クラシック鑑賞 8 (PART 1)
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デンマンさん。。。、最近、クラシックにハマっているのですかァ~?
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僕はクラシックは、どちらかと言えば苦手なんだよ。。。
それなのに、どういうわけで、最近オイラと たびたびクラシックを鑑賞するのですか?
オマエは不満なのォ~?
いいえ。。。 デンマンさんと共にクラシックを鑑賞することができるなんてぇ~、天にも昇るような気持ちですよ。。。 この際、スキップして喜んでもいいですか?
あのさァ~、いくらなんでも、それはオーバーじゃないのォ~? オマエが以前のようにスキップして喜んだら、この記事を読みにやって来たネット市民の皆様が呆れて他のブログへ飛んでしまうのだよ!
分かりました。。。 じゃあ、スキップして喜びたいのですけれど、デンマンさんが そのように言うのであれば、じっと我慢したいと思います。。。で、いったいどのクラシックの曲を鑑賞するのですか?
オマエが“間奏曲集”の中で書いていた記事から選んだのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!
3.8 Richard Wagner (1813 – 1880)
誰かが、Wotanは、世界一の大馬鹿野郎だ、と言っていたが、彼は間違えている。Wotanは、世界で二番目の馬鹿である。
そのWotanが登場する、R. Wagnerの<<Der Ring des Nibelungens>>を延々と聴いていたときのことである。この支離滅裂な筋書きのなかでも、WotanとBrünnhildeの別れの場面、Die Walküre – Akt IIIの終りは、私にとっても感動的であった。
娘と別れるときの父親の気持ちに、いつの日にかは、私自身も避けられない時が来る、という自覚とともに、妙に共感して、しんみりとしてしまったのであった。柄にもなく、そんな気持ちになったのは、娘を思う父親よりも、父親を想う娘の気持ちの方が深いのではないか、ということが、たまたま、私どもにも共通しているように思いあたったからである。平和な時代に、平和な地域に住んでいる私の単なる感傷、と言ってしまえば、それまでのことではあるが、今際の時に、私は、ひとめでも私の娘たちに会いたい、と想うのではないか、と予想もしたのである。その意味では、私は、日本に住む私の両親には親不孝をしている、と思う。どちらの臨終にも、多分、間に合わないであろう。
ところが途端に隣の部屋から下手なピアノの音が鳴り響いてきたのである。すかさず、うるさい!と呶鳴りつけて、そちらに行ってみると、長女が弾いているのを次女が眺めている、まるで絵のような情景が目に入ったのである。次女が、心配そうな顔で私を見た時、今はピアノは駄目だ、と短く言って引きあげたのであるが、その時に、何故か、私の心をかすめたのは、親があっても子は育つ、という坂口安吾の言葉であった。
私が音楽に於ける感情の表出や、それに伴う気ままな連想、或いは感想を、自分の心の中の動き、蠢動として感じはしながらも、さほど、それを信用していないのは、そのあたりに理由がありそうである。一つの音も聴き逃すまい、と集注して、緊張して、しかし、忙しくWagnerの音楽に耳を傾けていた時とはいえ、私の心の中は、娘(たち)に対して、少なからず狂暴になったからである。
大量殺人を為すガス室の、ガス噴出のボタンを押すNAZISの役人でさえ、一方では、L.v. Beethovenの交響曲を聴いて感動し涙すら流す、と誰かが言っていた(草子地:鬼の目に涙)。話が大袈裟になってきたであろうか。そうではないはずである。私が、たまたま、そのNAZISの役人の立場にいなかっただけなのだ、と思うのである(草子地:私は、これを大袈裟と言う、或いは、思うような人とは付き合いたくはない。そういう類の人は、常に、本質問題を、無自覚に、程度問題に還元するからである。もはや、自分に残された時は多くはない、そういう人間に割く時間は、もはや、無い、と自覚するのが、私のような老人見習いの思慮、見識であろう)。
J.P. Sartreは、飢えた人々に対して文学は何かができるか、と問いかけたことがあったが、音楽は文学と同様に、否、それ以上に無力であろう。私は、こういう短絡的な思考は好きにはなれないが、そうした限界が芸術と言われているものの一面であることについては、冷静に受け止め、錯覚は避けるべきだ、と思うのである。何故なら、その無力な芸術を、自らの利益、権力の為に利用、管理している人々が、NAZISの時代だけではなく、今日なお存在しているからである(草子地:繰り返すが、私は、これを大袈裟と言う、或いは、思うような人とは付き合いたくはない。そういう類の人は、常に、本質問題を、無自覚に、程度問題に、すれ変えるからである。もはや、自分に残された時は多くはない、そういう人間に割く時間は、もはや、無い、と自覚するのが私のような老人見習いの思慮、見識であろう)。
