カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

まわるまわるよ、みずぐるま。

2014-06-09 13:27:53 | 洛外うろうろ
木之本を出て、びわ湖東岸の湖岸道路を南下。2時間程の快適ドライブ♪
「水車橋」と書かれた信号を左折して川沿いに走ると、びわ湖の内湖のひとつ
伊庭内湖(いばないこ)に面した公園に到着します。



『能登川水車とカヌーランド』という名称のレジャー施設で、関西最大級の
水車が回っています。
広~い芝生広場の公園にポツンと、しかしデッカイ水車が・・・

ところで「能登川」って名前の川があるんだと思っていたら、そんな川は
存在しないんですよね。
能登川町を流れているのは須田川、伊庭内湖からびわ湖に流れる川は
大同川って言います。この川の南北には愛知川(えちがわ)町の愛知川、
西湖から流れている長命寺川には長命寺町があるし。普通は何とか川って
地名には同じ名前の川があるものですよね。
ここも大昔、一時期だけ瓜生川(うりゅうがわ)を能登川と呼んだ記録が
あるそうですが・・・今は能登川って河川はありません。











この地域は、琵琶湖の内湖の一つ「大中の湖」とその周辺の「小中の湖」の
干拓がすすめられ、1966年に大中の湖干拓事業が完成しました。
その時の一部が水路として残されたのが今の伊庭内湖と大同川です。

7世紀前半に大陸から伝えられたという「能登川水車」かつてはこの地域に
40基近くもあったようです。全て撤去されてしまっていたのを、平成3年に
着工した公園整備と同時に、直径13mの水車として復元されたとのこと。












ひたすら回り続ける大水車、何か悠久の時の流れを遡るかのようです。











そろそろ陽が落ちてきました・・・


『能登川水車とカヌーランド』、広大な芝生広場に水遊び体験エリア、
カヌー基地、水車資料館などが併設されています。
公園利用は無料、駐車場も無料。ただしボートの貸出しなどは有料です。

ここは水車資料館(入場無料)、レストハウス「みずぐるま」にも
なっていますが、私らが行った時にはもう閉店していました。



そうそう此処にも水車がありました。



公園のアイドル? 典型的な公園ネコですね。∧_∧









伊庭内湖、大同川ではフィッシングも楽しめますが、びわ湖は全域で
ブラックバスやブルーギルなどの外来魚のリリースは禁止ですからね!
回収ボックスや回収いけすに入れて帰って下さい。
なお、外来魚の密放流は6ヶ月以下の懲役または10万円以下の罰金、
あるいはそれらが併科されます。













帰り道、湖東平野は収穫期を迎えた広大な黄金色の麦畑と水田は田植えが
始まっていました。



2014.5/18、能登川にて。

あっ、官兵衛!

2014-06-07 23:45:04 | 洛外うろうろ
NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」の放映に合わせて、滋賀県長浜市では
歴史館とドラマ館、2会場を設けてゆかりをアピール。
秀吉に天下を取らせた男ってことなのかな、それまでは黒田官兵衛をウリには
していなかったように思うけど・・・

長浜城歴史博物館で特別展を観るため入場した際、木之本にあるドラマ館の
共通入場券を購入しました。ここまで来たら両方行っとかないとね、割引にも
なることだし。長浜城から木之本まではクルマで30分ほどかかりますが。(^_^ゞ

その前にちょっと、黒壁スクエア周辺を探索。サラッとね・・・

〈開知学校〉国登録有形文化財


明治7年に建てられた滋賀県最初の小学校。
木造3階建、八角塔屋付の擬洋風建築で、もちろん改修されたものらしい。
現在展示・会議室として活用されているとのことだが、何故か1階は
PUB & BARになっている。
以前、安土で見た「旧柳原学校舎」と同時期のものでしょう。


〈浜京極〉
ここもある意味レトロなアーケード商店街。黒壁スクエアは町おこしの成功例
として全国的にも有名で、各地から視察にも訪れるそうだが、ここは
取り残されたって感じ。ご多分にもれずシャッター商店街のようだ。
ちなみに町おこしのモデルとしてもてはやされる黒壁スクエアの開発・運営
会社である株式会社 黒壁は、大赤字なんだそうです。


〈長浜タワー〉昭和39年築
だいたい想像がつきますが・・・地元の資産家が「長浜にも東京タワーの
ような名物を」という理由で建設したものだそうで。
ビルは5階建て、「長浜タワー」と文字の入った鉄塔が立っています。
開業当時は5階部分が有料の展望台になっていたそうですが現在は閉鎖。
1階は飲食店が入っているようですが、全体を見ると廃虚的?



城下町、川とか堀跡? 水路が目につく町でもあります。



出た!長浜御坊の表参道に置かれたモニュメント、これもあのガイア像の
作者と同じ方の作品だと思われます。キツネの欄干は?ですが、この反対側は
尻尾になっていました。(^_^ゞ



こちらのアーケード通りは結構賑わってますね。



水に濡れたら柄が浮き出てくる蛇の目風の傘、900円。欲しかったけど・・・
地酒を使った風味豊かな酒元まんじゅうで、饅頭の親玉なんだとか。



黒壁のシンボル的な存在、黒壁ガラス館。アーケード通りにはフィギュアの
海洋堂、オルゴール館などがあります。

み、見つけたぞ!「びわ湖ダックツアー」



水陸両用バスでのクルージング、現在全国8ヵ所で行われているようです。





通称カッパバス、以前からこりゃ乗るしかない!と思いつつこの日も時間が
なくて、泣く泣くスルー。ま、私の場合、バスよりもこのダックツアーの
キャラクター「ダッパくん」がお目当て。以前、大阪・八軒家浜でも
ゲットし損ねています。ぷかぷかアヒルのカッパ版なんですけどね。
是非私のカッパコレクションに加えたいと・・・
これってカッパダービーというイベントに使われたものと同じだと思います。
今となってはこのダックツアーのバスに乗車(乗船?)しないとゲット
できない。車内販売のみなんですよねぃ・・・




