神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

部屋を片付ける、ということ。

2023年12月05日 | キリスト教

 世の中ではそろそろ、「年末」とか「師走」と呼ばれる季節となり……それと同時に「大掃除」とか、「お掃除便利グッズ」など、そうした特集も見られるようになってきた気がします。

 わたしも、とりあえず来週あたり来客があるので、居間など、少しくらい申し訳程度片付けねばならないんですけど、それはさておき、そうした表面的な片付けでなく、もっと根本的に部屋を片付けなきゃならない!!そうわかっているのに、何故わたしは部屋を片付けられないのか——基本的には、「時間がない」、「部屋の片付けよりも優先してやらなきゃならないことが他にある」というのが大きな理由かもしれないんですけど、唯一「埃で人は死なない!!」というタイプのわたしが感謝していることがあります。

 それは、他の人のだらしなさや、同じように部屋が片付いてないことについて、特に何も思わないというか、むしろ「仲間なかま~♪」という感じで、まったく気にならないということです(笑)。

 わたしの母はたぶん綺麗好きなほうですし、料理も裁縫もテキパキ出来て、物もきちんと片付けるタイプの人で(つまりわたしと真逆☆)、本当にご尊敬申し上げているのですが(だから、以下に書くことは母に対する不満とか悪口ではなく・笑)、でも、それならそれで、「あんなに部屋を汚くしてるなんて、信じられないわ」というのでしょうか。テレビ番組で汚部屋紹介とかやってるのを見ると、「自分だったらこんなところに絶対暮らせない~!!」とおっしゃるんですよね(ある意味まともな感覚?)。

 わたしも、テレビでそうした汚部屋紹介を見ていて、片付けてる途中でゴキブリがゴミの下からカササササ……☆と姿を現すのを見た時には、「流石にここまで来るとわたしも無理かなあ」とは思いました。あとわたし、唯一食べ物系のものは性格的に片付けたくなるので、洗い物とかキッチンに溜めておけないというか。

 でも、誰か人のうちに遊びにいって、流しに洗い物がぎゅう詰めに溜まってても、全然気になりません。これは喫茶店でウェイトレスをしたり、ジンギスカンハウスっぽいところでアルバイトしたこととかも、もしかしたら少し関係あるかもしれません。まあ、なんというか、全然知らない人が食い散らかしたものというのか、綺麗にお食事される方のほうが多いとはいえ、色々タレっぽいものがくっついてたりとか、そうした意味では汚いっちゃ汚いわけですよね。でも、そういうのも仕事と思うと不思議とまったく気にならないというか、ある意味そんなの当たり前でもあるわけで。。。

 わたし、お掃除の仕事とかもしたことありますが、これも母などは「どこの誰とも知れぬ人の使った便器を磨くとか、絶対無理~!!」みたいにおっしゃってたものでした。まあ、わたしはそういうのもあまり気にならないし、結局、飲食店系のホールの仕事などは、開店前や閉店後に掃除のあるのが普通だったり、そこには当然トイレ掃除も含まれてきます。

 ただ、今は新型コロナウイルスといったこともあるので、掃除のお仕事の方はもっと賃金上げて欲しいとは思いますし、自分だけでなく、家族にも移してしまう可能性もあると考えたりすることで、そうした関係のお仕事はあえて避ける……というのも、選択肢として当然のこととも思ったり。。。

 それで、前にボランティアで、ADHD(注意欠陥多動性障害)で、部屋を片付けられない方の部屋のお片付けをしたことがあったのですが、ひとりの方はお子さんがふたりいる方のご家庭で、本当に見事なくらい(?)ぐっちゃぐっちゃ☆でした。三人のボランティアさんで片付けはじめて、それで少しくらいは片付いたかな~という感じで、また次に奥さんの都合のいい日にもっと多い人数でやって来て片付けよう……ということになりました。でも、ここのおうちにはもう何度もボランティアの方が来ていて、どんなに綺麗に片付けても、何か月か後には同じ状態になるということだったんですよね。

 わたしも大分前のことなので、ちょっと忘れてしまったんですけど、千葉だったか横浜だったか、そのあたりから転勤で北海道へ来て、親しいママ友のような人もなかなか出来ないし、ちょっと孤独を感じている……ということだったと思います。でも、前は旦那さんの実家などもある故郷のほうで暮らしていたにしても、そちらのほうからは「なんであなたは片付けられないの?」とか、ADHDといったように話しても、「単にあなたがだらしないからよ」みたいにしか受け止めてもらえなかったということなんですよね。

 それで、この時わたし、「ボランティアってすごいなあ」と少しだけ思いました。なんというか、お掃除支援や、転勤したばかりで孤独だから話相手にとか、障害のあるお子さんの話相手にちょっとだけなって欲しいとか、そんなに物凄く大袈裟に「困ってるんですう、だから助けてください、お願いしますううっ!!」とか、「そこまで言うんなら、可哀想だから助けてあげようか」みたいな感じだと、やっぱりなんかいびつですよね(^^;)。

 でも、「ほんのちょっと助けて欲しいんだよね」くらいな感覚で、ボランティア登録されてる方が「あ、いいっスよ」っていう感じで、掃除とか、病院の付き添いとか、お金もかからず頼めるというか。確か、交通費くらいはかかったりかからなかったり、500円くらいは支給されたりとか、その施設によって違うとは思うんですけど、ひとり暮らしのお年寄りの方が自分の力でずらせなくなった家具を少し移動させるのに、便利屋さんのようなところに頼んで三千円くらい取られるとか……いえ、便利屋さんは便利屋さんで素晴らしいんですけど、「ほんのちょっとしたこと」をボランティアさんに頼めるとしたら、その仕組みはとても素晴らしいなと思ったのです。

 また、来られた方が話相手としてイマイチ気に入らなかったら、「いい人なのはわかるんだけどね~。うん、ちょっと違う方をお願いしてもいいかな」と言えるのもいいなあと思ったりしました。まあ、ボランティア側としては、断られた場合、「いいことしようと思ったのにな」という感じで、軽く落ち込む場合もあるかもなんですけど、そこらへんも含めてボランティアっていうのは難しいと、個人的には思います。。。

 それで、部屋のお片付けなんですけど、今は断捨離っていう言葉が当たり前のように知られるようになり、コンマリさんの捨てるもの、捨てたくない必要なもの、そのどっちかわからないものの三つに分け、捨てることにしたものは、感謝の気持ちを持って捨てる……という、この「感謝して捨てる」の、「感謝」という部分がアメリカなどですごく受けた、受け入れられた理由だ……みたいなのを、相当前にテレビでやっていたことがあって。

 その時も、「感謝の力」ってすごいなあと思ったのですが、マーリン・キャロザース先生の「すべてのことを、良いことも悪いことも神さま、イエスさまに感謝する」ということを実践すると、本当に人生が変わってくると思います♪とりあえずわたしは、明日と明後日あたり、ちょっと普段片付けないところまで色々掃除しなくちゃいけないので——そのひとつひとつを感謝しつつ行いたいと思っていたり

 それではまた~!!






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