気になることが一つある。何故か、この数年来、<<Tristan und Isolde>>ではなく、この<<Der Ring des Nibelungens>>がより多く上演、或いは、録音されるようになってきたことである。一頃前と反対であるのは、所謂クラシック音楽(草子地:嫌な言葉だ)にも流行り廃りがあるのであろうか。音楽史上さらに重要である前者の上演は、最近、ほとんど聞くことがない。そういえば、<<Lohengrin>>はさらに聞かれなくなっている。これが、二十世紀の世紀末という今日この頃に関係しているかどうか、と考えるのは思い過ごしであろうか。
どちらにしても、Wagnerの解決を引き延ばされた旋律、さっさとrecitativeでかたずけてくれないか、と思うことが私には多い。とりわけ、二度目に聴いているときは(草子地:私は、今書いているものを書くのに忙しい。書き終わったら、オーロラを見に北にいく。そして死ぬ)。
コーダ(蛇足):
今さら言うまでもないが、世界で一番の大馬鹿野郎は、かく言う私である。しかし、私は、全人類を愛するけれど、となりで眠っている奴の鼾は我慢ならない、という類の人間ではないつもりである。家内の鼾が我慢ならないからではない。<全人類>などを愛していないからである。
もう一つ気になっていることがあった。日本の古事記でも、ギリシャ神話でも、北欧の神話でも、多神教の神々を支配する神は、何故か、第一世代の神ではない。長女が私に威張るのは仕方がないか。
53-54ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より
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振り返ってみると、デンマンさんと共にクラシックを鑑賞するなんて今年になってから5度目のことですねぇ~。。。
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確かに、そうなんだよ! でもさァ~、オマエの上の文章は とにかく読みづらいのだよ! おそらく、この記事を読み始めたネット市民の皆様の半分以上が、オマエの読みづらい文章を途中まで読んで 他のブログへ飛んでしまったと思うよ!
それほどオイラの文章は悪文でしょうか?
オマエの文章ほど読みづらい悪文を 僕は他に見たことがない!
マジで。。。?
僕には、到底、オマエの文章を最後まで読む気になれず、仕方がないから次のように楽しく、面白く読めるように編集し直したのだよ。。。 オマエも読んでごらんよ。。。
3.8 リヒャルト・ワーグナー
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(1813 – 1880)
誰かが、オーディンは、世界一の大馬鹿野郎だ、と言っていたが、彼は間違えている。
オーディンは、世界で二番目の馬鹿である。
そのオーディンが登場する、ワーグナーの<<ニーベルングの指環>>を延々と聴いていたときのことである。
この支離滅裂な筋書きのなかでも、オーディンとブリュンヒルデの別れの場面、<<ワルキューレ>>の第3幕の終りは、私にとっても感動的であった。
娘と別れるときの父親の気持ちに、いつの日にかは、私自身も避けられない時が来る、という自覚とともに、妙に共感して、しんみりとしてしまったのであった。
柄にもなく、そんな気持ちになったのは、娘を思う父親よりも、父親を想う娘の気持ちの方が深いのではないか、ということが、たまたま、私どもにも共通しているように思いあたったからである。
平和な時代に、平和な地域に住んでいる私の単なる感傷、と言ってしまえば、それまでのことではあるが、今際の時に、私は、ひとめでも私の娘たちに会いたい、と想うのではないか、と予想もしたのである。
その意味では、私は、日本に住む私の両親には親不孝をしている、と思う。
どちらの臨終にも、多分、間に合わないであろう。
ところが途端に隣の部屋から下手なピアノの音が鳴り響いてきたのである。
すかさず、うるさい!と呶鳴りつけて、そちらに行ってみると、長女が弾いているのを次女が眺めている、まるで絵のような情景が目に入ったのである。
次女が、心配そうな顔で私を見た時、今はピアノは駄目だ、と短く言って引きあげたのであるが、その時に、何故か、私の心をかすめたのは、親があっても子は育つ、という坂口安吾の言葉であった。
私が音楽に於ける感情の表出や、それに伴う気ままな連想、或いは感想を、自分の心の中の動き、蠢動として感じはしながらも、さほど、それを信用していないのは、そのあたりに理由がありそうである。
一つの音も聴き逃すまい、と集注して、緊張して、しかし、忙しくワーグナーの音楽に耳を傾けていた時とはいえ、私の心の中は、娘(たち)に対して、少なからず狂暴になったからである。
大量殺人を為すガス室の、ガス噴出のボタンを押すナチスの役人でさえ、一方では、ベートーベンの交響曲を聴いて感動し涙すら流す、と誰かが言っていた(草子地:鬼の目に涙)。
話が大袈裟になってきたであろうか。
そうではないはずである。
私が、たまたま、そのナチスの役人の立場にいなかっただけなのだ、と思うのである。
(草子地:私は、これを大袈裟と言う、或いは、思うような人とは付き合いたくはない。そういう類の人は、常に、本質問題を、無自覚に、程度問題に還元するからである。もはや、自分に残された時は多くはない、そういう人間に割く時間は、もはや、無い、と自覚するのが、私のような老人見習いの思慮、見識であろう。)
