ありがとうございます ありがとうございます
先週の日曜日からはじまった、TBSドラマ、日曜劇場、ラストマン、全盲の捜査官。福山雅治主演のドラマ。去年は、日本テレビで、白杖ガールのドラマが放送され、今年は、中年の全盲男性のドラマ。
仕事をやめて、今日が何曜日かがなかなか認識できにくくなっている私。特に、目の見えない私。網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。カレンダーや、デジタル時計の日付表示などを見て、今日が何日、何曜日だと確認でできない。そこでm曜日の感覚をもつには、ドラマ。こどものころ、アニメで曜日をとらえていたようなもんかな。
ということで、日曜日は、NHKの大河ドラマと、ラストマン。
といいつつ、日曜のドラマは、後日、iPhoneで見る。NHKの大河ドラマなら、NHKプラスというアプリ、これは、音声解説、倍速再生mもできてほんとべんり。ラストマンのほうは、ティーバー、TVERというアプリ。こちらも音声解説版もあるのだけども、残念ながら、倍速再生はできない。昔はできたけども、居間は、視覚障害者、画面読み上げ機能をつかっている私には、倍速設定ができないのよね。
なので、ちょと、民放のドラマを見るきがおきない。倍速再生になれてしまった私。当倍速再生だと初回放送はなんと69分。長いね。
今朝も、スポーツジムにいって、エアロバイク、司法試験の刑事訴訟法の入門抗議を倍速できいて、エアロバイク。その後家に帰って、行政法の短答式問題でもとこうかとおもうも、なんかやるきがでない。
そこで、ティーバーで、ラストマンっを見てみる。1時間10分があっというま。涙がでてきたね。
デスペア的TBSドラマ、ラストマン 全盲の捜査官 1回目のポイント
1、次は、社会が僕たちをうけいれるばんです
福山は、イケメンということで、視覚障害者の人がよく身に着けるサングラスはつけていない。まぁ、正確に言うと、視覚障害者でサングラスをかけている人は、弱視で太陽の光がまぶしかったり、あとは、目線が宙をまうのをみられたくないからかける、あとは、モノにぶつかって目をけがすることを防ためにかけるぐことがおおいので。それを気にしない全盲の人は、サングラスは必ずしも必要不可欠じゃないね。
福山は、アメリカから日本の警察に人事交流としてやってきて、不妊早々、事件捜査をする。相棒の大泉ようが、おそるおそる福山を手引きする。両腕をもって、よちよちあるきの子供を手引きするように、手引きする大泉。すると、フクヤマは、右腕をつかませてくださいといい、視覚障害者の正しい手引き方法をさりげなくおしえる。
また、証拠や調書を、スマホに認識ささせて、文字変換して、それを音声よみあげさせて聞く。それも倍速で聞く。
あと、アイカメラという、小さなカメラをこめかみにつけて、そのカメラ映像を遠隔地にいる警察官にみてもらって、街中をひとりであるく。正面が12時、右が3時、クロックポジションのこともフクヤマは遠隔の警察官におしえる。
こういった、視覚障害者の生活スタイルをそれとなくドラマの中で描くのはいいよね。
座頭市のように、スーパー万として描かれる視覚障害者は、誤解をうむ。目が見えないと何かほかの能力が秀でているはず、あやまった認識をうえつけてしまう。
福山は、ひとりでなんでもできそうに見えて、犯人のあとを早足でおいかけていると、自転車や柱にぶつかる。そして、犯人をつかまえようとして、ぼこぼこにされる。
ちゃんと、視覚障害者はスーパーマンではないこと、誰かの助けを借りないと、やっぱり、ひとりでは自由に動けないことをちゃんと示している。これはいいね。
あと、私が、涙がでてきたのは。こういった、いろいろなITや、エーアイ技術をつかって、視覚障害者にえきることが増えた。次は、社会が私をうけいれるかです。
