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【座せる悪魔】ミハイル・ヴルーベリ
先日、次のような夢を見ました……という、その説明の前に、その夢を見たさらにその前に見た夢について説明したいと思います(ややこしいやっちゃな☆^^;)。
いえ、先月のある日、いわゆる正夢というのを見たわけです。
わたし今、歯医者さんに通ってるのですが、大体いつも治療してくださる女性の歯科医さんと、歯科衛生士さんのふたりしかいません(コロナの影響と思われます)。それで、割と最近、初めて通いはじめた歯科医院さんなのですが、歯科医さんのほうは最初、割と無愛想と言いますか、義務的に治療なことだけ話して終わり、みたいな感じでした。べつに、ある意味「それが普通
」とも思いますし、わたし自身、虫歯さえ治していただければいいので、全然気にしていませんでした。
それで、どっちかっていうと、歯科衛生士の若い女性と「今こんな治療してます」とか、「次の予約は来週の……」みたいな感じで、少しはお話しすることが多かったんですよね。ところが、その日の朝見た夢によると、歯科医の女性のほうが何か色々話しかけてくださって、ニコニコ和やかに治療が進み、歯科衛生士さんのほうが今度は無愛想――みたいな感じの夢だったわけです。
で、この日の午後、実際にその歯科医院さんへ行ってみると、夢で見たのとまったく同じことが起きました。女性の歯科医さんのほうが和やかに色々話しかけてこられ、逆に歯科衛生士さんのほうはちょっと機嫌が悪いような無愛想な感じだった、というか。
(おやや?これは夢で見たのとまったく同じ場面だぞ)と、そう思いながらその歯科医院さんをあとにしたわけですけど――正夢は正夢でも、なんかあんまし意味ない正夢じゃないですか(あ、ちなみにこの翌週行ってみると、歯医者さんも歯科衛生士さんもすごく感じの良い対応でした^^;)。
それで、こんなことのあった三日後でしたかね。次にこんな夢を見たわけです。。。
わたし、結構高いビルのてっぺんの階に用があって出かけていきました。で、受付の女性に用件を言って用を済ませると、今度はまた来た時と同じエレベーターで下へおりるということに。
この時、エレベーター内に小さなモニターが付いていて、最初、そこにはチマチョゴリを着た韓国人の女性が映っていました。次に、チャイナ服を着た女性が出てくるんですけど、その映像っていうのがどちらも、あんまりいい感じのするものじゃないんですよね。韓国人の女性たちは、何かこう、そう命令されてるから民族衣装を着て踊ってるみたいな感じで、チャイナ服を着た女性は物凄く傲慢な雰囲気で、あたりに不満や文句をぶちまけている……といったような雰囲気で(ちなみに、音声のほうは一切なく、映像が流れているのみです)。
それでこのあと、エレベーターは下へ下へ、さらに下へとおりていき……この時、わたしにはわかっていました。このエレベーターには「出口がない」のだということが。だんだんあたりも暗くなってきたように思われ、わたしはこの出口のない箱の中に閉じ込められ、とにかくひたすら下へ下へと落ちていくしかないのだ……ということがわかってきたのです。
でも、来た時には入口があったわけですから、どこへも出られないなんて、そんなはず、あるわけがない。わたしは焦って祈りはじめました。どうかこの、どこにも出口のないエレベーターが、とにもかくにもどこかへ通じていて、そこから外へ出られますように、と……。
ここで目が覚めたわけですが、なんとも嫌な夢でした(^^;)
ずっと昔、夢占いの本を読んでいたことがあるのですが(※キリスト教では占いは禁じられています。読んだのはまだ未信者だった頃)、エレベーターに乗っていて上がる夢を見るのは運気の上がる象徴、逆に下へおりていく夢は運気が下降していることを意味する……みたいに読んだことがあります。
あ、ちなみにわたし、この夢に関しては、自分の運気がてっぺんまで上昇するも、その後下がりまくるから注意しなさい――といったようにはまったく思いませんでした。どちらかというと、夢から覚めたあと思ったのは、あのチマチョゴリを着た女性たちは、韓国の人々ではなく北朝鮮の人々だったのではないかということと、中国という国が女帝のように高ぶっている……ということの暗示ではないか、ということだったわけです。
中国に関していえば、<人権問題>のことに関して暗澹たる気持ちになりますし、北朝鮮に関していえば――拉致問題のことは当然のことながら、わたし的にまず北朝鮮と聞いてまず思い浮かべるのが「飢え」、「飢餓問題」ということだったりするんですよね。
もし明日食べるものがなくなって、雑草の中からせめても何か煮て食べられそうなものを探したり、そうした昆虫やカエルや……こうしたことを考えると心が暗くなるため、普段あまり考えないようにしているのですが、この世界には今この瞬間も「出口のないエレベーターに閉じ込められ、希望も期待もなく苦しんでいる」人々がいることだけは、間違いなく確かなことなわけです。
