怨霊の歴史 (PART 1)

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デンマンさん。。。 今日はオバケのお話で あたくしをお呼びになったのでござ~♪~ますか?

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オバケとはちょっと違うんだけれどねぇ~。。。
怨霊ってぇ、オバケのよなものではござ~ませんかァ~。。。 たとえば、あの有名な“お岩さん”とか。。。
確かに、日本でオバケと言えば、まず“お岩さん”のオバケが3本の指に入るかも知れません。。。
四谷怪談

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四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談。
江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっている。
基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名である。
怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在する。
あらすじ
四谷在住の御先手鉄砲組同心の田宮又左衛門のひとり娘である岩は、容姿性格共に難があり中々婿を得ることができなかった。
浪人の伊右衛門は、仲介人に半ば騙された形で田宮家に婿養子として岩を妻にする。
田宮家に入った伊右衛門は、上司である与力の伊東喜兵衛の妾に惹かれ、また喜兵衛は妊娠した妾を伊右衛門に押し付けたいと思い、望みの一致したふたりは結託して、岩を騙すと田宮家から追う。
騙されたことを知った岩は狂乱して失踪する。
岩の失踪後、田宮家には不幸が続き断絶。
その跡地では怪異が発生したことから於岩稲荷がたてられた。
出典: 「四谷怪談」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

お岩さんの恨みで田村家の跡地ではお岩さんのオバケが出てくるようになったのでござ~ますわァ。。。 だから、“お岩さん”はりっぱな「怨霊」ですわよう。。。
怨霊

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怨霊(おんりょう)とは、自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、たたりをしたりする、死霊または生霊のことである。
生きている人に災いを与えるとして恐れられた。
憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。
これが生きている人に災いを与えるとして恐れられている。
霊魂信仰の考え方では、霊魂が肉体の中に安定しているときその人は生きていられる、と考える。
怨みや憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して生霊となり災いを与える、と考える。
戦死、事故死、自殺などの非業の死をとげた人の場合は、霊肉がともにそろった状態から、突然、肉体だけが滅びた状態になる、とされる。
したがって、その人の霊魂は行き所を失い、空中をさまよっていると考えた。
これらの霊が浮遊霊である。
平安時代の書物にさかんに現れる物の怪(もののけ)、中世の怨霊や御霊、近世の無縁仏や幽霊などは、いずれもこうした浮遊霊の一種とみることができる。
怨霊を主題とした講談や物語などがあり、こういったフィクションなどでは様々な設定で描写されることもある。
出典: 「怨霊」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

確かに、卑弥子さんの言うことは もっともです。。。

。。。で、どういうわけで、急に「怨霊」を取り上げたのでござ~ますか? 最近は、幼い子供でも、“オバケ”など信じませんわよう。。。
でも、漫画の『ゲゲゲの鬼太郎』は子供たちの間で人気がありますよう。。。 子供は、妖怪が好きなのですよう。。。
デンマンさんも子供時代に 『ゲゲゲの鬼太郎』にハマッたのでござ~ますかァ~?

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いや。。。 僕は子供時代から、オバケだとか、妖怪だとか、怨霊というものを馬鹿にして 全く信じませんでした。。。 だいたい、昔はお月さんには ウサギが居て餅つきをしていたなどという子供騙しの話がありましたからねぇ~。。。 ロケットで人間が着きに行くような時代に、月でウサギが餅つきをしているなどと、『ゲゲゲの鬼太郎』にハマッている子供でも 誰も信じませんよう。。。

確かに、月世界にウサギがすんでいるなどと、最近の子供たちは信じないかもしれませんわ。。。
僕にとって、オバケだとか、妖怪だとか、怨霊というのも、“月に住んでいるウサギ”と全く同じで信じてないのですよ。。。

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それなのに、どういうわけで怨霊を取り上げたのですか?