その通りだね。いろいろな機械が開発されても、視覚障害者を同じ仕事仲間としてうけいれる姿勢が社会にないと、だめなのよね。私が退職する1年間は、仕事がなかったもんね。福山の言いたいことがよくわかる。
2、冒険
フクヤマは、ひとりでホテルへ、はじめてのホテル。そこまで一人でなんとか行けたフクヤマ。そのことを、フクヤマは、冒険ですと言っていた。どうってことないことでも、視覚障害者がはじめての場所にいくということは、ひとりで行くということは冒険です。危険でもあるけども、それを達成した時の達成感は、まさに冒険そのものです。
いい言葉だね。私が、家にこもっていられないのも、こういった冒険、外出によって達成感をあじわって、そして生きているという感覚を得ているからなんだろうね。
3、人の助けをかりる、そしてありがとう
ドラマの最後で、犯人をつかまえるフクヤマ。うtかまえた犯人は、自分は何もできない、社会から認められないとなげく。それを、捜査官のフクヤマに言う犯人。その福山も、目が見えず、できないことがおおく、社会からも認められないこともある。そして、その福山は、こういう、私もできないことがある、社会のお荷物、でも、こんな私でも、助けてくれる人がいる。だからこうやって生きていられる。
いい言葉だね。私が、選挙戦でうったえていたこともこれ。自立とは、人に助けを求めることのできる能力を身に着けること。困ったときに、助けてくれる人間関係をつくるということ。まさに、フクヤマはそれを実践しているね。
そして、フクヤマは、犯人をつかまえて、事件を解決した後、狭路y九してくれた仲間、助けてくれた仲間に、ひとりひとりに、ありがとうございました、ありがとうございましたといって、頭をさげる。
これ大事だね。
でも、最後にちゃんと、フクヤマは、こういっておけば、みんな喜ぶでしょ、私は聖人くんしではないです。再度、自分はスーパーマンでも、聖人クンシでもないことをはっきり言う。私は、あなたたちと同じですよと伝える。
すばらしいドラマだね。これから、視覚障害者の人と接する人、街中で視覚障害者をみかけるけど、どう声をかけたらいいかわからない人には、このドラマはうってつけだね。単なる刑事ものではなく、そこに、視覚障害ということをもちこむことにより、実に、奥深いドラマになっている。いいね。すばらしい。
4月30日日曜日 午後1時30分から、初回放送の再放送がある。そして、ティーバーでは初回はいつまでも見られるよう。みなさんもぜひ、みてね。
PS
ただ、フクヤマ演じる全盲捜査官の2つの描写が気になる。ひとつは、ざるそばを、小さなそばつゆ茶碗にいれて、うまく食べている。箸でそばをつかんで、そのそばをたらして、そのたらしたそばをそば茶碗のふちにタッチさせて、そのそばつゆ茶碗を確認、そして、うまく、そばをその、そばつゆ茶碗にいれて、食べていた。
これは、私も挑戦したけど、こんなにうまくいかない。そばをのはしっこを茶碗の中に入れられても、そこから、ぐぐぐと、そばを、その茶碗の中にうまくおさめることはむずかしいのよね。なので、私は、ざるそばは食べない、ぶっかけそばにするか、あるいは、ざるそばを食べるときは、もっと大きなそばつゆ茶碗にかえてもらうのよね。
あと、フクヤマが犯人を見つけるシーンで、犯人のにおいが視覚化されているシーンがあった。真っ暗な世界に、音だけが、うかびあがってきているような世界として、フクヤマのの見る、感じる世界が描かれていた。
でも、フクヤマも私も、中途視覚障害者なので、そんなまっくらな中をいつも歩いているのではない。頭の中では、勝手に、道路や、コンビニ、自転車などを創造している。たしかに、まっくらな世界なんだけども、頭の中は、まっくらではなく、どんどんイメージがふくらんでいくのよね。なので、あのまっくらな世界は、協調しすぎだと思う。