>>家族をひとり残らず拷問で殺された男がいて、自身も強制収容所で果てなくつづく拷問に苦しめられたとする。部族の大虐殺をひとり免れた十六世紀の中米の先住民もいる。かかる人びとにあっては、それまでは神の憐れみ(ミゼリコルド)を信じていたとしても、もはや信じなくなるか、以前とはまったく異なるふうに考えるだろう。わたしはこれほどの苦境は経験していない。だが、それらが現実にあることは知っている。
(『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ著、冨原眞弓さん訳/岩波文庫)
わたしも、これほどの苦境を経験してはいませんが、これほどインターネットだなんだと文明が発達したはずの世界で、こうした事柄が滅びることなく今も存在し続けていることを知っています。悲しいことですが、わたし自身はその前に自分が何故小さな正夢を見たかといえば、こうしたことについて神さまにあらためて思い起こさせられるためでなかったかという気がしています。
ヴェイユは、>>「運命がわたしの身に、わたしの周囲の人びとの身に、いかなる試練を与えようとも、消滅したり変質したりすることなく、なおかついかなる人間にも侮辱を加えることなく伝達しうるような、神の憐れみについての構想を得るべく努めねばならない」とも続く文章で言っていますが、もちろんこれは机上の空論であってはなりません。けれども、他の多くの人々と同じように、わたしも祈る以外のことでは具体的に方策を思い浮かべることが出来ませんし、これ以上のことについては「神さま、どうしたらいいのかわかりません」という以上の言葉が思い浮かばないわけです。
では、夢を見たこと自体意味がなかったかといえば、そんなことはありません。あのエレベーターの中の、だんだん空気が薄くなってきて、このまま自分はなんの希望も期待もなく、人生の出口も見つけられぬまま、絶望とともに死んでゆくのだ……という、底なしの沼に沈んでゆくようななんともいえない「感じ」のことは、今もはっきり覚えているのですから。
こうした事柄については、大分前、「神学的深遠」という記事のところにも書いたように、答えのない問題です。ある人々はそのようなエレベーターに閉じ込められても、なんらかの形で助けられ、救われるかもしれませんが、ある人々は「特に何か悪いことをした」わけでもなんでもないのに、いやむしろ善人ですらあるのに、エレベーター内の空気が薄くなったことにより、苦しみながら死ぬ以外にないといったようなことなのですから。
けれども、遥か昔から人類の間に存在するこうした問題があってなお、人が神を信じるべき理由について、次回以降、何か書いてみたいと思っていますm(_ _)m
それではまた~!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
先日、次のような夢を見ました……という、その説明の前に、その夢を見たさらにその前に見た夢について説明したいと思います(ややこしいやっちゃな☆^^;)。
いえ、先月のある日、いわゆる正夢というのを見たわけです。
わたし今、歯医者さんに通ってるのですが、大体いつも治療してくださる女性の歯科医さんと、歯科衛生士さんのふたりしかいません(コロナの影響と思われます)。それで、割と最近、初めて通いはじめた歯科医院さんなのですが、歯科医さんのほうは最初、割と無愛想と言いますか、義務的に治療なことだけ話して終わり、みたいな感じでした。べつに、ある意味「それが普通
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それで、どっちかっていうと、歯科衛生士の若い女性と「今こんな治療してます」とか、「次の予約は来週の……」みたいな感じで、少しはお話しすることが多かったんですよね。ところが、その日の朝見た夢によると、歯科医の女性のほうが何か色々話しかけてくださって、ニコニコ和やかに治療が進み、歯科衛生士さんのほうが今度は無愛想――みたいな感じの夢だったわけです。
で、この日の午後、実際にその歯科医院さんへ行ってみると、夢で見たのとまったく同じことが起きました。女性の歯科医さんのほうが和やかに色々話しかけてこられ、逆に歯科衛生士さんのほうはちょっと機嫌が悪いような無愛想な感じだった、というか。
(おやや?これは夢で見たのとまったく同じ場面だぞ)と、そう思いながらその歯科医院さんをあとにしたわけですけど――正夢は正夢でも、なんかあんまし意味ない正夢じゃないですか(あ、ちなみにこの翌週行ってみると、歯医者さんも歯科衛生士さんもすごく感じの良い対応でした^^;)。
それで、こんなことのあった三日後でしたかね。次にこんな夢を見たわけです。。。
わたし、結構高いビルのてっぺんの階に用があって出かけていきました。で、受付の女性に用件を言って用を済ませると、今度はまた来た時と同じエレベーターで下へおりるということに。
この時、エレベーター内に小さなモニターが付いていて、最初、そこにはチマチョゴリを着た韓国人の女性が映っていました。次に、チャイナ服を着た女性が出てくるんですけど、その映像っていうのがどちらも、あんまりいい感じのするものじゃないんですよね。韓国人の女性たちは、何かこう、そう命令されてるから民族衣装を着て踊ってるみたいな感じで、チャイナ服を着た女性は物凄く傲慢な雰囲気で、あたりに不満や文句をぶちまけている……といったような雰囲気で(ちなみに、音声のほうは一切なく、映像が流れているのみです)。