あのねぇ~、最近の人は 怨霊など信じないと僕は信じていたのですよ。。。 でもねぇ~、けっこう信じている人たちが現在でも居るのですよ。。。 ちょっと驚いたのです。。。
いったい、どなたが信じているのでござ~ますか?
たまたまバンクーバー市立図書館で借りていて本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。
平将門の怨霊

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大正12年(1923)9月の関東大震災で、大蔵省の庁舎はことごとく焼け落ちた。
将門塚の古蹟保存碑も激しい振動で倒れてしまった。
復興の過程で池は埋められ、それまで前方後円墳の墳丘の形をよくとどめていた将門塚は、完全に取り崩された。
更地となった跡地には大蔵省の仮庁舎が建てられた。
将門の祟りが噂され出したのはこのころからであった。
大正15年6月に若槻礼次郎内閣の大蔵大臣となったばかりの憲政会所属の速水聖爾(はやみせいじ)が9月に急逝し、現職の課長ら職員十数人が次々に死亡。
さらに、塚の上に立てた仮庁舎での転倒事故が続出したことから、将門塚を破壊した祟りだといううわさが広まったのである。
昭和3年(1928)、塚のあった位置に建つ建物をわざわざ取り壊して将門塚を復元し、時の大蔵大臣三土忠造(みつちちゅうぞう)以下幹部職員列席のもと、神田神社社司による慰霊祭が営まれた。
だが、それも空しかった。
昭和15年(1940)6月20日、突然の暴風雨が東京を襲い、午後10時、大手町の逓信省航空局に雷が落ちた。
落雷により火災が発生し (略) 大手町一帯に燃え広がったのである。 (略)
人的被害も甚大で、消火作業中の警防団員二人が殉職したのをはじめ、重軽傷者は107人に及んだ。
この火災に震え上がったのが、大蔵省関係者だった。
この年は、平将門が討たれた天慶3年(940)からちょうど1000年目にあたる。
急遽、(略)「南無阿弥陀仏」の板碑を模刻して建立。
ふたたび神田神社の社司を招いて、厳粛に慰霊祭が執行されたのである。
昭和18年、大蔵省が霞ヶ関に移転すると、跡地は都有地となった。(略)
戦後、占領軍はこの場所に巨大なモータープール(駐車場)を造成し始めたが、占領軍の命令で将門塚をブルドーザーで壊そうとした日本人が転落して死亡する事故が発生。(略)
このときは神田神社の氏子の代表がGHQに出頭して事情を説明し、何とか塚の破壊は免れている。
(中略)
将門塚周辺は再開発ラッシュである。
三井不動産は、大手町の三井物産本社ビル、旧プロミス本社ビル(旧長銀ビル)など3棟を再開発し、41階と30階の超高層ビル2棟を建てる計画を発表したが、敷地の一角にある「将門の首塚」は計画に含まれず、周囲は緑地にするようだ。

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三井不動産の広報によれば、将門塚を「神聖で大切な場所と認識している」という。
将門信仰は、今も脈々と生きているのかもしれない。
(93-96ページ)
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
『地図と愉しむ東京歴史散歩 地下の秘密篇』
著者: 竹内正浩
2016年10月25日 第1刷発行
発行所: 中央公論新社

あらっ。。。 平将門さんのことは あたくしも存じ上げておりますけれど、将門さんの怨霊が祟って これほど多くの人間が亡くなったということは初耳でござ~ますわァ~。。。

実は、僕も歴史のことについては、かなり詳しいつもりで居たのだけれ、将門さんの怨霊が祟って これほど多くの人間が亡くなったということは初耳だったのですよ。。。
でも。。。、でも。。。、デンマンさんのことですから、絶対に信じないのでしょう?
あれっ。。。 卑弥子さんには僕の心が読めるのですかァ~?
もちろんでござ~ますわァ。。。 デンマンさんとも長いお付き合いでござ~ますから。。。 で、デンマンさんは、怨霊でないとしたら、亡くなった人たちは、なぜ立て続けに亡くなったのでござ~ますか?
あのねぇ~、怨霊の歴史は、なにも将門さんから始まったわけじゃない! 古い話で最も有名な怨霊はツタンカーメンの怨霊ですよ。。。
王家の呪い