あぁ、肝心の木之本の「黒田官兵衛・大河ドラマ館」



写真は撮れないので、内容ないよ~(^_^ゞ
なぜ?木之本なのかというと、黒田氏発祥の地が木之本なのだそうです。



「七本槍キャラに変身」ARを使って賤ケ岳の七本槍キャラクターに
変身できるコーナーがあったので、チャレンジ。結構これ難しい・・・
遂に家内が官兵衛に変身です!(笑)



会場の向いにはお土産館もできています。何故か、かえる堂・・・




2014.5/18、黒壁スクエアにて。


蛇の目傘よりこれの方が使えそう。クルマに積んでおけるもんね♪

野鳥のオアシス、昆陽池。

2014-02-23 23:39:35 | 洛外うろうろ
昆虫館の屋上から見た昆陽池、ほぼ全貌。ミニ日本列島が、少しそれらしく。
位置から言って、左が北海道になっているのかな・・・



こんな看板を見つけました「マー君の木」・・・あの野球の田中将大投手。

昨年、プロ野球楽天で24勝0敗、勝率10割を記録、今年からメジャーリーグ
ニューヨーク・ヤンキースでの活躍が期待されているマー君、田中将大。
彼の出身地はここ兵庫県伊丹市。で、この看板の正体は・・・
公園内の樹木には樹の品種を記した名札が取り付けられているのですが、
この名札、近隣の小学生が作ったものもあって、名札の裏には取り付けた
小学生の自筆の署名が残されます。公園管理の職員がマー君が残したサインを
2枚発見。こりゃ値打ちモノ?とばかりに、市が保存することに決定したとか。
今年1月23日に名札を樹木から外し、ひとつは昆虫館内に、もうひとつは
市立図書館に展示保管されているとのこと。
偉くなったもんだ・・・ま、頑張ったご褒美ってことかな。




昆陽池は1300年以上前に造られた溜め池。関西屈指の渡り鳥の飛来地として
冬期のピーク時には3000羽以上の渡り鳥が見られるとか・・・

池の周りでは


野鳥に混じってスズメやハトも・・・餌をやる人が居るからねぃw
自然を守るために餌をやらないようにとの看板があるのですが!


子供たちまで・・・
カラスを餌付け?これは面白そうだったけど。カラスの空中キャッチ♪(^_^ゞ

野鳥たちも餌をくれそうな人を見つけると、まっしぐら・・・




そう言えば、私らもエサが欲しくなり・・・
公園近くにあるモロ、地域の洋食屋さんって感じのお店に入ってみました。





私はビフカツ定食900円♪たいした牛肉じゃ無いだろうけれど厚みがあって
柔らかくて美味しい、アッパレなカツ(喝ッ)!です。(^_^ゞ


家内はもっと肉厚な・・・
マグロステーキ定食。公園内にレストランのような施設が無いせいか、
結構人気店で、満席でした。


さて、お腹も膨れたところで、また池へ



何やら釣り堀のような・・・


野鳥観察橋だそうで、囲いの中にはここで飼われている白鳥も観察できます。



水鳥たちもひととおり揃ってるかな。ここなら特別、超望遠レンズが無くても
野鳥撮影が楽しめます♪


いたいた、公園にゃんこ。ここの公園猫、2匹しか見なかったけれど
2匹とも、ひと声「にゃ~」ってご挨拶してくれました。お利口さん?



晴れてはいましたが、北風ピープー厳しい寒さでした。



そんな中で、対バード砲が並んでいる先は・・・あのミニ日本列島。



どうやらカワウのコロニーがあるようです。



みなさん、ひたすら何かのタイミングを待っている感じ。何か起きるのかな?
誰もシャッターを切ろうとはせず、島を見つめるばかりでしたが・・・




カワウ(SX50HS、1200mm相当、トリミング有)2014.2/9、昆陽池にて。

幸福度は?

2014-02-11 22:29:36 | 洛外うろうろ
何たって名前が「しあわせの村」、ハッピーになれそうです♪



神戸市北区にある総合福祉ゾーンで、205ヘクタールの広大な敷地内には、
自然を充分に活かしながら、高齢者・障がい者の自立を援助する福祉施設を
はじめ、運動広場、芝生広場、キャンプ場など、多種類の屋外スポーツ施設、
レクリエーション施設、乗馬場、ゴルフ場、宿泊施設、温泉施設などがあります。




自宅からだと、名神高速→中国自動車道-西宮山口JCT→阪神高速7号北神戸線
で、約1時間ほど。しあわせの村ランプを降りれば、もうそこが入口。



お目当ては、バードウォッチング温泉


メルヘン気分で記念写真をo[◎]_- )パチリ




ここではハイキングコースが4コース用意されています。敷地が広いので
まずは、クルマで移動。駐車スペースもあちこちにあります。





展望所もあちこちに。ただ、相当キツイ登り、運動になります。
「猪に注意!」の看板もまたあちこちに!


