【SNSで届けられたクソリプを華麗にスルーする男性のイラスト】……って、いらすとやさんの説明に書いてある。流石!!(笑)。
ひとつ下の記事と繋がるんですけど、SNS関係でくよくよループを経験する方は多いらしい……という話。
というより、一度もそんな経験したことない方のほうがいないくらいであって、「ラインのグループで自分だけ誘われなかったけど、どうしよう」、逆に「ラインのグループの仲間に入れてと言ったら断られた」など……聞いてるだけで、「喰らうダメージの大きさ」が想像できすぎて胸が痛みます。。。
また、十代の方で学校でいじめがあったといった場合、そうした場所で本人を締め出した形で悪口を言うとか、明日はこういう形でいじめてやろうといった相談をしたりとか……「うわー、怖ェッ!ついていけねえッ!!」みたいに思ったものでした。
それで、わたしが何を心配してるかというと、子供の頃からSNSを使うことと、「脳のクセ」っていうことだったりするんですよね。SNSに特有の「悪気があって書いたわけじゃないことを、悪意があるように受け取られてしまい、次の日から悪者扱い。どうやったらこの誤解を解けるでしょう」といったようなくよくよループじゃなくても、人間は誰でも生きていればある瞬間は必ず「あの時、ああしてれば」とか「こう言ってれば」といったくよくよループに嵌まることは絶対あると思う。
仮にSNSがなくても、スマホ持ってなくても、わたしの時代にもくよくよループはあったし、十代の頃は特に色んなことにくよくよしながら成長していくものなんだろうなと思うわけですけど、なんていうか、SNSにおける「くよくよループ」って特殊ですよね
それで、十代の頃って新しい経験、初めての経験を次々脳にインプットしていくという成長過程のただ中にあるので、この時期に何度となく「くよくよループ」を経験し、それを乗り越えられなかった、常に敗者の立ち位置を押し付けられ、そのことでもくよくよ悩み続けた……とした場合、それはその子が成長して二十代になっても三十代になっても引きずる「くよくよループ」なんじゃないかっていう意味で、SNSは結構危険なんじゃないかと思うっていうことだったり。
ひとつ下の記事と繋がる点は、「十代の子にとってSNSは有害だ、との調査報告がある」ということなんですけど、わたし自身、「もし「くよくよループ」ばかりで悩む十代だったら、それは脳のクセ」として二十代になっても三十代になっても引きずる可能性がある」と誰かに中学生くらいの頃に教えてもらっていたら――「漫画読んだりゲームばっかりやったりしてないで、もう少し外にも出ようかな」と思ったかもしれない……と思ったりもします(^^;)
すごく難しいことですけど、親御さんにしても、子供のほうで「この子はスマホなんていうこんな小さなもののちんまりした世界でくよくよループに嵌まってるんだな」と思ったら、「くよくよループを断ち切る方法」というか、そういう方向に動けるように助けてあげるとか……いえ、わかってますけどね。これもまた、言うはやすし、横山やすし案件だっていうのは。
とにかく、世の中色々難しく、ややこしくなりました。ある引きこもりの男の子がいて、彼は見た目的にもちょっと格好いいくらいで、一見してみる限り「これで一体何を悩むことがあるの?」みたいに見える感じの人。ところが、一言じゃべりはじめると、本人が「鬱病だ」と告白してるのが何故かわかる、不安感が満載な感じの方で(まあ、わたしも人のこと言えませんけどね。不安感満載って意味で・苦笑)。言ってみれば常に、ほんのちょっとしたことが原因でくよくよループが発現するらしく。。。
まず、どこかへ出かけるとする。「何を着ていくか?拘りはまったくないけど、人から見ておかしくないかどうか、何回も確認する」、「髪の毛、人から見ておかしくないかどうか、何回も確認する」、「その他、口臭チェック&体臭チェック」(簡単にいえば、これらは人から良く思われたいからではなく、自分が人から見て不快感を与える存在でないかどうかということのために繰り返し行われるわけです)……これでようやく「さて、出かけるぞ」となるけれども、この時点でもう相当疲れている。そして、こんなことが続くうち、もうどこへも出かけたくなくなる……といった形で引きこもっている、というか。
