神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

あのころはフリードリヒがいた-【2】-

2015年07月22日 | 
【エルサレムウィンドウ:レビ族】マルク・シャガール(オールポスターズの商品ページより)


 さて、今回はお話がはじまって第6章目の<入学式(1931年)>からはじめたいと思いますm(_ _)m

 第1章目の<生まれたころ>が1925年なので、大体このころ『ぼく』とフリードリヒは六歳くらいだったのではないでしょうか。

 >>フリードリヒとぼくは、隣あった席をもらった。先生がお話をひとつしてくださったあと、ぼくたちは声を揃えて、「小さなハンスちゃん……」を歌い、それで小学校第一日は終わった。

 校門のところで、ぼくたちの両親が待っていた。ぼくの父はどっちみち失業中だったし、シュナイダーさんはこの日、休暇をとっていた。

 フリードリヒとぼくは、それぞれ、大きな、先のとんがった入学袋(※)をもらった。フリードリヒは赤、ぼくのは青で、ぼくの青のが、フリードリヒの赤のより、心もち小さかった。

 フリードリヒはすぐ、自分の袋を開けた。そして中のお菓子をぼくにもすすめ、板チョコを一枚、折りわけて、みなにくばった。

 ぼくが自分の袋のリボンをとこうとすると、母が首をふった。母はぼくを脇に呼んで、家に帰ってからになさいといった。ぼくはなぜだかわからなかった――が、母のいうとおりにした。

(※入学袋=ドイツでは、小学校の入学式の日、親から、お菓子のたくさんはいった、きれいな厚紙でできた円錐形の袋をもらう習慣がある)


 ――どうしてここで『ぼく』のお母さんは、息子をわきへ呼んで「家に帰ってからになさい」と言ったのでしょうか。

 何故かというと、この章の終わりにはこうあります。


 >>家にもどりついたとき、ぼくはもうつかれきっていて、玄関によろけこんだ。大急ぎで新しいランドセルを隅に放りだすと、入学袋のリボンをといた。中には、砂糖をかぶせたラスクが一袋はいっているきりだった。あとは、新聞紙の丸めたのがいっぱい、ものすごくいっぱいつまっていた。

 母がぼくの髪を撫でていった。

「わかってるでしょ、ぼうや。うちは貧乏なのよ」


 入学式が終わったあと、『ぼく』とシュナイダーさん一家とは、お祭り広場へと出かけてゆくのですが、『ぼく』のお父さんとお母さんとは、そそくさと家へ帰ろうとしたほどでした。

 何故といって、<お祭り広場>にはメリーゴーランドがあったり、綿菓子を売っている出店があったりするわけですが、そこで使うお金が『ぼく』の両親にはないからです。


 >>お祭り広場につくと、ぼくたちはそれぞれ、父に手をつないでもらった。父は、なにげないかっこうで母のそばに寄ってゆき、そっと耳うちした。

「五マルク、貸してくれ!」

「わたし、持ってないんですよ」母がささやきかえした。「お勝手のお金が二マルクあるだけ」

 父は、ためいきをついた。そして、いった。

「いいから、それをくれ!おれの財布にまだ七十二ペニヒあるんだ」

 母は、ハンカチでも探すようなふりをして、ハンドバッグの中をかきまわし、そっと父の手に二マルクをおしこんだ。

 父が、手の中のものを、つらそうに眺めた。ぼくは、お祭り広場にいきたいとせがんだことを後悔した。シュナイダー一家は、足どりも軽くずっと前を歩いていた。そのあとから、ぼくたちはとぼとぼとついていった。


 ――これだけでも、『ぼく』の一家がどのくらい生活に困窮していたかがわかると思います。

 フリードリヒのお父さんは郵便局員(公務員)をしていたので、おそらくそれなりに結構裕福だったのでしょう。

 そこで気前よく色々お金を出して食べ物を買ってくれるのですが(綿菓子や芥子とパンを添えた長いソーセージなど)、それに対してまったく何もしないでいるなんて、なんとも心苦しい感じのすることです。

