神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

メビウスの輪。

2021年06月26日 | キリスト教


 >>あなたは悪を喜ぶ神ではなく、
 わざわいは、あなたとともに住まないからです。

(詩篇、第5編4節)



 さて、「神は、脳がつくった」という本のことや、そのことと合わせて「この世に神がいるなら、何故悪があるのか?」といった事柄について、何か色々書いてきたことへの、今回の記事が一応の結論部です。

 結論部、などと言っても、「神学的深遠」のところにも書いたように、「この世に神がいるなら、何故悪(悲惨なこと)があるのか?」という難問について、答えがあるわけではありません。

 ただ、この人間の側にはわからない「神学的深遠」という問題というのは、言い換えるとしたなら、それはメビウスの輪のようなものなのではないでしょうか。



 メビウスの輪とは、いらすとやさんの図のように(それにしても「いらすとや」さんにはなんでもありますね・笑)、1周して戻ってくると向きが逆転しているわけですよね。

「何故神がいるのなら、この世に悪があるのか?」といった、神学的深遠に関わる問題というのは、形状がこのメビウスの輪の構造とよく似ています。人間の手によってではくるっと回転させて、元の普通の輪の状態にすることが出来ない……という意味において。そして、そうこうしているうちにわたしたちはいつか死に、この解けないメビウスの輪はちょきんとハサミで切られるような形で終わるのです

 また、こうした人間の頭では決して解くことの出来ない問題に熱中するよりも、我々にはもっと人生で熱中すべきことがあるはずだ――と思う方のほうが多いかもしれません。でも、ライプニッツのように、このようにかなり絞りこんでくれる先達がいて、さらにこの問題を継承するような形で考え続けた人々がいてくれたお陰で、わたしたちはさらに「では、こう考えることは出来ないだろうか?」と、そうした疑問を発展させていくことが出来るわけです。

 わたしが思うに、「(生きている間は決してその存在を証明できない)神は本当にいるのかどうか」、「死後に天国など本当にあるのだろうか」、「また、もし神も天国もあるのなら、前もってそうその実存を教えてさえくれるなら、この地上に悪人は絶え、人間はもっと善良に生きることが出来るはずだ」(あ、わたしはこれ、あまりそう思ってませんけど^^;)、「神がいるのなら、毎年地震やハリケーンで命を落とす人々がいるのは何故なのか」、「新型コロナウイルスの世界的蔓延こそ、神がこの世にいない証拠だ」などなど……「神がいるなら何故△□~」、「神がいるなら、もっと因果応報の理論をしっかりさせればいい。そうすれば悪人は数が少なくなり、善人の数が増えるだろう」――マーリン・キャロザース先生の「讃美の力」にも、こう書いてあります。


 >>「私が神だとしたら、あんな風にはしないだろう。私ならペルーに地震を起こしたり、あの小さな女の子を白血病で死亡させたり、あの牧師が講壇から間違ったことを大声で語って、だまされやすい聴衆を迷わせたりすることを決して許さないだろう。……また、ヘロインの売人が子供たちを誘惑するのを私なら決して許さないだろう」

 神は、私たちがこのように感じることも、また私たちの理解がいかに狭いかも知っておられるのです。

(「讃美の力~神の力を体験する道~」マーリン・キャロザース先生著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より)


 こうした疑問については、個人的に、祈るより他に決して答えはないと思っています。

「神に祈る」と言っても、そんな実存が不確かな存在にいくら祈ったところでしょうがない……という方もいらっしゃるでしょうから、この場合はマインドフルネスに伴う瞑想ということでもいいいかもしれません(笑)。

 つまり、わたしの場合は「イエス・キリストへの聖霊さまを通した祈り」ということになるわけですが、これをある種の瞑想にたとえるとしますと、わたしの精神は宇宙の果てまでいって神さまと思しき畏敬を覚える存在と出会い、そして再び自分のいる部屋のほうへ戻ってくるということです。

 この時、宇宙の果てまで精神・心・魂といったものが翔んでいって戻ってくるまでの間に……その中間地点くらいで神さま(あるいは神さまのような存在)と出会い、メビウスの輪のねじれたような部分をくるりと翻すようにして、再び自分の肉体の脳の中にまで戻ってくるわけです。

 人が祈る時、側頭葉のある部分が発火することが計測によって確認されているそうですが、仮にわたしの脳がそのような状態をこの時示していたとして――それに一体なんの問題があるのでしょうか。この祈りを通して宇宙の果てあたりで神さまと出会い、メビウスの輪をくるっと回って戻ってくる……ということを繰り返していると、ある瞬間にまあ、大体のところわかります。