とりあえず、会った方はみんなこう思います。見た目的に「ちょっと格好いいな」っていうだけじゃなく、ようするに性格的に「純粋な人だなあ」というのがすごく伝わるので、大体みんな彼に好感を持つと思うわけですが、本人は自分ではまったくそうは思わない。また、「カウンセリングに通ってるんだし、そのうち彼女でも出来て人生が良いほうに転がっていくんじゃないかな」と大半の方が思いそうなのですが、これもまた結構難しい、というか。
なんていうか、話をしてると結局、どれもそっち方向へ向かうんですよね。「今、自分はこう思われなかっただろうか」とか、「不愉快な印象を与えなかっただろうか」とか、「そんなことばかり気にしている自分が本当に嫌になる」などなど……まあ、聞いてるうちに並の人であれば「結局のところ貴様は、自分のことしか頭にないんかーいっ!!」となるかもしれません。でも彼の場合、「自分ひとりがダサい奴」と思われるのであればまだしも、「一緒にいる人もオレがいるせいでそう思われたら申し訳ない」などなど、人のためにもくよくよ悩む。
で、こうなると結局、友達でもなんでも、ずっと根気良くつきあい続けるのはつらいです。「ああ、どうせまたおまえ、自分がくよくよ悩むことをメインディッシュにしてしゃべるんだろ?もうそれ、つきあってるこっちも疲れたよ」的な……そして、本人は相手にそう思わせているともわかっているので、そのことでもくよくよ悩む。。。
いえ、SNSの本当にすごいところは、こういう「自分が普段感じ、悩んでいることについて」すべてさらけだして告白すると、必ず「その気持ちわかるっ!!」という感じで、必ずわかってくださる方が現れるということだと思います。また、直接会ってずっと話を聞き続けると、「むしろこっちが巻き込まれて病気になりそう」な感じでも、ネット経由だと間接的な文字のやりとりがメインになるので、そのあたりで人生相談するとかして、自殺しようと思っていたところを思い留まる……とか、本当にあると思います。
さっきのいじめの件で言えば、「ライングループで自分だけ外されました。同じ経験をした方いませんか?また、その時どんなふうに対処したか教えてください。本当に困っています。よろしくお願いします」みたいに、人生相談系のサイトさまなどに書き込むと、必ず返事が来たりしますよね。結局のところ、SNSを賢く楽しく運用するのも本人次第……でも、ある程度正しい距離感みたいなものを掴めるまでは、自分も傷ついたり、逆に相手を傷つけたりもして学んでいくっていう過程が絶対的に必要不可欠だと思う、というか。
くよくよ悩むことは、当然誰しもある。でも、傷ついた原因や種類にもよると思うけれど、「この程度のくよくよなら、まあそのうち消えるだろう」とか、「来年まで覚えていることはないだろう」、「そうとわかっていても、<今>目の前でこれが起きている以上暫くはくよくよするな、こりゃ……」などなど、くよくよとの適切な距離の取り方であるとか、ある程度くよくよしたら、「もうこれ以上は悩んでもしょうがないや」と気分を切り換えるなど……繰り返すうち、自分でもだんだん対処の仕方がわかってきたり、とか。
ただ、そうなるまでには成長の過程で最低でも1つか2つか3つか4つくらいは、まあ大きなくよくよを煩い、「これは永遠に続くんじゃないか?」というくらいの拷問に等しい時を過ごす――といったことも、これも誰しもあることだと思う。
でも、十代とか思春期って、本当に特別な期間だと思うので、ここで脳のクセとして「くよくよループ」がついてしまうと、本当に、本人にももうどうにも出来ないんですよね。二十代になっても三十代になってもずっと引きずる可能性も高いし、そのどこかの過程で自殺することを深刻に考えるか、本当に自殺してしまう方も多い。
何故かというと、くよくよループから抜け出すためには、唯一「死」のみがその出口にしか見えず、そういう時、人って自分の人生は90%のくよくよと、残り10%の幸福で出来ている……くらいになってるものだから、今後とも90%の苦しみが続くなら、残り10%程度の幸福のために生きようという気にはなれない。それで、ほんの少しの間苦しみや痛みを我慢すれば、くよくよのない世界へ行けることのほうが――生きるよりもずっと楽であるようにしか思われなくなってくる、というか。
何より、十代の頃は特にくよくよ悩んでばかりいると、それが脳のクセになるかもしれないよ……なんて誰も教えてくれませんし、大切なのはくよくよ悩んでも、そののちくよくよを乗り越えた先にこういった幸福や成功体験があった、だからあの苦悩はあの時あって良かった――みたいになれることとは思うんですけど、これもまたなかなか難しいことなんじゃないかな、なんて個人的には思ったりします。。。
それではまた~!!