地面を見ると、色んな獣の足跡が・・・

最初の展望台に登っただけで、脚がパンパンに。しかもこの日(2/2日)は、
日中の気温が20度近くあった日です。山とはいえ、汗が吹き出て・・・
クルマに戻って、薄着になって、「自然道(3)1.4km」に入ります。





まぁ、登ったり下ったりと結構なハイキングコース。たかが1.4kmと
侮っていましたョ。息が切れるは、薄着になっても汗が・・・
バードウォッチングは?・・・声は聞こえど、姿は見えず。(・_・、)



この辺りは、治承・寿永の乱(源平合戦)の際、一の谷の戦いで源義経が
鵯越(ひよどりごえ)の逆落としをしたルートのようです。

こんな歌を思い出しました(親父が歌っていたのを聞いたことがある)
 鹿も四つ足 馬も四つ足 鹿も越え行くこの坂道 馬の越せない道理はないと 大将義経真先に
 続く勇士も一騎当千 鵯越に着いて見れば 平家の陣屋は真下に見えて 戦さ今や真っ最中
 油断大敵 裏の山より 3千余騎のさか落しに 平家の一門驚き慌て 屋島を指して落ちて行く
・・・さすが、牛若丸。やることがちゃう!
でも実際に逆落としを敢行したのは数十騎とも。畠山重忠が馬を背負って
降りたというのは・・・アリエヘン

ちなみにこの「しあわせの村」には馬事公苑もあり、乗馬体験もできますが、
逆落とし体験は出来ないと思います。(^_^ゞ


キャンプ場に降りてきました。


常設テント、今は冬期休業中。それにしても何か、至れり尽くせりのような。
これならキャンプも楽しいかもね。でも僕らの頃は、年長者から
色んなことを教わった。サバイバル的なこともね。







村にはレストランが10ヵ所。それぞれコスパも良さそうです。
私らはゴルフ場にあるお店へ。


バードウォッチングは・・・堂坊池。パンフには野鳥の宝庫と書いてあった。


カワセミ、カイツブリにカワウ。カモ類、オシドリ・・・
写真を見てのとおり、池は静まり返って、1羽の鳥も発見できず。(-。-;)

気を取り直して、クルマで移動。次ぎに目指したのは「自然道(1)1.3km」。
すでにヘトヘト、もうあんなにキツクは無かろうと、距離も少し短いしね。
性懲りもなく、ハイキングコースへ・・・う~ん、ヤバそうw




このコースには展望広場が4ヵ所、ってことは見晴らしがイイ。ってことは
高台。ってことは・・・急坂登り!
こんな単純なことにもっと早く気がつけよ、俺。
ところで、すぐ上の写真の左側、蚊取り線香みたいな施設は何やろ?

北山頂から南山頂の展望広場へ、もう陽が傾いて・・・



むむっ!あの浮ぶ煌めきは何だろ・・・?
SX50を取り出し、超望遠で o[◎]_- )パチリ


海?瀬戸内海が見えてるのかな・・・♪




バードウォッチングは残念な結果に終わりましたが、
この後の温泉は気持ちよかった!
泉質は単純弱ラドン泉、ひろびろゆったり10種類のお風呂が楽しめる
ジャングル温泉でした。幸福度は満点。(^_-)v
また、行かなきゃね。ハイキングコースまだ2つ残っているし。




2014.2/2、しあわせの村にて。

バイバイなばな

2013-10-18 23:18:03 | 洛外うろうろ
ホテルから直行、朝10時には入ったのにもう陽が暮れかかって・・・
どうせならライトアップまで居ようかってことになりました。






時間つぶしの夕暮れ散歩、園内をもう1周。(^_^ゞ




コイさんのおやつも、もう販売終了。「お腹いっぱい」だって・・・



          ・・・めっちゃ、お腹空かしているように見えるけどw




僕らもお腹が空いたので、湖畔(?)のレストランへ。





この小旅行で、やっと食事らしい食事にありつけたような・・・






ハンバーグやけど・・・(^_^ゞ




そうこうする内にどっぷりと、とばりが降りて
灯がともされるようになりました。







花壇にも、アイランド富士にも・・・






夜のコスモス、ダリアが見たくてもう一度、花ひろばへ。













お昼とはひと味違う姿を楽しむことができました。

あ、ここもね。





楓が色づけばもっと綺麗に見えるでしょう・・・


ああ、よう遊んだ。ほな帰ろぅ~♪



ポールの下に停めたのは、すぐに置き場所が分るようにと思ったのですが、
意味無かったみたい・・・(^_^ゞ




2013.9/23、なばなの里にて。

初・なばなの里

2013-10-13 01:00:33 | 洛外うろうろ
「秋のダリア・コスモスまつり」(9月14日~10月24日)が始まっているというので、
行ったのは9月23日ですが・・・まだ見頃前でしたw
ま、それでも里内は花があふれていて充分楽しむことができましたけど。



「なばなの里」は、三重県桑名市長島町にあるナガシマリゾートの一施設。
275,000㎡(約8.3万坪)の広大な植物園?レストランやカフェが10軒以上、
200名収容の温泉施設まで含まれています。

料金体系がちょっと面白くて、春・秋期は入村料1500円。
但し、里内の施設で利用できる金券1000円が付いているので、実質500円。
夏期(7月中旬~9月中旬)は、1000円、これも金券1000円が付くので実質無料?
冬期(10月中旬~3月末)は、有名なイルミネーションをやっている期間で、
入村料も2000円に。もちろん金券1000円は付きます。



「ペチュニア花壇」






















伊勢湾に注ぎ込む木曽川と長良川の河口、中洲にあるせいか、里内には水も豊富。
川や池が自然に配置されています。










里内で目を引くのが、唯一の乗り物?「アイランド富士」



地上45メートルの高さに上がって360度廻転、様々な景色を見ることができます。
金券は使えませんが、乗るッきゃないでしょ・・・(^_^ゞ









印象的な長良川河口堰、伊勢湾や濃尾平野も一望。



もちろん里内も・・・ん?里内にも富士山が!イルミネーション用でしょうね。







すでに「ウインターイルミネーション」の準備が始まっていました。




里内を歩き回るのも結構疲れる、長島温泉のお湯を使った足湯があるので・・・





あぁ、またやってしまいました。階段踏み外してスッテンコロリンw
足元がおぼつかなくなって?ヤバいな・・・(-。-;)




