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今回も再び、第6章「不平よ、さらば」より学んでいきたいと思いますm(_ _)m
>>ある夫妻が「獄中からの讃美」を読んで、すべての事に感謝することは神のみこころであるという確信を与えられました。ある日の夜、午前二時半頃、ガラスの割れる音で彼らは目がさめました。外を見ると、車の窓ガラスが全部たたき割られ、犯人の若者たちが角を曲がって逃げて行くのが見えました。
この夫妻は、神を讃美する機会を神が与えてくださったのだと考え、共にベッドにひざまずき、この事を神に感謝しました。
その翌朝、夫が車を修理のためガレージへ運んで、事の次第を話しました。
「主に感謝します。この事の背後に神はきっと驚くべき目的を持っておられるのですよ」と彼は言いました。
ガレージの主人は首を振って言いました。
「私がそんな目にあったとしたら、そいつらに弁償させないでおくもんですか」
「その必要はないんです。神がこの事に関係しておられます。私が腹を立てる必要はないわけです」と彼は笑って説明しました。
ガレージの主人はしばらく彼をじっと見つめて言いました。
「私はクリスチャンになってもう何年にもなるんですが、乱暴されたことを神に感謝するなんて、まだ聞いたことがありませんよ」
ふたりは話を続けました。彼はガレージの主人に聖霊のバプテスマのことや、また讃美によって神の力が解放されることについて話しました。
「待ってください。聖霊のバプテスマのことは、私はもうあきあきするほど聞いていますよ。いつも見えるお客さんの中にその事ばかり話す方がいるんです。しかし神を讃美することについてもっと話してください。それには興味があります」とガレージの主人は言いました。
聖霊のバプテスマも、神をたたえる讃美も両方とも、全く神を信頼して自らをゆだねることからくるので、この二つはひとつに結びついていると思う、と彼は説明しました。ついにこの主人は、聖霊に満たされたビジネスマンの集会の招きを受け入れました。その集会で、彼は聖霊のバプテスマを経験したのです。
次にこの主人は、すべての事に感謝しようと決意しました。第一番目は仕事のことでした。この二年間、商売は悪くなる一方で、倒産の心配さえあったのです。その翌日の午後、従業員のひとりが悪いしらせを持ってきました。事故に遭ってトラックを壊したというのです。これは倒産という羽目になる最後の一撃になりかねませんでした。
その主人は若い従業員を見ました。彼は、いかにも主人の怒りの爆発を予期している様子で青い顔をし、震えながら立っていました。ところが主人は怒るどころか、笑って腕をその青年の肩にかけて言いました。
「この事故を神さまに感謝しよう。そして神さまがこのことを益としてくださることを信じよう」
型通り、保険金の請求が出されました。主人の驚いたことには、その保険金で緊急の支払いをすることができたのです。この事故が彼の事業の転換点となって、以後彼の収益は著しく増え始めました。事業ばかりか、その事故は主人の人生そのものにおいて、もっと大切な転換点となっていたのです。彼は今や生活のあらゆる領域で、ますます大きくなる喜びと平安を経験するようになったのです。さらに今度はその彼の一目でわかる喜びに触れた多くのお客たちが次々とイエス・キリストを救い主として知るようになったのです。
(『讃美の力。―神の力を体験する道―』マーリン・キャロザース先生著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より)
第6章には他に、失業を経験した時、そのことをイエスさまに感謝し讃美したところ、よりよい職場に導かれたというお話など、とても素晴らしいお証しがいくつも載っています♪
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説明の必要はないと思うのですが、「型通り、保険金の請求が出され」、その保険金で緊急の支払いをすることができたというのは実に結構なことだけど――「そんなの、神に感謝しようと讃美しようと関係なく同じことが起きたのでは?
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また、「引き寄せの法則」と言うらしいんですけど、「どんなことにも感謝するといいことがあるのは、宇宙の法則としてそうなのである」的なことが書いてある、自己啓発本もあるみたいなんですよね(^^;)
でも、やっぱりそういうことではなく……このあたりのことというのは、人がイエスさまのことを信じようと決意する時と同じく、<意志>の力が必要であることが、続く第7章「イエスのよろこび」に書いてあります。
>>「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました」(エレミヤ書、第15章16節)
よろこびとはたしかに、私たちの感じるはずの何かです。それは幸福で、ゆたかな、楽しい経験であるはずです。しかし、よろこびは感情に基づくものではありません。私たちはよろこびを感じるから喜ぶべきというのではなく、むしろ喜んだ結果としてよろこびを感じるのです。
ダビデは喜ぶことの秘訣を学び知っていました。「おののきつつよろこべ」と彼は詩篇第2編11節に書いています。
「今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌をうたい、主にほめ歌を歌おう」(詩篇、第27編六節)
長い間私は、よろこびとは、自分が満足して、まわりが万事幸福な時に経験するものであると考えていました。しかし、今ではよろこびは私の感情の中にわき上がってくるのではなく、私の意志が引き金となって起こるものであり、それは讃美の生活の本質的な部分であることが分かりました。
「神を敬う人々のすべてのよろこびが、主への讃美からわき上がるように。主をほめたたえることは正しいことだからである」とダビデは詩篇33編1節(リビング・バイブル)に書いています。
よろこびと感謝と讃美は互いに結びついています。そしてすべての事で神を讃美し神に感謝するということは、私たちがすべての事を喜ぶようになるまでは完成しないのです。
(『讃美の力。―神の力を体験する道―』マーリン・キャロザース先生著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より)