ひとつ下の記事と繋がるんですけど、SNS関係でくよくよループを経験する方は多いらしい……という話。
というより、一度もそんな経験したことない方のほうがいないくらいであって、「ラインのグループで自分だけ誘われなかったけど、どうしよう」、逆に「ラインのグループの仲間に入れてと言ったら断られた」など……聞いてるだけで、「喰らうダメージの大きさ」が想像できすぎて胸が痛みます。。。
また、十代の方で学校でいじめがあったといった場合、そうした場所で本人を締め出した形で悪口を言うとか、明日はこういう形でいじめてやろうといった相談をしたりとか……「うわー、怖ェッ!ついていけねえッ!!」みたいに思ったものでした。
それで、わたしが何を心配してるかというと、子供の頃からSNSを使うことと、「脳のクセ」っていうことだったりするんですよね。SNSに特有の「悪気があって書いたわけじゃないことを、悪意があるように受け取られてしまい、次の日から悪者扱い。どうやったらこの誤解を解けるでしょう」といったようなくよくよループじゃなくても、人間は誰でも生きていればある瞬間は必ず「あの時、ああしてれば」とか「こう言ってれば」といったくよくよループに嵌まることは絶対あると思う。
仮にSNSがなくても、スマホ持ってなくても、わたしの時代にもくよくよループはあったし、十代の頃は特に色んなことにくよくよしながら成長していくものなんだろうなと思うわけですけど、なんていうか、SNSにおける「くよくよループ」って特殊ですよね
それで、十代の頃って新しい経験、初めての経験を次々脳にインプットしていくという成長過程のただ中にあるので、この時期に何度となく「くよくよループ」を経験し、それを乗り越えられなかった、常に敗者の立ち位置を押し付けられ、そのことでもくよくよ悩み続けた……とした場合、それはその子が成長して二十代になっても三十代になっても引きずる「くよくよループ」なんじゃないかっていう意味で、SNSは結構危険なんじゃないかと思うっていうことだったり。
ひとつ下の記事と繋がる点は、「十代の子にとってSNSは有害だ、との調査報告がある」ということなんですけど、わたし自身、「もし「くよくよループ」ばかりで悩む十代だったら、それは脳のクセ」として二十代になっても三十代になっても引きずる可能性がある」と誰かに中学生くらいの頃に教えてもらっていたら――「漫画読んだりゲームばっかりやったりしてないで、もう少し外にも出ようかな」と思ったかもしれない……と思ったりもします(^^;)
すごく難しいことですけど、親御さんにしても、子供のほうで「この子はスマホなんていうこんな小さなもののちんまりした世界でくよくよループに嵌まってるんだな」と思ったら、「くよくよループを断ち切る方法」というか、そういう方向に動けるように助けてあげるとか……いえ、わかってますけどね。これもまた、言うはやすし、横山やすし案件だっていうのは。
とにかく、世の中色々難しく、ややこしくなりました。ある引きこもりの男の子がいて、彼は見た目的にもちょっと格好いいくらいで、一見してみる限り「これで一体何を悩むことがあるの?」みたいに見える感じの人。ところが、一言じゃべりはじめると、本人が「鬱病だ」と告白してるのが何故かわかる、不安感が満載な感じの方で(まあ、わたしも人のこと言えませんけどね。不安感満載って意味で・苦笑)。言ってみれば常に、ほんのちょっとしたことが原因でくよくよループが発現するらしく。。。
まず、どこかへ出かけるとする。「何を着ていくか?拘りはまったくないけど、人から見ておかしくないかどうか、何回も確認する」、「髪の毛、人から見ておかしくないかどうか、何回も確認する」、「その他、口臭チェック&体臭チェック」(簡単にいえば、これらは人から良く思われたいからではなく、自分が人から見て不快感を与える存在でないかどうかということのために繰り返し行われるわけです)……これでようやく「さて、出かけるぞ」となるけれども、この時点でもう相当疲れている。そして、こんなことが続くうち、もうどこへも出かけたくなくなる……といった形で引きこもっている、というか。
とりあえず、会った方はみんなこう思います。見た目的に「ちょっと格好いいな」っていうだけじゃなく、ようするに性格的に「純粋な人だなあ」というのがすごく伝わるので、大体みんな彼に好感を持つと思うわけですが、本人は自分ではまったくそうは思わない。また、「カウンセリングに通ってるんだし、そのうち彼女でも出来て人生が良いほうに転がっていくんじゃないかな」と大半の方が思いそうなのですが、これもまた結構難しい、というか。