2013.9/23、なばなの里にて。

華厳寺、周りをうろうろ。

2013-10-04 10:56:33 | 洛外うろうろ
駐車場の端に「門前公園」の入口があったので・・・






そこそこの敷地に施設が点在しています。が・・・人影が無いw
立派な谷汲観光資料館も閉鎖?他の施設も入れそうにない。
休憩棟はオープンなので休むことはできるけれど、やはり誰も来ていなかった。



一番奥に物見櫓があったので登ってみると、展望棟を下に見ることができた。
ここでまた、ういろをよばれて・・・(^_^ゞ 蝉の鳴き声と秋風を楽しみました♪




敷地内に咲いていた曼珠沙華、たまには花も撮らないと・・・
実は次の日、イヤというほど花の写真を撮ることになりますが。


この後、近くの「両界山 横蔵寺(よこくらじ)」に向かいました。
横蔵寺は、803年(延暦22)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる寺。
多くの絵画、書籍を蔵していることから"美濃の正倉院"と呼ばれている。
中でも200年前に即身成仏したという妙心法師の舎利仏は有名。
・・・と言うことで、その捨利仏を拝みに。
ここのミイラさん、妙心法師37歳の時に断食の末、入定をとげたという加工手術を
全く加えず自然のままミイラ化した学術的にも貴重な資料なんだとか。

ただ、残念なことにお寺の門前まで行って、険しそうで見どころも多そう、他に
行きたい所もあったので、入るのは断念、Uターンして戻りました。
ミイラさんに後ろ髪を引かれた気がしますが・・・(^_^ゞ


戻る際に道の駅があったので寄ってみました。



どうも道の駅を見つけると入ってみる癖が・・・



公園とも繋がっていたので、少し散策。



谷汲緑地公園キャンプ場、芝生広場にある遊具が何か楽しげ♪




さてさて、寄ってみたかったのは華厳寺のすぐ側にある「昆虫館」?



・・・ちゃいます!昆虫館に隣接した「旧名鉄谷汲駅」。
そこのレトロな電車たちが見たかった♪



2001(平成13)年に名鉄谷汲線廃線に伴い廃止された駅だそうです。
駅舎は当時のままなんでしょうね、市民グループ「赤い電車友の会」が
揖斐川町から管理の委託を受け、電車や駅構内の清掃活動やイベント開催などを
行っているそうです。誰でも入って見れるのが嬉しいですね♪

現在、展示されている車両は赤い電車「モ750形」と、赤白電車「モ510形」の
2両。赤い電車の方は乗車もできます。









この頃の電車って、地元の人間じゃなくても何か懐かしさを感じますね。



まだこの程度の古さだと、現役で走っている路線もあるだろうけど、大都市の
無機質な地下鉄と違い何ともノスタルジックで、温かい感じがします。

赤白電車の方は外観からしてキュートでラブリィ♪









昔の面影に時代が偲ばれて、見に来て良かったと感じました。


そうそうこの赤白電車の復刻バスが、華厳寺の『谷汲参道らくらくバス』として
走っているのだそうです。この「旧谷汲駅前」から仁王門前まで無料で運行。
ただし平日のみで、高齢者(65歳以上)、体に障害がある方(車椅子OK)、
妊産婦、乳幼児と保護者の方に限るってことです。
残念ながら日曜だったので、走っている姿は見ることが出来ませんでした・・・



2013.9/22、岐阜県谷汲にて。

近江風土記の丘に明治が・・・

2013-09-15 16:08:10 | 洛外うろうろ
1966年から文化庁が実施している広域的史跡保存整備事業。
遺跡及び歴史資料の保存及び活用を目的として設置された史跡等の遺跡を中心とする
野外博物館・公園であるとともに、収蔵・展示するための資料館の設置等を行い、
史跡整備と資料館の二本立てで遺跡と遺物をともに公開しようとするものである。
・・・なんだそうで、全国に16ヶ所(2007年現在)あるとか。

今回行った「文芸の郷」は、歴史公園「近江風土記の丘」の中心的な施設という
位置づけのようです。
「安土城考古博物館」を中心に、2000年前の農耕集落跡「大中の湖南遺跡」
「安土瓢箪山古墳」「観音寺城跡」「安土城跡」の史跡で構成されている。

ま、そんなことはどうでもいいので、気になったところをチラッと散策・・・


『旧柳原学校舎(きゅうりゅうげんがっこうこうしゃ)』

この建物は、明治9(1876)年に高島郡新儀村(現高島市新旭町)の
初等科小学校として建てられ、この地方では他にさきがけ洋風を取り入れた
学校建築物であるとされ、現存する県下の学校建築としては最も古いものです。
明治9年といえば、日本最後の内戦、西南戦争が起きる1年前ですもんね。

30年間、学校として使われた後、地区の区長事務所として使用されていました。
昭和34(1959)年に擬洋風建築としての価値が認めら県文化財の指定を受け、
昭和45(1970)年に近江風土記の丘の建設に伴い現在地に移築されたものです。
文化財に指定されなければ残らなかったといわれるほど修理前は老朽破損が
酷いものだったようです。



1階が教室、2階は事務室に使われ、特徴的な3階部分の塔は「太鼓楼」。
チャイム代わりに太鼓を打ち鳴らしていたようです。(^_^ゞ
内部も公開されているのですが、16時まで。私が行った時にはもう閉まっていました。
2階は外観から想像できないような畳敷きの和室、1階は机に椅子で、当時の
子供たちにとってはモダンでハイカラな環境だったようです。

もともと太田神社境内に建てられた小学校で、神社の社務所と合体したような
部分もあり、とても奇異で希少な建築物です。
建てたのは地元の大工の棟梁、清水吉平だということで、京都などに出向き
洋風建築を見聞き、勉強されたのでしょうね。
瓦屋根に漆喰の外壁ですが、入口はアーチ型に、西洋の時計台に見立てた太鼓楼。
鎧戸のような窓やベランダ回廊、淡いブルーの配色も当時の棟梁が精いっぱい
表現した“文明開化”だったのかも知れませんね。





