神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

大いなる存在としての、日本人的な神。

2018年05月02日 | キリスト教


 前にもどこかで、日本人に一番受けのいいのは、アニミズムの神+仏教の信仰だと思う……といったように書いたような気がするのですが、これは山の奥や森の深くへ行った時などに感じる、自然への神秘的な感情――これがアニミズムの神ということですよね、たぶん。

 与える名としては、大いなる自然の神とか、あるいは花や木々のすべてに精霊が宿っていると感じるあの感覚……また、すべてのものに神さまが宿っているというのは、八百万の神、神道系の考え方であり、こうした事柄と仏教の教えとがなんとなく混ざったものが、日本人にとって一番受け容れやすい<神>ということではないかという気がします。

 そして、キリスト教というのは、フランシスコ・ザビエルが16世紀頃になってから初めて伝えた神であり、外から入ってきた外国の神ということですよね。つまり、もともと最初から自分たちの間にいなかった神であり、神概念であるわけですから……霊の流れがまったく違うという意味でも、日本人にとっては受け容れ難い神、ということなのかなと思ったりもします(^^;)

 でもわたしも、イエスさまを信じる以前は、アニミズムの神というか、八百万の神というのが自分の信仰対象でしたし、また神棚や仏壇を拝んだり、あるいはお墓参りといった仏教的行事を守ることにとても熱心でした。

 にも関わらず、教会でイエスさまのことを信じて聖霊さまを与えられてみると、この方こそがこうしたあらゆる神を越えて、ただおひとりの神である……といったように変えられてしまうのです。

 もちろんわたしは今も、桜の樹を見れば桜の精がどうこうとか、水仙を見れば水仙の妖精がどうこうといったようなことは考えますし、自然の奥深くに分け入った時に感じる、恍惚的な感情もとても好きです

 でもそれでいて以前と違うのは、「かといってそれらは神ではない」というのでしょうか。また、そうした存在を崇めるために石像を造ったりなんだりしたとしても――そうした種類の偶像の神が、わたしの個人的な悩みを根本的に解決してくれたり改善したりしてくれるわけではない……にも関わらず、わたしは随分長きに渡って(イエスさまを信じる以前まで)こうした存在を神、あるいは神に極めて近い神聖な存在として崇め、時にはお供えやお賽銭といったものを捧げてきたのでした。


 >>偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。

 だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。

 見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。

 鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。

 木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。

 彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。

 それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。

 その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった。』と言う。

 その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから。』と言う。

 彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。

 彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか。』とさえ言わない。

 灰にあこがれる者の心は欺かれ、惑わされて、自分を救い出すことができず、『私の右の手には偽りがないのだろうか。』とさえ言わない。

(イザヤ書、第44章9~20節)


 >>その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから』と言う……わたしがずっと拝んできた神さまは、つまりはこうした存在であるとわかったのは、わたしがイエスさまのことを信じてクリスチャンになってからのことでした(^^;)

 いえ、わたしは思想としては仏教の本とか読むのも好きなので、仏教的なことについてとやこう言いたいわけではなく……ただ、仏教というのもそもそもは、外から入ってきた宗教なんですよね。

 わたしも多くの日本人と同じく、そうした神道系のことと仏教の教えなどが混ざったものをずっと宗教的土台としていて、そのあたりがごっちゃ☆になっていたわけですが、以前、手塚治虫さんの『火の鳥』だったと思うんですけど、もともといたアニミズム的な神さまと、外からやって来た仏教の神さまとが喧嘩(?)するといったシーンがあって、結構びっくりしました

 最初に読んだ時にはまだキリスト教徒ではなかったので、なんとなくさらっと読み進んでしまったんだろうなって思うんですけど――そう考えてみると、何かこうかなり後代になってからキリスト教というものが日本に入ってきたのだとしても……そんなに遅くになってから外からやって来た神など本当の神ではない、みたいに言うのは実はおかしいことなのかな~なんて(^^;)

 確か、以前テレビでザビエルさんがイエスさまのことを決定的に信じることになった御言葉が


 >>「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

(マタイの福音書、第16章24~26節)


 ……だったというように聞いた覚えがあるのですが、そのような決死の覚悟によってザビエルさんは日本にまで宣教をしに来られたのだろうな~と想像します

 十字架、というと、苦しく重いものを背負うといったイメージがありますが、本当の十字架のメッセージというのは、恵みであり神の愛であり救いなのです。日本では一般的にキリスト教に対する誤解イメージが物凄く強いので、十字架=苦しく重いものを一生背負っていってそこで終わる……といったように捉えられがちですが、本当はそのあとがあるっていうことなんですよね。

 自分から十字架を負いたいと神さまに願いでる方というのは、数としてはおそらく少ないでしょう。そして何かの運命のようなものによって十字架を背負わされることになってはじめて……イエスさまについて行くなら、聞き従っていくなら、その重い苦難のように思われるものが神さまの取り扱いによって恵みに変わっていくのを見ることが出来るということなんですよね。

 もしわたしたちにイエスさまを信じるという信仰がなかったら、ただ重い苦難という十字架を背負ったまま、ただそれだけで人生は終わってしまうかもしれません。けれども、イエスさまを信じるなら、最初はただ苦しいだけの、重い苦難でしかなかったものが、恵みによって背負うことにより軽い、心楽しいものにさえ変えていただけるのです。

 もしかしたら多くの人々がまことの命ではなく、全世界(たとえば、地位や名誉やお金といったこの世的成功)を手に入れたいと望むかもしれません。けれどもむしろイエスさまのためにすべてを捨てるなら、それらに加えてすべてのものを神さまは必ず与えてくださいます。

 ただ重いだけの苦しみに満ちた十字架は、イエスさまによって喜びに変えられていくのです。

 事実、フランシスコ・ザビエルさんが最初に撒いた信仰の種は、今という現代に至るまで残り……彼が日本にキリスト教というものを伝えてくれたからこそ、今日全体としての数は少ないながらも本物の信仰を持つクリスチャンが日本にもたくさんいるということなのだと思います。

 いえ、これって途中にあった想像を絶する迫害のことも考え合わせると、本当にイエスさまのことを信じることが出来る、その信仰が今も確かに残されているというのは、奇蹟に近い――というより、奇蹟そのものではないかという気がします(^^;)

 そして、聖書にも救われるのは「残りの者」であると書かれてあるとおり……神さまが求めておられるのは「数」ということではないのだろうなと思うんですよね。けれども、神さまはその恵みのゆえに、さらに世界の終末が近づいた時には――イエスさまのことを通常では信じそうにない人々にも霊の雨を注いで、さらに救ってくださるのです

 それではまた~!!





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 恐怖と不安、そして喜び。 | トップ | 神さまの創造の業。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事