ジャン=ポール・サルトルは、飢えた人々に対して文学は何かができるか、と問いかけたことがあったが、音楽は文学と同様に、否、それ以上に無力であろう。
私は、こういう短絡的な思考は好きにはなれないが、そうした限界が芸術と言われているものの一面であることについては、冷静に受け止め、錯覚は避けるべきだ、と思うのである。
何故なら、その無力な芸術を、自らの利益、権力の為に利用、管理している人々が、ナチスの時代だけではなく、今日なお存在しているからである。
(草子地:繰り返すが、私は、これを大袈裟と言う、或いは、思うような人とは付き合いたくはない。そういう類の人は、常に、本質問題を、無自覚に、程度問題に、すれ変えるからである。もはや、自分に残された時は多くはない、そういう人間に割く時間は、もはや、無い、と自覚するのが私のような老人見習いの思慮、見識であろう。)
気になることが一つある。
何故か、この数年来、<<トリスタンとイゾルデ>>ではなく、この<<ニーベルングの指環>>がより多く上演、或いは、録音されるようになってきたことである。
一頃前と反対であるのは、所謂クラシック音楽(草子地:嫌な言葉だ)にも流行り廃りがあるのであろうか。
音楽史上さらに重要である前者の上演は、最近、ほとんど聞くことがない。
そういえば、<<ローエングリン>>はさらに聞かれなくなっている。
これが、二十世紀の世紀末という今日この頃に関係しているかどうか、と考えるのは思い過ごしであろうか。
どちらにしても、ワーグナーの解決を引き延ばされた旋律、さっさとレチタティーヴォ(叙唱、朗唱)でかたずけてくれないか、と思うことが私には多い。
とりわけ、二度目に聴いているときは…。
(草子地:私は、今書いているものを書くのに忙しい。書き終わったら、オーロラを見に北にいく。そして死ぬ。)
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蛇足(コーダ):
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今さら言うまでもないが、世界で一番の大馬鹿野郎は、かく言う私である。
しかし、私は、全人類を愛するけれど、となりで眠っている奴の鼾は我慢ならない、という類の人間ではないつもりである。
家内の鼾が我慢ならないからではない。
<全人類>などを愛していないからである。
もう一つ気になっていることがあった。
日本の古事記でも、ギリシャ神話でも、北欧の神話でも、多神教の神々を支配する神は、何故か、第一世代の神ではない。
長女が私に威張るのは仕方がないか。
53-54ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より
『間奏曲集』より
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デンマンさんは、どういうわけで音楽そのものについて語ろうとしないで、いつもオイラの家内のことを取り上げようとするのですかァ~?
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僕は何度も言うように、クラシックは苦手なんだよ! オマエのようにクダクダと 御託(ごたく)を並べたくないのだよ!
。。。で、今回ワーグナーを取り上げたのは、どういうわけですか?
あのさァ~、おまえは次のように書いていた。
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娘と別れるときの父親の気持ちに、いつの日にかは、私自身も避けられない時が来る、という自覚とともに、妙に共感して、しんみりとしてしまったのであった。
柄にもなく、そんな気持ちになったのは、娘を思う父親よりも、父親を想う娘の気持ちの方が深いのではないか、ということが、たまたま、私どもにも共通しているように思いあたったからである。
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そうです。。。 柄にもなく、このような共感を覚えたのですよ。。。 この箇所がデンマンさんに感動を引き起こしたのですか?
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いや。。。 実は、僕もオマエの共感をゲットしようとするかのように <<ワルキューレ>>の第3幕をじっくりと聴こうとしたのだよ。。。 ところが、僕は最初の出だしを聴いただけで、もう "Apocalypse Now! (地獄の黙示録)" の次のシーンがオツムに浮かんできて、娘を思う父親よりも、父親を想う娘の気持ちの方が深いのではないかとか?そんなことは、もうどうでもよくなってしまって、あの映画の中に埋没してしまったのだよ!
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つまり、オイラが柄にもなく娘を思う父親よりも、父親を想う娘の気持ちの方が深いのではないか、というような貴重な共感をオイラにもたらしたのにもかかわらず、デンマンさんは あの映画のことしか想い浮かばなかったのですかァ~?
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そうなのだよ!