これは明治以前のものですが・・・


道標には「柳緑花紅 法名未徹」「みきハ京ミち」「ひたりハふしミみち」と
3面に文字が刻まれており、もとは東海道と伏見街道の分岐点(大津市追分町)に
あったものだそうです。
「柳緑花紅」とは春の景色の良いさまを形容している漢詩だとか。

大津米屋中が建てた「逢坂常夜燈」、東国から東海道で上洛する際、
最後の関所があるのが逢坂山。山城・近江国境でもあります。

 これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸)
・・・多くの人の出逢いと別れの分岐点になっていたようですね。

 夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ(清少納言)
・・・逢坂の関所がかなり厳しかったことを喩えにしているようです。

百人一首にはこの二首の他、三条右大臣が詠んだ
 名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
と言うのもあります。このように百人一首に三首も出てくるほど昔の人にとっては
京都の出入り口として、避けては通れない要所だったのでしょうね。

〈Google Mapより〉

国道1号線にある関所跡、今は石碑だけですが
以前はここに大津署の逢坂山検問所があり、よく検問をしてましたよ。(^_^ゞ




この常夜燈は「外宮長虹籠」。参宮常夜燈としてはかなり古いものだそうです。
右の写真は、東海道に設置されていた「車石」です。これは京都周辺の街道などに
敷設されたもので、荷車がスムーズに通れるように二条の凹みに車輪を嵌める
ようになっています。特にぬかるんだ峠道などでは効果絶大だったと思われます。


さてもう1軒、明治の遺構に戻ります。


なんともお洒落で瀟洒な洋館建て♪ これ、派出所なんです。
「旧安土巡査駐在所」
明治18(1885)年に、常楽寺交番所として安土駅に近い十字路の角地に建って
いたのを移設したものだそうです。昭和40(1965)年まで使われていたとか。
これも旧柳原学校舎と同じく、地元の大工が造ったものだとか、平成10年には
「国土の歴史的景観に寄与されているもの」として登録有形文化財になりました。
よい仕事をしたものですね・・・(^_^ゞ



建物は木造で五角形平面の総2階建て部分と下屋部分からなり、外観は柱を塗り込む
大壁造の白漆喰塗で、屋根は桟瓦葺。交互に化粧積みされた隅の切石が印象的です。
玄関は洋風の扉にアーチ型の庇を設け、上部はペディメント風の三角形の切妻。
中央に官憲の紋章?1階、2階上下に揃えて配置された両開きのガラス窓など
随所に当時流行した洋風建築の意匠が見られます。
ここも16時までなら内部も公開されています。旧柳原学校舎もそうですが、
畳敷きの部屋、床の間まであるようです。外観は西洋文化を取り入れつつも
まだ生活習慣までは変えられなかったのでしょうね。




それと、旧柳原学校舎と旧安土巡査駐在所、共通しているのが住民の寄付によって
建てられたということ。この時代の住民、国民の気概を感じます。

2軒とも小さいながら洋風を模した公共建築で、内部までほぼ完全に当時の姿が
復元保存されている遺構は非常に少なく、近代化の歴史を伝える建造物としても、
人々の歩み、時代を検証するに貴重な資料だと思われます。

また機会があれば内部までゆっくり見てみたいものですが、何せこの日は
暑さと観音正寺の石段で体力消耗、ふらふらのヘトヘト・・・
散策を打ち切って『安土城考古博物館』へ戻ります。



この施設「安土城・・・」と名前にありますが、
安土城の展示はあまり期待出来ないようです。ほとんどが弥生時代や古墳時代の
古代遺跡研究の展示だとか・・・
私らが行った時はもう閉館していましたが、館内の食事コーナーは営業中だったので。



ここのメニューにも「尾張英傑カレー」だとか「信長珈琲セット・抹茶セット」
なんてのがありました。
信長公は下戸で甘党だったとかで、珈琲や抹茶のセットには、白玉団子にあずき、
黒豆餅に黒蜜ときな粉、金平糖が付いているようです。

とにかく暑かったので、私らはこれを・・・





パイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホールである「文芸セミナリヨ」(上)
総合体育館、多目的ホールとしてスポーツや文化交流の場「あづちマリエート」(下)
「セミナリヨ」と言うのは、イエズス会によって日本に設置された初等教育機関
のことで、信長の保護のもと安土に作られ、ラテン語や文化を伝えたとされます。
ちなみに同じ時期、長崎にも作られています。
ここのセミナリヨは本能寺の変後、安土城炎上の際、共に焼失したようです。



やっとこの施設群の意義が少しは分ったような気がしますが・・・




2013.8/15、西の湖の夕景。

安土城天主、信長の館。

2013-09-10 17:58:09 | 洛外うろうろ
『文芸の郷』は田園風景の中、広大な敷地に大きな施設群が建ち並んでいます。
しかもその建物が少し変っているので、違和感ありあり・・・(^_^ゞ



よく分らない施設群なので、HPによると

 一見してローマ風の建物が建ち並ぶこの「文芸の郷」は、ヨーロッパ文化交流の国際都市としての安土桃山時代の象徴として誕生しました。
スペイン・セビリア万博の日本館メイン展示物として復元された安土城天主を展示している信長の館やパイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホールである文芸セミナリヨ、総合体育館としてまた多目的ホールとしてスポーツや文化交流にと幅広く活用できるあづちマリエート、四季折々の味を生かした文芸の郷レストランなど、歴史と文化に出会える場所です。


・・・ということです。まだよく分ってませんが。(-。-;)
とりあえず、お腹が減っていたので(遅いランチです3時半)レストランへ。



敷地内の施設それぞれの中にも食べるところはあったのですが、レストランとして
独立しているのはここ「文芸の郷レストラン」だけ。
時間が時間なので、名物メニューの「戦国焼き定食」「安土御膳」などは売り切れ。
ましてや10食限定の「信長ハンバーグ定食」なんて・・・ネーミングはともかく
京都「はせがわ」まで修行に行かれた直伝の味。ってことで期待出来たのに(ザンネン)



「信長そば」と「カレーライス」。注文できたのはこんなもんでして、お蕎麦は
どこが「信長」なのか?? カレーライスは久しぶりに味わう業務用ボンカレー?