「神さま、何故神さまがいらっしゃるのなら、この世に悪というものがあるのでしょう?」と、わたしは聞いたことはない気がしますが、そのメビウスの輪のねじれというのは、神さま以外解消できないものです(つまり、このことの主権を握っているのは神であり、人間の側から「あなたはメビウスの輪のねじれを解消すべきだ」と、命令することは出来ない)。言い方を変えるとしたら、人間の側に知ることが出来る真理には限界があり、それ以上のことについては神さまというのは、「子よ、ただわたしを信じなさい」としか仰らないのではないでしょうか。

 実際のところ、これはたとえ話ですので、わたしが祈りのたびに精神だけ宇宙の果てまでいってるとかいう話ではまるでないのですが(笑)、それでも、メビウスの輪のねじれあたりを回転して、こちらへ戻ってくる時、神さまがおっしゃられるのは大体が「子よ、安心してゆきなさい」とか、何かそうしたことだと思います。

 ちょうど、旧約聖書のヨブ記と同じかもしれません。ヨブは、自分の財産すべてや子供を亡くした上、奥さんからは「神を呪って死になさい」とまで言われた人でしたが(その上、神から許しを受けたサタンは、彼の頭のてっぺんから足の裏までを悪性の腫物で打ちました)、「自分が一体こんなことに相当する、どんな悪を行なったというのでしょう」という苦悩について、ヨブは直接神と議論しあいたいと望みます。

 お話の決着のほうは、神さまが実際に現れて、御自身の創造の自慢をする(?)という、クリスチャンでない方が読んだ場合、かなりのところ納得できないものかもしれません。けれど、祈りの実践のあるクリスチャンの方ならばわかると思います。

「神が本当に真実存在した」、「自分の不平不満を聞いて、そのことに対し応えてくださった」、「それのみならず、ヨブのことを神は以前にも増して何倍もの祝福を与えた」……その事実だけで人間というのは十分納得し、>>「わたしはもう二度とあなたさまに対し、不平不満など申しません。不平などとは……おお!」といったように、そのように態度が謙遜なものにすっかり変わってしまうでしょう(また、それでも「神のこの応答自体が納得できない。神はただ、「あなたはすばる座の鎖を結べるか」だの、「あなたは稲妻を向こうに行かせることが出来るか」だの、人間に出来ないことを並べたて、自分の創造の業を自慢しただけだ――といったように感じる方は、心理学者ユングの「ヨブへの答え」を一読されることをお薦めします・笑)。

 なんにしても、この「メビウスの輪」が人間の知恵によって解かれることは今後もないものと思われます。そして、大体のところわたしたちが人生で感じる謎――「わたしたちはどこから来たのか」、「何故存在しているのか」、「そして最終的にどこへ行くのか」、「この世界が<ある>のは何故か」、「他の今とは違う世界が出来る可能性はなかったのか」、「神はいるのかいないのか」、「死後の生はありうるか」、「天国など本当に存在するのだろうか」、「神がいるならこの世界に悪や悲惨があるのは何故か」……といった疑問というのは、メビウスの輪のちょうどよじれのあたりに集中しているのだろうと思います。

 たぶん、わたしのこの答えに納得する方はいないでしょうが、祈りのたびに結び目のところをぎゅっと結び、そこのところに自分の祈りを書いた綺麗なリボンを、遠く宇宙の果てへ放ってみるのです。すると、結び目のところが解いてあって、その小さな子供には「神さまがいる」ことがわかります。また、いつもとかそうしょっちゅうではないかもしれませんが、時々わたしたちが神さまに不信の念を抱いた時に、返事の言葉が書いてあることもあります。

 ただ、ここでひとつ問題になることがあります。信仰における、「ニワトリが先か、卵が先か」といったことで悩む方というのは――「神の実存が絶対的に確信できたら祈ってみてもいい」と思われるものでしょうし、こうした方には「そんなにあれこれ悩んだりする前に、とにかく神さまがいると思って祈ればいいのに」と言っても、ほとんど無意味です(^^;)

 それこそ、メビウスの輪と同じことで、メビウスの輪が解消されてその謎が解けない限り、自分は神のことなぞ絶対信じないと信じている方にとっては、むしろ進化論などが示す「神はいない」とする言葉のほうが、もしかしたら魂の救いですらあるのかもしれません(それ以上「神はいるのかいないのか」、「神がいるのならば何故」……といった議論で心を悩ませないためには、他に手はないのではないでしょうか)。

 それではまた~!!






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神は、脳がつくった。-【5】- | トップ | 讃美の力。-神の力を体験す... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事