なんていうか、話をしてると結局、どれもそっち方向へ向かうんですよね。「今、自分はこう思われなかっただろうか」とか、「不愉快な印象を与えなかっただろうか」とか、「そんなことばかり気にしている自分が本当に嫌になる」などなど……まあ、聞いてるうちに並の人であれば「結局のところ貴様は、自分のことしか頭にないんかーいっ!!」となるかもしれません。でも彼の場合、「自分ひとりがダサい奴」と思われるのであればまだしも、「一緒にいる人もオレがいるせいでそう思われたら申し訳ない」などなど、人のためにもくよくよ悩む。
で、こうなると結局、友達でもなんでも、ずっと根気良くつきあい続けるのはつらいです。「ああ、どうせまたおまえ、自分がくよくよ悩むことをメインディッシュにしてしゃべるんだろ?もうそれ、つきあってるこっちも疲れたよ」的な……そして、本人は相手にそう思わせているともわかっているので、そのことでもくよくよ悩む。。。
いえ、SNSの本当にすごいところは、こういう「自分が普段感じ、悩んでいることについて」すべてさらけだして告白すると、必ず「その気持ちわかるっ!!」という感じで、必ずわかってくださる方が現れるということだと思います。また、直接会ってずっと話を聞き続けると、「むしろこっちが巻き込まれて病気になりそう」な感じでも、ネット経由だと間接的な文字のやりとりがメインになるので、そのあたりで人生相談するとかして、自殺しようと思っていたところを思い留まる……とか、本当にあると思います。
さっきのいじめの件で言えば、「ライングループで自分だけ外されました。同じ経験をした方いませんか?また、その時どんなふうに対処したか教えてください。本当に困っています。よろしくお願いします」みたいに、人生相談系のサイトさまなどに書き込むと、必ず返事が来たりしますよね。結局のところ、SNSを賢く楽しく運用するのも本人次第……でも、ある程度正しい距離感みたいなものを掴めるまでは、自分も傷ついたり、逆に相手を傷つけたりもして学んでいくっていう過程が絶対的に必要不可欠だと思う、というか。
くよくよ悩むことは、当然誰しもある。でも、傷ついた原因や種類にもよると思うけれど、「この程度のくよくよなら、まあそのうち消えるだろう」とか、「来年まで覚えていることはないだろう」、「そうとわかっていても、<今>目の前でこれが起きている以上暫くはくよくよするな、こりゃ……」などなど、くよくよとの適切な距離の取り方であるとか、ある程度くよくよしたら、「もうこれ以上は悩んでもしょうがないや」と気分を切り換えるなど……繰り返すうち、自分でもだんだん対処の仕方がわかってきたり、とか。
ただ、そうなるまでには成長の過程で最低でも1つか2つか3つか4つくらいは、まあ大きなくよくよを煩い、「これは永遠に続くんじゃないか?」というくらいの拷問に等しい時を過ごす――といったことも、これも誰しもあることだと思う。
でも、十代とか思春期って、本当に特別な期間だと思うので、ここで脳のクセとして「くよくよループ」がついてしまうと、本当に、本人にももうどうにも出来ないんですよね。二十代になっても三十代になってもずっと引きずる可能性も高いし、そのどこかの過程で自殺することを深刻に考えるか、本当に自殺してしまう方も多い。
何故かというと、くよくよループから抜け出すためには、唯一「死」のみがその出口にしか見えず、そういう時、人って自分の人生は90%のくよくよと、残り10%の幸福で出来ている……くらいになってるものだから、今後とも90%の苦しみが続くなら、残り10%程度の幸福のために生きようという気にはなれない。それで、ほんの少しの間苦しみや痛みを我慢すれば、くよくよのない世界へ行けることのほうが――生きるよりもずっと楽であるようにしか思われなくなってくる、というか。
何より、十代の頃は特にくよくよ悩んでばかりいると、それが脳のクセになるかもしれないよ……なんて誰も教えてくれませんし、大切なのはくよくよ悩んでも、そののちくよくよを乗り越えた先にこういった幸福や成功体験があった、だからあの苦悩はあの時あって良かった――みたいになれることとは思うんですけど、これもまたなかなか難しいことなんじゃないかな、なんて個人的には思ったりします。。。
それではまた~!!
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