気を取り直して、向かったのは「信長の館」。



入館料一般500円、自動販売機で買うのですが、駅前でもらったパンフレットには
50円割引クーポンが付いていたので、直接受付で入館料を払ったのですが・・・
自動販売機で買うチケットには、あのレストランの100円食事券が付いていたとか(+_+)

館内はストロボ禁止の条件で撮影はOK♪





琵琶湖の葦(ヨシ)を漉いた紙で創られた和紙人形。信長の生い立ちから半生の
ストーリーが、シーンごとに並べられています。

さて、ここのメイン展示は何といってもスペイン・セビリア万博の
日本館メイン展示物として復元された安土城天主。



織田信長が築城した幻の名城「安土城」の最上部の5階、6階部分を復元展示。
発掘された当時の瓦を参考に焼きあげて再現した庇屋根、金箔10万枚を使用した
外壁、狩野永徳一門が描いたと伝えられている金碧障壁画の再現を鑑賞できます。


最上階(6階)信長の間?


5階部分は八角形で柱、床、庇までも朱色の漆塗り。6階部分はというと、
見える部分は全て金箔で被われ、金ぴか!何とも派手派手・・・


5階部分の内部も金箔が張り詰められ、意外にも仏画が描かれている。

幻の城「安土城」、その天主復元にあたっては、あらゆる参考文献(と言っても
ルイス・フロイスの『日本史』、イエズス会宣教師らの記録、『信長公記』、
『安土日記』などしか残っていない)や安土城のものかどうか明確ではない
『天守閣指図』と題する建物の図面などから、スペイン・セビリア万博に
展示されたものにさらに手を加え、知り得る限り往事の姿を忠実に原型原寸、
原色原素材で再現したものだそうです。

安土城自体、当時としては独創的。まずは天守閣なるものを造ったのは、この城が
最初だと言われています。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートルと
推測されており、その最上階が居住空間としての機能があった。まさに信長は
当時最高の木造高層建造物に住んでいたことになります。
木造建造物としては東寺の五重の塔57m、東大寺大仏殿48mなどありますが、
これらは塔であったりお堂であるので住居の機能はありません。

ちなみに天守閣と言う呼び方は明治以降につけられたもので、それまでは「天守」
と表現するのですが、特に安土城の場合は「天主」と表記されます。
他に「天主」と呼ばれる建物が岐阜城にありますが、これは城の麓にある御殿で
あり、同じ信長が造ったものでも安土城の天主とは、ちと違いますね。
私思うにこの城は、信長が「天下布武」を成し得たシンボル、記念碑。もしくは
自ら神であることを望んだ「信長教団?」の教会的なものではなかったかと・・・

軍事的な拠点ではなく、政治的な機能を持たせていたのは明らかで、
何より城といえば守りの要であるはずが、あまりにも防御策がなされていない。
大手門までの道は幅6mもある直線、これでは敵の大軍が攻め寄せたら
ひとたまりもない。籠城用の井戸も無く、火災に対する備えも無かったとみられる。
もう自分を攻めてくる敵なんぞありゃしないって自信の表われ?傲慢かも。
本当は不安だったかも知れないが、こういう表現の仕方が信長流なんでしょう。

安土城に関しては、今回は行けなかった安土城跡もあるので、いずれまた実際に
行って確かめられたらいいなと思っています。


「信長の館」、他の展示物はそれほど多くは無いのですが・・・



信長の南蛮フェチは有名ですが、天正9年(1581)京都御馬揃え(織田信長が京都で
行った大規模な観兵式・軍事パレード)にはビロードのマント、西洋帽子を着用し
現れたとか。戦場に赴く時にもこのような南蛮具足を身に付けていたらしい。

また、イエズス会が献上した地球儀・時計・世界地図などをよく理解したそうだ。
家臣などは地球が丸いなどの説明を理解できない様子だったが、
信長は「理にかなっている」と言い、科学的な見識も持っていたようです。
それまでの仏教僧が言う逸話など信じず、木や石は神仏ではないと断言したとか。
そのため安土城の石積みには石仏や仏足石まで、ただの石材扱いで使われています。
一方、安土城天主内の天井、壁画には仏画を描かしたり・・・宗教を否定していた
わけでは無さそうです。神道復興への功績も残していますし。


残忍非道なイメージの信長ですが「お・も・て・な・し」の気持ちも充分・・・


「安土御献立~信長の家康餐応膳~」の復元レプリカ展示
信長が、武田勝頼討伐に功をなした徳川家康を安土城にてもてなした時の献立を
復元したものだそうです。
この宴では信長の死に関わるミステリーも語られていますね。
何せ饗応役を命じられたのは明智光秀。しかし信長の逆鱗に触れ、途中解任されます。
このわずか半月後、信長は本能寺において光秀により討たれます。



NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』のロケに、ここの天主が使われました。


イエズス会の画家ジョヴァンニ・ニッコロが描いた信長の肖像画
写実的で最も似ていると言われている肖像画です。なかなかの美男子だったようです。
妹の「お市」も絶世の美女だったとか、その娘たち三姉妹も美女揃いだったのかな。
ところで信長の正室「濃姫」との間には子が出来なかったとか、
それでも11男4女の子供が居たようです。(◎_◎)
フィギュアスケートの織田信成くんは、7男信高の家系だとか。



安土城 天主
ここにも天主の模型が置かれていましたが、安土駅前の「安土町城郭資料館」だと
内部構造も分ります。

そう言えばこんな映画もありましたね。




「信長の館」でくじ引きをやっていたので。信長くんステッカー、ゲット♪
・・・残念賞です。(^_^ゞ




2013.8/15、文芸の郷 信長の館にて。

御館様の駅、安土。

2013-09-07 00:10:39 | 洛外うろうろ
安土といえば、信長ゆかりの地だったなと、まずJRの駅を訪ねてみました。

駅前の交番、ここからしてフツーじゃないですね。

駅は意外とフツー?