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王家の呪い(おうけののろい、curse of the pharaohs)とは、エジプト王家の墳墓を発掘する者には呪いがかかる、という信仰である。
ファラオの呪い、ツタンカーメンの呪いとも呼ばれる。
1920年代のエジプトにおいて、王家の谷でツタンカーメンの墳墓を発掘してミイラをとりだしたカーナヴォン卿および発掘に関係した数名らが、発掘作業の直後次々と急死したとされる出来事からこうした伝説が生まれた。
現在まで語り継がれているが、墓の開封に立ち会った人で実際に急死したのはカーナヴォン卿だけであり、そのカーナヴォン卿も発掘以前に髭を剃っていた時に誤って蚊に刺された跡を傷つけたことにより熱病に感染し、肺炎を併発したことが死因であることが確認されている。
何らかのガスが墳墓に溜まっていて、墳墓をあばいた時にそれを吸った影響ではないか、と見なす人もいた。
たとえばアーサー・コナン・ドイルもそれに類した見方を好んだ一人で、王の墳墓を荒らす墓荒らしを懲らしめるために致死性のカビのようなものが意図的に配置されていたのではないかと見なした。
現在では古代エジプト墳墓の空気も調査されているが、有毒なガス、カビの存在は確認されていない。
ツタンカーメンの墓の発掘に直接携わった者で1年以内に亡くなったのはカーナヴォン卿だけである。
呪いの真相については、ハワード・カーターと独占契約を結んだタイムズに対抗した他の新聞社が、発掘関係者が死亡するたびに「王家の呪い」と報じたことが原因である。
出典: 「王家の呪い」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ツタンカーメンの墓を暴(あば)いた呪(のろ)いで カーナヴォン卿が亡くなったと言う話はエジプトに関心がある人は、誰でも知っていると思うのですよ。。。 でもねぇ、上の説明にもあるよう、墓の開封に立ち会った人で実際に急死したのはカーナヴォン卿だけであり、そのカーナヴォン卿も発掘以前に髭を剃っていた時に誤って蚊に刺された跡を傷つけたことにより熱病に感染し、肺炎を併発したことが死因であることが確認されているのですよ。。。

つまり、怨霊のために亡くなったと言う伝説には、必ず科学的に説明がつく理由があると、デンマンさんは主張するのでござ~ますかァ?
そうですよ。。。 あのねぇ~、我々人間には、昔から話を面白くしようとする好奇心があるのですよ。。。 だから、お月さんとウサギの話ができたのです。。。
では、将門の怨霊によって速水聖爾(はやみせいじ)が9月に急逝し、現職の課長ら職員十数人が次々に死亡したという事実を デンマンさんはどのように説明なさるのでござ~ますかァ?
簡単なことですよ。。。 速水聖爾さんは、脳梗塞で急死したのですよ。。。
では、その後で続いて亡くなった現職の課長ら職員十数人の死は、どのように説明なさるのでござ~ますかァ?
ツタンカーメンの場合でも、「発掘に関係した数名らが、発掘作業の直後次々と急死したとされる出来事」があったけれど、墓の開封に立ち会った人で実際に急死したのはカーナヴォン卿だけなのですよ。。。 つまり、その他の人たちの死は、言わば話に付いた“尾びれ”や“背びれ”なのですよ。。。 そのようにして、話が出来上がり、世の中の人たちの興味や好奇心をそそったわけです。。。 つまり、そうやってメディアが記事で取り上げて新聞や雑誌の売り上げを伸ばすわけですよゥ。。。
分かりましたわ。。。 んで、平将門の怨霊も新聞社や雑誌社が売り上げを伸ばすために、“怨霊の話”を記事にしたということですか?
その通りです。。。 時間軸に沿って現職の課長ら職員十数人の死を並べれば、それぞれに病気や事故で亡くなっているのです。。。 平将門の首塚が無かったとしたら、その人たちの死は全く誰もが気にも留めなかったかもしれない! だけど、新聞社や雑誌社は、売り上げが伸びるので、そういう話を記事に書いたわけですよ。。。
つまり、 「四谷怪談」のお話も、当時のマスメディアが売り上げを伸ばすために、デッチあげたお話なのでござ~ますかァ?
そうですよ。。。 お月様とウサギと同じようにして出来上がった話ですよ。。。
でも。。。、でも。。。、それでは身も蓋もないじゃござ~ませんかァ!
だから、怨霊を信じたい人は信じればいいのですよ! 信じたくない人は信じなくてもいいのですよ! 思想・信条の自由があるのだから。。。 人間の尊厳を支える基本的条件です。。。 また民主主義の前提です。。。 信教の自由、学問の自由、表現の自由、言論の自由とつながるものです。。。 国際法では市民的及び政治的権利に関する国際規約として、また、日本では日本国憲法第19条で思想及び良心の自由として保障されているのですから。。。
でも。。。、でも。。。、それでは木で鼻をかむようではござ~ませんかァ?
だから、「四谷怪談」を信じるのも「将門の怨霊」を信じるのも卑弥子さんの自由ですよ。。。 僕は卑弥子さんの自由を奪うつもりはありません。。。
でも。。。、この記事を読んでいるネット市民の皆様が不満そうなお顔をしていますわァ~。。。
僕の責任じゃありません。。。 文句があるなら、新聞社と雑誌社に問い合わせてください。。。

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