 そこでお父さんはなけなしのお金でようやく「甘草入り棒あめ」を六本買って面目を保ち――記念写真を撮ることの出来る小屋の前では、「はがき大1枚1マルク。2枚1.5マルク」とあるのを見て、「はがき大を2枚」頼むことにしたというわけです。

 この章から伝わってくるのは、『ぼく』の一家もシュナイダーさん一家も、お互いにお互いを労りあい、優しい気持ちでおつきあいしているということでしょうか。

『ぼく』の家のお父さんがずっと失業中で(これは当時のドイツではまったく珍しくないことだったと思います)、その暮らしぶりから見てもあまり無理できないことは、フリードリヒの両親もわかっていたでしょう。そこで色々と気を遣って自分たちのほうでお金をだし、それに対して『ぼく』のお父さんが「甘草入り棒あめ」を買ってくれた時には――フリードリヒのお母さんなどは>>「こんなにすばらしいものをもらったことがない」というふうに、大喜びしたと描写されています。

 けれど、ここからだんだんに物語が進むにつれて……ご承知のとおり、だんだんに時代が悪くなってゆきます。

『ぼく』とフリードリヒとは、同じアパートの二階と三階とに住んでいるのですが、このアパートの大家さんのレッシュ氏に「ユダヤ人だから」という理由で追い出されそうになったり、またフリードリヒのお父さんは「ユダヤ人だから」という理由で郵便局を首になり、失業してしまいます。


 >>シュナイダーのおばさんが落ちつきをとりもどすまで、かなりの時間がかかった。ようやくわれにかえったおばさんは、母がわたしたぬれた手ぬぐいで、泣きはらした眼を冷やした。

「ごめんなさい」

 つぶやくようにいった。

「でも、わたし、もうだめなんです!」

 母は首をふって、シュナイダーのおばさんの髪を、やさしく撫でた。

「話してごらんなさいよ!」

 すっかり元気をなくしてしまっているおばさんを、母ははげました。

「ね、おっしゃれば気が楽になりますよ」

 シュナイダーのおばさんはうなずいた。またしても涙が溢れでた。おばさんはすすり泣いた。しばらくして、ほとんど聞きとれないほどの小さい声でいった。

「主人が、首になりましたの!」

 母はあっけにとられた顔でシュナイダーのおばさんを見つめた。

 シュナイダーのおばさんは、母には眼を向けず、テーブルかけをぼんやり眺めていた。

「でも、お宅のご主人、公務員でしょ?」母が尋ねた。

 シュナイダーのおばさんは、答えなかった。

「なにか――、いえ、そのう――なにか、まずいことでも……」

 母が事情をきこうとした。

 シュナイダーのおばさんは首をふった。また、涙が頬を伝った。

「無理矢理に退職させられたんです――」ようやくおばさんはいった。「まだ三十二歳なのに!」

「でも、どうしてですの?」母がきいた。

 シュナイダーのおばさんは顔をあげた。そして、泣き晴らした眼で、母をじっと見つめた。だいぶたって、おばさんは、一語一語に力をこめて、答えた。

「わたしたち、ユダヤ人ですもの!」

(第11章シュナイダーさん(1933年)より) 


 こののち、シュナイダーさんは裁判で戦って大家のレッシュ氏に勝ち、元のアパートに住み続けることが出来ましたし、デパートの売場主任として再就職してもいます(ちなみに、両方とも1933年の出来事)。

 けれども、その後さらに事態は悪化し――これもまた「ユダヤ人だから」という理由で、アパートを襲撃され、家財を掠め奪われ、部屋の中を滅茶苦茶にされてしまいます。フリードリヒのお母さんはそのことがよほど身に堪えたと見え、その後1938年に亡くなりました。フリードリヒはまだ13歳くらいの年齢で、母親を亡くし、このあとも「ユダヤ人」である彼には災難が次から次へと起きていくのです

 それでは、次回はこのフリードリヒ少年に降りかかった悲しい出来事について、触れることにしたいと思いますm(_ _)m

 ではまた~!!


※本文の引用箇所はすべて、岩波少年文庫の「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペーター・リヒターさん著/上田真而子さん訳)からのものですm(_ _)m



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