駅前のローターリー、中央の広場には御館様の銅像が高い台座の上に立っています。






駅と隣接するようなところに「安土城郭資料館」があります。
まずは「らんまる君」の看板がある駅前観光案内所に寄ってみて、駐車場やら
食事どころを教えてもらいました。


なんじゃコレ?気になったのは、駅前のシンボルタワー?屋根には鳳凰が・・・






ユニークだったとされている安土城の天主のイメージかな?
まわりの建物群もユニークでした。




お昼ご飯がまだだったので、駅前で探してみたのですが・・・このお店も
3時過ぎはまだ準備中だったと思います。どこも開いてそうに無いので
駅前を早々に立ち去り、写真は5時過ぎにもう一度訪ねた時に撮りました。



あのユニークな塔?のある建物は線路を越える地下通路の入り口でした。
クルマで線路の向こう側へ行ったので実際には通ってませんが、向こう側には
無料駐車場があると観光案内所で聞いていましたから、ところがその駐車場も
5時には閉門、時間切れでした。ほんまどんくさいことで。(^_^ゞ

駅の向こう側ね、これが「安土城郭資料館」かな?

地下通路の出口というか、もうひとつの入口です。



駅の両側は、もう信長公一色な感じ・・・



JR東海道線(琵琶湖線)、駅としては大正3年(1914)国鉄の駅として開業した
古くからある駅だそうです。


駅裏側の公園には、こんなものも・・・


「相撲やぐら」
安土町は近代相撲の発祥の地とされています。これこそ大の相撲好きであった
信長がこの地で相撲大会を度々行った業績。
そして現代に通じるルール作りもしたと言うものです。
土俵の原形となるものや行司を置いたのも信長の考案だったようです。
優勝者には弓や太刀を与えたり、召し抱えたりもしたようで、弓取り式が儀式化
されたのもこの頃からという説も。(弓を与えるのは以前からあったようですが)
東と西に分かれての取り組みもそうなのかな?ある時、両者譲らぬ見事な力比べ
があり、信長は「感動した!」と両者引き分けにし、東から入場した者に「東」、
西から入った者に「西」って姓を授けたそうで、当時姓を名乗れるのは大変名誉
なことで、今もその子孫が安土におられるとか。

奇行で知られる織田信長、影響力も大きく、かなり興味深い人間です。




2013.8/15、安土駅にて。

今津ヴォーリズ通り

2013-07-06 01:16:24 | 洛外うろうろ
明治から昭和にかけて、日本に大きな足跡を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
明治38年にアメリカ合衆国より来日。滋賀県で英語教師として着任。後に京都で
建築設計事務所を開設し、自国では果たせなかった建築家の夢を実現し、
日本全国各地に、1600件以上の建築設計を手がけました。
滋賀県近江八幡を拠点に活動していたため、そちらには記念館があります。

彼の魅力は建築作品のみならず、波乱万丈の人生、行った業績や生き方は今もなお
語り継ぐに値しますね。
以前、近江八幡でヴォーリズの足跡を訪ねた時にもブログ記事を書きましたが
今津にも「ヴォーリズ通り」なるものがあることを知り、これは見逃せません。


今津港から浜通り商店街を・・・古い街並みで、商店街とはとても思えませんが。
旅館? まるで時代劇に出てくる旅籠(はたご)のようです。





これは倉庫?工場? 何となくヴォーリズの洋館を思わせるような建物ですね。


あちゃ!こちらのお家は、和風にするか洋館にするか迷われたのかな?




なんて、楽しみながら歩いていると、やって来ましたよ「ヴォーリズ通り」



まずは、この建物。大正12年(1923)に百三十三銀行今津支店として、
ヴォーリズ建築事務所の設計により建設されたもので、昭和53年(1978)まで
銀行として使われた後、今津町が買い取って改築をほどこし、平成13年までは
町立図書館として利用されていたそうです。



平成15年(2003)に建設当初の姿に修復され国の登録有形文化財となり、
現在、『今津ヴォーリズ資料館』として新たに活用されています。



ヴォーリズの生涯や日本各地のヴォーリズ設計建築物などが紹介されたパネルや
模型などの資料で、ヴォーリズについて知ることができるようになっています。



また展示室の中央にはカフェが設けられ、お茶や食事が楽しめるようになっている。
地元の女性グループの方が運営されているようで、地元産の野菜や黒米を使った
カレーなどが出されている。ちなみに「黒米カレー」は330円だった♪


通りを西に少し歩くと、一見してヴォーリズだと分る建物が現れます。






昭和8年(1933)に建てられた『今津基督教会館』。基督教=キリスト教ね。
幼稚園は昭和7年に創立されたようです。
今でも現役の園舎として利用されているので、中には入れません。

ヴォーリズは数多くの教会や学校、病院などを手がけています。
そもそも来日されたのは、プロテスタント伝道活動のためであり社会的な貢献も
されてきた。その活動資金を得るために設立したヴォーリズ合名会社(のちの
近江兄弟社)が扱ったメンソレータム(現メンターム)は、有名ですね。



ここの横は、公園として整備されていました。


「ヴォーリズ通り」と言っても保存されているのは3軒のみ。その中でもちょっと
悲しいのが、この『旧 今津郵便局』ですかね。



建物はヴォーリズ建築らしいシンプルで、日本の風景に溶け込む洋館建てです。
昭和11年(1936)に建てられ、昭和53年まで郵便局として使用された後、現在は
傷みも激しく、中は倉庫として使われているらしくて入れません。



