神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

イザヤ書、第26章。

2018年06月11日 | キリスト教
【楽園追放】シャルル・ジョセフ・ナトワール


 先日、イザヤ書のこの箇所を読んでいて……あらためてつくづく「預言者イザヤってすごいな~♪」と思いました

 旧約聖書というのはようするに、神さまに選ばれた民族イスラエルがいかに神に聞き従えず堕落していったか……また、それにも関わらず神さまは御自身の選び、民と結んだ契約の真実性のために、一体幾度この民に手を差し伸べてお救いになろうとしたか――というイスラエル民族の背信史といっていいと思います。

 そしてイスラエル民族はその長い歴史の中で、神さまに聞き従う王などが現れた時には祝福され、また神さまから遣わされた預言者の言葉に民の代表者らが聞き従えなかった時には災害や滅びの道を辿り……といったことを繰り返しています。


 >>主よ。苦難の時に、彼らはあなたを求め、
 あなたが彼らを懲らしめられたので、
 彼らは祈ってつぶやきました。

 子を産む時が近づいて、
 そのひどい痛みに、苦しみ叫ぶ妊婦のように。
 主よ。私たちは御前にそのようでした。

 私たちもみごもり、産みの苦しみをしましたが、
 それはあたかも、風を産んだようなものでした。
 私たちは救いを地にもたらさず、
 世界の住民はもう生まれません。

 あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。
 さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。
 あなたの露は光の露。
 地は死者の霊を生き返らせます。

 さあ、わが民よ。
 あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。
 憤りの過ぎるまで、
 ほんのしばらく、身を隠せ。

 見よ。主はご自分の住まいから出て来て、
 地に住む者の罪を罰せられるからだ。
 地はその上に流された血を現わし、
 その上で殺された者たちを、
 もう、おおうことをしない。

(イザヤ書、第26章16~21節)


 いえ、すごい表現ですよね

 >>私たちもみごもり、産みの苦しみをしましたが、それはあたかも、風を産んだようなものでした(イザヤ書、第26章18節)……これは、イスラエル民族が神さまに聞き従えなかった時、結果として子供を産む時の陣痛のようなひどい苦痛を経験しながらも、そんな苦しみや痛みがなんにもならなかった――ということですよね。

 もし自分の人生がそのようなものであったとしたら、一体どうしたらよいのでしょうか

 けれども、神さまは御自身の選んだイスラエルのために、御自身の真実をお捨てにはなりませんでした。


 >>あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます(イザヤ書、第26章19節)……いえ、この箇所もすごい預言だと思います。イザヤ書の預言をしたといわれるイザヤは、キリストの誕生する800年ほど前に活躍した預言者と言われておりますけれども、この箇所もメシア預言に含めていいのではないでしょうか。


 ヨハネの福音書には有名なラザロの復活という、死んで四日後にイエスさまに甦らせていただいたラザロという人物が出てきます。彼はイエスさまによって甦らされるという奇蹟を経験していますが、確かに、死人が甦るのは唯一神によってだけだと思うんですよね。

 そして、次節の>>さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。という箇所ですが、神さまはアダムを創造された時、彼をちりから造ったと言われています。


 >>その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。

(創世記、第1章7節)


 そしてこのアダムが自分の伴侶であるエヴァから善悪を知る木の実を受け取って食べた時……神はこう仰せられました。


 >>また、アダムに仰せられた。

「あなたが、妻の声に聞き従い、
 食べてはならないと
 わたしが命じておいた木から食べたので、
 土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
 あなたは、一生、
 苦しんで食を得なければならない。

 土地は、あなたのために、
 いばらとあざみを生えさせ、
 あなたは、野の草を食べなければならない。

 あなたは、顔に汗を流して糧を得、
 ついに、あなたは土に帰る。
 あなたはそこから取られたのだから。
 あなたはちりだから、
 ちりに帰らなければならない」

(創世記、第3章17~19節)


 あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。……いえ、人間ってほんと、ちりみたいなものですよねー(^^;)