やっぱり、デンマンさんはクラシックを鑑賞するだけの教養と感性と素養がないのですねぇ~。。。
そうかもしれない。。。 でもなァ~、オマエの感性も教養も素養も、結局、娘との人間関係を修復することはできなかったのだよなァ~。。。
まさかァ~?
まさかァ~じゃねぇ~だろう! オマエは次のように書いていた。
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私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。
長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。
私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。
その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。
Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。
私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。
ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。
しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。
S.D.G
コーダ(蛇足):
私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。
【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。
S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者
S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。
F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家
56-57ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月
『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)
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デンマンさん! んもおおおォ~! いったい何度引用すれば気が済むのですかあああァ~。。。
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あのさァ~、上の文章はオマエ自身が書いたのだよ! そうだろう!?
だとしても、こうたびたび持ち出されては、オイラの立場がないじゃありませんか!
だから、僕は先日も言ったはずだよ! オマエが昨今、自分史などを書いている人がいる、と聞いているが、いい気なものだと書いていた。 ところが、上の文章に見るように、オマエも意識せずに「自分史」を文章の中に散りばめていたのだよ! オマエは、むしろ僕以上に家族を通して自分自身の事を 無意識に語っていたのだよ!
要するに、オイラの家族が崩壊していることをネットで広めようとしているのですか?
いや。。。 別に、オマエの家庭が崩壊していることをネットで広も得ようとしているわけじゃない。
じゃあ、何ですかァ~?
僕はオマエの奥さんが心の優しい良妻賢母なのを十二分に知っているのだよ!
マジで。。。?
だいたい、オマエのような世間知らずで、独断と偏見で何事も判断しようとする男が 娘二人をカナダの大学の医学部に通わせ、現在、二人ともアメリカの総合病院で働いている小児科医の女医さんにさせることなど まずできないのだよ!
できました。。。
だから、それは心の優しい良妻賢母な奥さんがいたからなんだよ!
つまり、父親としてのオイラの存在は 飾り物だったとデンマンさんは言うのですか?
そうだよ。。。 オマエがせっせと大型コンピューターのメインテナンスの仕事をして給料を家に入れていたから、奥さんは、仕方なしにオマエと離婚せずに一緒に居たのだよ!
要するにオイラは エサを運ぶ単なる働きアリだったとデンマンさんは言うのですか?
そうだよ。。。 オマエは、不満そうだねぇ~。。。?
当たり前田のクラッカー! 不満ですよう!
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そのギャグは、オマエが言うんじゃなくてぇ、僕が言うためのものなんだよ!
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要するに、オイラがクラシックのオタクで、父親としては失格だと、デンマンさんは言いたいのですか?
いや。。。 僕は、そこまでは言ってないのだよ。。。
じゃあ、どう言う訳で、ワーグナーを取り上げたのですか?
ワーグナーはどうでもいいのだよ。。。 ただ、オマエが最後に次のように書いていた。
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今さら言うまでもないが、世界で一番の大馬鹿野郎は、かく言う私である。
しかし、私は、全人類を愛するけれど、となりで眠っている奴の鼾は我慢ならない、という類の人間ではないつもりである。
家内の鼾が我慢ならないからではない。
<全人類>などを愛していないからである。
![](http://livedoor.blogimg.jp/barclay1720/imgs/b/9/b9d5b1d9.png)
つまり、「世界で一番の大馬鹿野郎は、かく言う私である」という箇所に共感したのですか?
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そんなことは、初めてオマエを取り上げて記事を書いた時から 僕は十二分に理解していたことだよ!
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僕が オマエを許せると思ったのは、「家内の鼾が我慢ならないからではない。 <全人類>などを愛していないからである」と認めたことだよ!
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この言葉が、それほどデンマンさんに感動を与えたのですか?
そうだよ。。。 オマエは、自分が飾り物だということを無意識のうちに気づいていた。。。 心の優しい良妻賢母な奥さんがいたからこそ、娘二人はカナダの大学の医学部を卒業し、現在、二人ともアメリカの総合病院で小児科医の女医さんとして働いている。
だから。。。?
だから、奥さんが高鼾で寝ていれば、オマエは、本音では我慢ならない! 「馬鹿尼! オイラが眠れないじゃないかァ!」と怒鳴って起こしてしまいたい! でも、それが出来ない事をオマエは知っている。。。 家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなるのだけれど、オマエは心の奥深いところで、<全人類>などよりも奥さんを愛しているのだよ!
(一瞬、太田将宏は無言で うつむいて涙をためている!)
オマエの気持ちはよくわかる。。。 これでこの記事は終わりにするけれど、オマエは心ゆくまで 反省と後悔と贖罪の涙を流していいからねぇ~。。。
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