の夫だったけれど、その夫の言うままに従ったこの女性の心は、決して正常ではなかったでしょう。このようなことが起こらないためにも、日本人はもう一度“家庭の絆”という事を考えてみる必要があるのじゃないか?そうすれば、レンゲさん、あなたが育ったような崩壊した家庭も無くなるような気がするのですよ。ちょっと、言い過ぎましたか?
いいえ、あたしの耳には痛みが残りましたが、デンマンさんの言われた事は理解できますわ。
そうですか。そう言ってもらえると、ちょっと長めに書いた甲斐がありますよ。レンゲさんが、いづれお母さんと仲直りできる事を祈っています。
『不倫と家族の絆 (2005年10月2日) 更新版』より
『不倫と家族の絆 (2005年10月2日)』
(SO-NET の「デンマンのブログ」のオリジナル版)
デンマンさん!。。。今日もわたしを引っ張り出すのですか?
いけませんか?
いけない!と言ったところで、デンマンさんのことですから、何らかの形でわたしと対話しようとこころみるのでしょうから。。。
めれんげさんとの付き合いも丸5年になりますからねぇ。。。僕の思っていることが分かるようになりましたね。
それは、お褒めの言葉でしょうか?
もちろんですよう。めれんげさんも同じ失敗を何度も何度も重ねるつもりはないでしょう?
ええ。。。もちろん、失敗を重ねたくはありませんわ。でも、今回のことでは、わたしは失敗したとは思えないのですけれど。。。
うん、うん、うん。。。めれんげさんが、そのように言うことは僕も充分に理解できますよう。ムカついて次のように書いていましたからね。うしししし。。。
バカバカしい
テーマ: ヲチヲチヲチ~♪
ああ。バカバカしい。
男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛をいっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。
それとも、ただのエロなのか?
もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。
posted by merange
2009-03-08 18:48:47
『バカバカしい (2009年3月8日)』より
めれんげさんは失敗したつもりではないかもしれん。
デンマンさんは、わたしの書いたことが間違っていると言うの?
男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
上の命題が、もし間違っていないとすれば、上の命題は、めれちゃんの極めて個人的な考え方やがなぁ。
そうでっしゃろか?
そうやがなぁ~。それが世界に通用するとは、わては思えんのやぁ。
どうしてぇ。。。?
あのなぁ~、上のエミリーさんとマイケル君のエピソードを読んでみィ~なぁ。。。めれちゃんは気づかなかったんか?
何をですゥ~?
アメリカでもイギリスでもカナダでも、男と女が愛を告白するときには I love you. と言うのやがなぁ。そいで、マイケル君のようにお母はんに対して思いの内を語るときでも I love you. と言うのやがなぁ~。日本では考えられないやろう?
そうですなぁ~、確かに日本では、子供がお母はんに“愛している”とは言いませんわ。
そ~やろう?
つまり、デンマンさんは、“愛”は男女の愛であれ親子の愛であれ、もともと閉鎖的なものではないと言いたいのォ~?
そうやがなぁ。エミリーさんには、3人の子が居たのや。その3人の子供の誰をも、エミリーさんは愛していた。
それは母親が子供を愛する愛ですわ。男女の愛ではありしませんわ。
あのなぁ~。。。愛の本質を考えるときに男女の愛も親子の愛も変わりはあらへん。
変わりがあると思いますわ。男女の愛が、閉鎖的であるのは当然なのですわ。
だから、そう考えるのは、めれちゃんの極めて個人的な意見やがなぁ~。。。愛の本質って、めれちゃんは何やと思ってるのや?
好きになることですゥ~
違うなぁ。
そんなら、何ですか?
大切な人に対する思いやでぇ~。わては大切な人はいつまでも愛している。めれちゃんのようなことは絶対に言わへん。