先週の日曜日からはじまった、TBSドラマ、日曜劇場、ラストマン、全盲の捜査官。福山雅治主演のドラマ。去年は、日本テレビで、白杖ガールのドラマが放送され、今年は、中年の全盲男性のドラマ。
仕事をやめて、今日が何曜日かがなかなか認識できにくくなっている私。特に、目の見えない私。網膜色素変性症な私、盲人ウエカジ。カレンダーや、デジタル時計の日付表示などを見て、今日が何日、何曜日だと確認でできない。そこでm曜日の感覚をもつには、ドラマ。こどものころ、アニメで曜日をとらえていたようなもんかな。
ということで、日曜日は、NHKの大河ドラマと、ラストマン。
といいつつ、日曜のドラマは、後日、iPhoneで見る。NHKの大河ドラマなら、NHKプラスというアプリ、これは、音声解説、倍速再生mもできてほんとべんり。ラストマンのほうは、ティーバー、TVERというアプリ。こちらも音声解説版もあるのだけども、残念ながら、倍速再生はできない。昔はできたけども、居間は、視覚障害者、画面読み上げ機能をつかっている私には、倍速設定ができないのよね。
なので、ちょと、民放のドラマを見るきがおきない。倍速再生になれてしまった私。当倍速再生だと初回放送はなんと69分。長いね。
今朝も、スポーツジムにいって、エアロバイク、司法試験の刑事訴訟法の入門抗議を倍速できいて、エアロバイク。その後家に帰って、行政法の短答式問題でもとこうかとおもうも、なんかやるきがでない。
そこで、ティーバーで、ラストマンっを見てみる。1時間10分があっというま。涙がでてきたね。
デスペア的TBSドラマ、ラストマン 全盲の捜査官 1回目のポイント
1、次は、社会が僕たちをうけいれるばんです
福山は、イケメンということで、視覚障害者の人がよく身に着けるサングラスはつけていない。まぁ、正確に言うと、視覚障害者でサングラスをかけている人は、弱視で太陽の光がまぶしかったり、あとは、目線が宙をまうのをみられたくないからかける、あとは、モノにぶつかって目をけがすることを防ためにかけるぐことがおおいので。それを気にしない全盲の人は、サングラスは必ずしも必要不可欠じゃないね。
福山は、アメリカから日本の警察に人事交流としてやってきて、不妊早々、事件捜査をする。相棒の大泉ようが、おそるおそる福山を手引きする。両腕をもって、よちよちあるきの子供を手引きするように、手引きする大泉。すると、フクヤマは、右腕をつかませてくださいといい、視覚障害者の正しい手引き方法をさりげなくおしえる。
また、証拠や調書を、スマホに認識ささせて、文字変換して、それを音声よみあげさせて聞く。それも倍速で聞く。
あと、アイカメラという、小さなカメラをこめかみにつけて、そのカメラ映像を遠隔地にいる警察官にみてもらって、街中をひとりであるく。正面が12時、右が3時、クロックポジションのこともフクヤマは遠隔の警察官におしえる。
こういった、視覚障害者の生活スタイルをそれとなくドラマの中で描くのはいいよね。
座頭市のように、スーパー万として描かれる視覚障害者は、誤解をうむ。目が見えないと何かほかの能力が秀でているはず、あやまった認識をうえつけてしまう。
福山は、ひとりでなんでもできそうに見えて、犯人のあとを早足でおいかけていると、自転車や柱にぶつかる。そして、犯人をつかまえようとして、ぼこぼこにされる。
ちゃんと、視覚障害者はスーパーマンではないこと、誰かの助けを借りないと、やっぱり、ひとりでは自由に動けないことをちゃんと示している。これはいいね。
あと、私が、涙がでてきたのは。こういった、いろいろなITや、エーアイ技術をつかって、視覚障害者にえきることが増えた。次は、社会が私をうけいれるかです。