 死んで土に埋められ、分解されたら土に帰りますし、火葬されたら灰=塵にも等しいという感じがするというか。

 でも、聖書の詩篇に


 >>人とは、何者なのでしょう。
 あなたがこれを心に留められるとは。
 人の子とは、何者なのでしょう。
 あなたがこれを顧みられるとは。
 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。

(詩篇、第8編、4~5節)


 とあるように、神さまは「何故か」人間たちに御心を留めてくださいます。

 イエスさまがこの世に誕生されたこともそうですし、新約聖書はイエスさまの誕生についてのお話からはじまるわけですが、そのような形でこの世の救世主がお生まれになるということも、イザヤ書の中には預言されています。

 今回はとりあえず、イザヤ書第26章のさらに次の節に注目したいと思うのですが、


 >>さあ、わが民よ。
 あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。
 憤りの過ぎるまで、
 ほんのしばらく、身を隠せ。

(イザヤ書、第26章20節)


 この節の背景にあるのはもちろん、出エジプト記のモーセがイスラエルの民を率いてエジプトを出ようとした時――最後の最後までエジプトのファラオが「そんなことは決してさせまい」として妨害した結果、全エジプトの初子を殺し、そのかわりイスラエルのことは守ったという「過越(すぎこし)」のことが背景にあります(※過越=「通り越す」、「容赦する」の意。つまり神のさばきが通り過ぎるの意)。


 >>そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。

「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。

 ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。

 主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家にはいって、打つことがないようにされる。

 あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のためのおきてとして、永遠に守りなさい。

(出エジプト記、第12章21~24節)


 イスラエルの人々は、鴨居と門柱に血をしるしとして塗ることで、神の刑罰を免れたわけですが、このことを記念としてイスラエルの人々はその後ずっと「過越しの祭り」を守っています。

 そして、イエスさまが十字架で苦しみの極みを経験して息を引き取られたのは、この「過越しの祭り」の時のことで、このように聖書というのは旧約から新約へと続いてすべてが繋がっているんですよね

 さらに、次節、21節。


 >>見よ。主はご自分の住まいから出て来て、
 地に住む者の罪を罰せられるからだ。
 地はその上に流された血を現わし、
 その上で殺された者たちを、
 もう、おおうことをしない。


 日本人的にはあまり、キリスト教の最後の審判的なことって、「そんなこと、ほんとにあるだかに?」といった感じで、あまりピンと来ないというか、死後に自分の罪が裁かれるという思想自体、あまり人気のない(?)ものだとは思うんですよね。

 けれども、新約聖書の最後の書である黙示録の時代が訪れた時……殉教といったことは許されるにしても、過越しの時のようにイエスさまを信じるすべての者を守ってくださるわけです。

 わたしも自分がクリスチャンになる前までは、「自分を信じる者だけを救う」とか、それ以外の人は罰する、裁く……といったように噂で聞いて、「そんな不公平な神さま、ほんとの神さまじゃないやい!」みたいに思っていたものでした。

 =キリスト教の神さまだけは絶対に本当の神さまではありえないな、といったように。

 けれども、日本人以上に合理的で理性的なものの考え方をする欧米の人々が今もキリスト教を信じている、信じ続けることが出来ている――ということには理由があって、このイザヤ書、あるいは他の預言者であるエレミヤやエゼキエルの預言の書などもそうですが、ここだけパッと開いて読んでも、本当にさっぱり意味がわかりません

 でも、イエスさまのことを信じる告白を教会でして、聖霊さまが与えられてみると、「あー、なるほど。そういうことなんだ~♪」と、だんだんに理解が進んでいきます

 そして最後には思うのです。すでに旧約聖書の最初の頃から、神さまは御自身の御子であるイエスさまのことをこの世に誕生させるという御計画をお持ちだったのだろうなあ、というように。。。

 確かに、このような神さまというのはこの世界の他にどこにもおられませんし、聖霊さまによって正しく理解するなら、この方以外に神さまという存在はありえない……ということが、それもまた神さまの恵みによる理解力によってわかってくるのです。

 それではまた~!!





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