それでこのあと、エレベーターは下へ下へ、さらに下へとおりていき……この時、わたしにはわかっていました。このエレベーターには「出口がない」のだということが。だんだんあたりも暗くなってきたように思われ、わたしはこの出口のない箱の中に閉じ込められ、とにかくひたすら下へ下へと落ちていくしかないのだ……ということがわかってきたのです。
でも、来た時には入口があったわけですから、どこへも出られないなんて、そんなはず、あるわけがない。わたしは焦って祈りはじめました。どうかこの、どこにも出口のないエレベーターが、とにもかくにもどこかへ通じていて、そこから外へ出られますように、と……。
ここで目が覚めたわけですが、なんとも嫌な夢でした(^^;)
ずっと昔、夢占いの本を読んでいたことがあるのですが(※キリスト教では占いは禁じられています。読んだのはまだ未信者だった頃)、エレベーターに乗っていて上がる夢を見るのは運気の上がる象徴、逆に下へおりていく夢は運気が下降していることを意味する……みたいに読んだことがあります。
あ、ちなみにわたし、この夢に関しては、自分の運気がてっぺんまで上昇するも、その後下がりまくるから注意しなさい――といったようにはまったく思いませんでした。どちらかというと、夢から覚めたあと思ったのは、あのチマチョゴリを着た女性たちは、韓国の人々ではなく北朝鮮の人々だったのではないかということと、中国という国が女帝のように高ぶっている……ということの暗示ではないか、ということだったわけです。
中国に関していえば、<人権問題>のことに関して暗澹たる気持ちになりますし、北朝鮮に関していえば――拉致問題のことは当然のことながら、わたし的にまず北朝鮮と聞いてまず思い浮かべるのが「飢え」、「飢餓問題」ということだったりするんですよね。
もし明日食べるものがなくなって、雑草の中からせめても何か煮て食べられそうなものを探したり、そうした昆虫やカエルや……こうしたことを考えると心が暗くなるため、普段あまり考えないようにしているのですが、この世界には今この瞬間も「出口のないエレベーターに閉じ込められ、希望も期待もなく苦しんでいる」人々がいることだけは、間違いなく確かなことなわけです。
>>家族をひとり残らず拷問で殺された男がいて、自身も強制収容所で果てなくつづく拷問に苦しめられたとする。部族の大虐殺をひとり免れた十六世紀の中米の先住民もいる。かかる人びとにあっては、それまでは神の憐れみ(ミゼリコルド)を信じていたとしても、もはや信じなくなるか、以前とはまったく異なるふうに考えるだろう。わたしはこれほどの苦境は経験していない。だが、それらが現実にあることは知っている。
(『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイユ著、冨原眞弓さん訳/岩波文庫)
わたしも、これほどの苦境を経験してはいませんが、これほどインターネットだなんだと文明が発達したはずの世界で、こうした事柄が滅びることなく今も存在し続けていることを知っています。悲しいことですが、わたし自身はその前に自分が何故小さな正夢を見たかといえば、こうしたことについて神さまにあらためて思い起こさせられるためでなかったかという気がしています。
ヴェイユは、>>「運命がわたしの身に、わたしの周囲の人びとの身に、いかなる試練を与えようとも、消滅したり変質したりすることなく、なおかついかなる人間にも侮辱を加えることなく伝達しうるような、神の憐れみについての構想を得るべく努めねばならない」とも続く文章で言っていますが、もちろんこれは机上の空論であってはなりません。けれども、他の多くの人々と同じように、わたしも祈る以外のことでは具体的に方策を思い浮かべることが出来ませんし、これ以上のことについては「神さま、どうしたらいいのかわかりません」という以上の言葉が思い浮かばないわけです。
では、夢を見たこと自体意味がなかったかといえば、そんなことはありません。あのエレベーターの中の、だんだん空気が薄くなってきて、このまま自分はなんの希望も期待もなく、人生の出口も見つけられぬまま、絶望とともに死んでゆくのだ……という、底なしの沼に沈んでゆくようななんともいえない「感じ」のことは、今もはっきり覚えているのですから。
こうした事柄については、大分前、「神学的深遠」という記事のところにも書いたように、答えのない問題です。ある人々はそのようなエレベーターに閉じ込められても、なんらかの形で助けられ、救われるかもしれませんが、ある人々は「特に何か悪いことをした」わけでもなんでもないのに、いやむしろ善人ですらあるのに、エレベーター内の空気が薄くなったことにより、苦しみながら死ぬ以外にないといったようなことなのですから。
けれども、遥か昔から人類の間に存在するこうした問題があってなお、人が神を信じるべき理由について、次回以降、何か書いてみたいと思っていますm(_ _)m
それではまた~!!
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