その通りだね。いろいろな機械が開発されても、視覚障害者を同じ仕事仲間としてうけいれる姿勢が社会にないと、だめなのよね。私が退職する1年間は、仕事がなかったもんね。福山の言いたいことがよくわかる。
2、冒険
フクヤマは、ひとりでホテルへ、はじめてのホテル。そこまで一人でなんとか行けたフクヤマ。そのことを、フクヤマは、冒険ですと言っていた。どうってことないことでも、視覚障害者がはじめての場所にいくということは、ひとりで行くということは冒険です。危険でもあるけども、それを達成した時の達成感は、まさに冒険そのものです。
いい言葉だね。私が、家にこもっていられないのも、こういった冒険、外出によって達成感をあじわって、そして生きているという感覚を得ているからなんだろうね。
3、人の助けをかりる、そしてありがとう
ドラマの最後で、犯人をつかまえるフクヤマ。うtかまえた犯人は、自分は何もできない、社会から認められないとなげく。それを、捜査官のフクヤマに言う犯人。その福山も、目が見えず、できないことがおおく、社会からも認められないこともある。そして、その福山は、こういう、私もできないことがある、社会のお荷物、でも、こんな私でも、助けてくれる人がいる。だからこうやって生きていられる。
いい言葉だね。私が、選挙戦でうったえていたこともこれ。自立とは、人に助けを求めることのできる能力を身に着けること。困ったときに、助けてくれる人間関係をつくるということ。まさに、フクヤマはそれを実践しているね。
そして、フクヤマは、犯人をつかまえて、事件を解決した後、狭路y九してくれた仲間、助けてくれた仲間に、ひとりひとりに、ありがとうございました、ありがとうございましたといって、頭をさげる。
これ大事だね。
でも、最後にちゃんと、フクヤマは、こういっておけば、みんな喜ぶでしょ、私は聖人くんしではないです。再度、自分はスーパーマンでも、聖人クンシでもないことをはっきり言う。私は、あなたたちと同じですよと伝える。
すばらしいドラマだね。これから、視覚障害者の人と接する人、街中で視覚障害者をみかけるけど、どう声をかけたらいいかわからない人には、このドラマはうってつけだね。単なる刑事ものではなく、そこに、視覚障害ということをもちこむことにより、実に、奥深いドラマになっている。いいね。すばらしい。
4月30日日曜日 午後1時30分から、初回放送の再放送がある。そして、ティーバーでは初回はいつまでも見られるよう。みなさんもぜひ、みてね。
PS
ただ、フクヤマ演じる全盲捜査官の2つの描写が気になる。ひとつは、ざるそばを、小さなそばつゆ茶碗にいれて、うまく食べている。箸でそばをつかんで、そのそばをたらして、そのたらしたそばをそば茶碗のふちにタッチさせて、そのそばつゆ茶碗を確認、そして、うまく、そばをその、そばつゆ茶碗にいれて、食べていた。
これは、私も挑戦したけど、こんなにうまくいかない。そばをのはしっこを茶碗の中に入れられても、そこから、ぐぐぐと、そばを、その茶碗の中にうまくおさめることはむずかしいのよね。なので、私は、ざるそばは食べない、ぶっかけそばにするか、あるいは、ざるそばを食べるときは、もっと大きなそばつゆ茶碗にかえてもらうのよね。
あと、フクヤマが犯人を見つけるシーンで、犯人のにおいが視覚化されているシーンがあった。真っ暗な世界に、音だけが、うかびあがってきているような世界として、フクヤマのの見る、感じる世界が描かれていた。
でも、フクヤマも私も、中途視覚障害者なので、そんなまっくらな中をいつも歩いているのではない。頭の中では、勝手に、道路や、コンビニ、自転車などを創造している。たしかに、まっくらな世界なんだけども、頭の中は、まっくらではなく、どんどんイメージがふくらんでいくのよね。なので、あのまっくらな世界は、協調しすぎだと思う。