感情的に面白くない時でも、口角を上げているとナチュラル・キラー細胞がどうたらいう話をテレビでやっていた気がするのですが、それに似ているかもしれません。自分にとって都合のいい、喜ばしいことが起きたら喜ぶとか、自分にとって居心地のいい幸福な環境が整えられたら感謝する――というのではなく、イエスさまのことを信じて聖霊のバプテスマを与えられると、その後色々わかってくるわけです。聖霊さま御自身が主イエスの喜びそのものなので、「これからはどんなことも神さまに感謝し、賛美します
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先の本文からの引用にあるガレージのご主人は、イエス・キリストのことは信じていましたが、聖霊さまの御力のことについてはまだご存知ではないクリスチャンの方でした。わたし自身は幸運にも偶然、聖霊さまの力の強い教会へ導かれ、すぐに『獄中からの賛美』もこの『讃美の力』についても読み、最短距離といってもいいくらい、ポイントを絞って大切なことを学ぶことが出来て、本当にラッキーだったと思います
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けれども、聖霊の力が弱いというわけではないのですが、とにかく伝統的に伝えられていることをずっと守り続けていて、そこから外れないことが信仰深いことだと信じている――といった教会へ行った場合、「今日わたし、イエスさまを信じる決意をします」と言って信じたとしても、「この聖霊のバプテスマってなんですか」とか、「どうやったら聖霊のバプテスマを受けたことがわかるのですか」……といったことが質問しにくい雰囲気があったり、「あなたはイエスさまを信じるという信仰告白をしたのですから、すでに聖霊を受けているはずですよ」と牧師さんなどに言われた場合――「いや、本当に聖霊のバプテスマとかいうのを受けた実感がないのですが
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でもこのガレージのご主人は、とうとう受けたわけです。クリスチャンとして何年も過ごしながらも知らなかった、主イエスを讃美し、どんなことをも主にあって感謝し喜ぶことの秘訣を
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普通、自分が経営している会社が潰れそう……となったら、お金の心配のことが朝から晩まで頭を離れないでしょうし、そのことを考えるせいで気鬱にもなり、あるいはいつもイライラして、周囲の人にも当たってしまう――日曜礼拝へ行っても、「神さま、どうか助けてください
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けれど、ここで180度信仰の態度を変えることが大切なのだと思います。
頭の中に何か心配事や悩み事がある時、表面上は誰か人としゃべっていて、一応ニコニコ普通にしているように見えたとしても、そういう時の頭の中のパーセンテージって大体、心配事と悩み事93%、通常の会話能力4%、今日の夕食のこと2%、神さまのこと1%……みたいな内訳かもしれません。でもこれを他でもない自分自身の意志の力で意識的に変える決意をするわけです。
神さまのこと70%、通常の会話能力20%、心配事や悩み事7%、今日の夕食のこと3%……「いや、絶対無理やろ。なんせ自分が経営してる会社が倒産しかかってんで☆
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けれど、最初意志によってあえてそう決め、あとのことはイエスさま、聖霊さまにお委ねすることにするわけです。ですから、もちろん最初からそんなにうまくいくわけではありません。たぶん、最初のうちは神さまのこと30%、心配事や悩み事58%、通常の会話能力10%、今日の夕食のこと2%……くらいにでもなったとすれば、まだ全然いいほうですよね(^^;)
でも間違いなく確かに、そうした心がけによって、一気に急にでなくても――必ず変わる転換点といったポイントがあるということなのだと思います。そして、そういったポイント地点を通過し、このガレージの御主人のように問題が解決した場合、その後自然とこのパーセンテージのほうは増えていくのです。神さまのこと77%、通常の会話能力12%、心配事や悩み事10%、今日の夕食のこと1%……といったように。
また、このガレージのご主人の場合、そのような心がけでいたところ、自然と「彼がそのように変わったのは何故か」ということに、人々が惹きつけられるようになった、ということなのだと思います。
>>パウロはピリピのクリスチャンたちに書き送りました。
「すべてのことを、つぶやかず、また疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲った邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。……私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです」
(ピリピ人への手紙、第2章14~16節、第3章1節)
不平をやめてキリストにあって喜ぶこと、それによってはじめて私たちは暗い世の中にあって「いのちの言葉」をかかげて、灯台の光のように輝くものとされるのです。このことはピリピにおいてそうでしたし、今日もそうなのです。
つぶやくことをやめて、まわりに見られる暗いこと、ゆがんだことのすべてを主に感謝しようではありませんか。そうすれば、神の光が暗闇に輝いてくるのを見ることになります。
(『讃美の力。―神の力を体験する道―』マーリン・キャロザース先生著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より)
とはいえ、新型コロナウイルスと、それに関連する問題によって――「そんなことはとても無理だ
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そしてその一方、「今まで特に気を留めたこともなかった当たり前のこと、小さなことひとつひとつに感謝するようになった」という声も、わたし自身は毎日のように聞いています。人それぞれ、色々な事情や困難があると思いますが、感謝と賛美の第一歩を踏みだすことで何かが変わってゆくということ、「どのみち同じなら、とりあえずやってみよう」と意志の力でまずは決意することからはじめることが大切なのだと思います。
それではまた~!!
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