もう廃虚寸前。他の2軒は国の登録有形文化財ですが、ここは違うようです。
歴史ある建物が廃墟と化して朽ちてしまう前に修復されることを願って止みません。
近江八幡の郵便局は地元のボランティアのご努力によって改修されていますが、
ここも何とかならないのでしょうかね。って他力本願の私ですが・・・w




ヴォーリズのエピソードをもう少し・・・
24歳(明治38年)から83歳(昭和39年)まで、明治・大正・昭和と人生の大半を
日本で過ごし、遺したものは建築家として全国に数々の「ヴォーリズ建築」・・・
のみならず、多くの賛美歌などの作詞、作曲。ハモンドオルガンを伝えたり、
家庭薬メンソレータムの普及。YMCA、病院、学校、図書館等をつくり、地域に
貢献し社会の必要に応えた。
1941年(昭和16年・60歳)日米が対立を深め多くの外国人が日本を離れる中、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、敢えて留まり日本への帰化を選択。
妻の姓を名乗り、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
「米来留」とは米国より来たりて留まるって洒落らしい・・・
戦後はマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力し「天皇を守ったアメリカ人」
とも称される。
藍綬褒章、黄綬褒章、正五位勲三等を授けられ、瑞宝章が贈られる名誉も
与えられています。
晩年は76歳でクモ膜下出血に倒れ、近江八幡の自宅で療養生活に入り83歳で永眠。
ちなみに彼が築き上げた「近江兄弟社」の社名の由来は、近江と「人類皆兄弟」の
精神から命名したもので、兄弟が設立した会社というわけではありません。

その近江兄弟社も彼の亡きあと、10年後に倒産し、メンソレータムの販売権も
返上。今は販売権を取得したロート製薬が製造販売しています。
大鵬薬品工業(現在は大塚HDの傘下)の資本参加で再興したが、その時にはもう
メンソレータムの商品名を使うことができず、メンソレータムの製造設備を使い
オリジナルの製品を「メンターム」の商品名で販売しています。この商品名は
従前よりメンソレータムの略称として商標登録してあったものだそうです。
この経緯を考えるとどちらが“本物”なのか?
ただ、昔ながらのリトルナースの絵が付いているメンソレはロート製薬で、
近江兄弟社の同じ色合いでも見慣れないアポロンマークは類似品っぽいです・・・(^_^ゞ


話しは全く変りますが、今津からの帰路、白髭神社の湖上鳥居をパイロン代わりに?



バチ当るぞぉ~!




2013.6/9、ヴォーリズ通り 今津基督教会館。「今」の字が左右逆になっているのは
古来中国の篆書体によるものだそうです。

さらば、竹生島。

2013-07-01 20:40:41 | 洛外うろうろ
宝厳寺本堂よりまだ一段上に、真新しい宝物殿と三重塔が建っています。


「宝物殿」


「三重塔」
江戸時代初頭に落雷で焼失した三重塔を約350年ぶりに平成12年(2000年)に再建。



「モチの木」(樹齢約400年)
この木は、1603年、豊臣秀頼の命を受け、普請奉行の片桐且元が観音堂、唐門、
渡廊下を移築したときに、記念にお手植えされたものです。



「雨宝童子堂」             「奉安殿」


「奉安殿」内部
西国三十三所のご本尊のレプリカが並んでいます。千社札が邪魔だけど!

ここから階段を降りて行くと・・・
「唐門」(国宝)、後方は「観音堂」(重文)

          「唐門」正面。

この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を
豊臣秀頼の命により片桐且元が普請奉行として移築したものです。
豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構で国宝です。
桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、
唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています・・・
と言うことですが、かなり傷んでいますね。

唐門と観音堂は繋がった構造になっているようです。内部には・・・


「賓頭盧尊者像」           「神輿」



西国三十三所のご本尊、千手観世音菩薩を納めたお御堂です。


もう!我慢できませんwww、千社札!!
元々は願いや歌などを木札にしたため、神社仏閣に納札する風習だったものを
江戸時代に入ると、地方から霊場詣りに来た人々が幸運を祈願するととともに、
自分が来た証として、社寺の柱、扉、天井などに自分の出身地や姓名・雅号などを
目立つ所に貼った、ことが現在でも続いている。
また、札が貼られている間は参籠(宿泊参拝)と同じ功徳があると民間信仰では
考えられていた為、日帰り参拝者が参籠の代わりに自分の札を貼ったとも。
いずれにしろ、ご朱印を頂いた上で神社仏閣の許可をもらい貼ってもよい場所に
貼るのが大原則。
それにかつては、手漉きの和紙に木版墨1色摺りを施したもので、この本物?を
現代、オーダーすれば1枚当り数万円することもあるとか。ところが現実には
ゲームセンター等に設置されている専用の作成機で、手軽に作れるシール形式の
千社札が急増、無断で貼る行為も横行しているようです。
見ての通りのありさまで、落書と同様、いやそれ以上に醜い。美術的価値の高い
建造物も台無しです。
なお、文化財指定を受けた神社仏閣に千社札を貼る行為は文化財保護法に
抵触します。〔史跡名勝天然記念物・重要文化財の場合5年以下の懲役若しくは
禁錮又は30万円以下の罰金〕

これって、お江戸文化の“粋”から始まったものか知りませんが、もとより
私は民度の低い人間で○○と申しますと、自ら恥を晒しているようなもの!
ましてや、重文・国宝指定の建造物に貼るなど、犯罪行為を名前入りで証拠を
残しているようなものですね。
これに関してはホント、何とかして欲しいものです。(-_-#)


腹の虫が収まりませんが、先へ進みます。
宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社(竹生島神社)を繋ぐ渡廊は見どころの一つです。
外から見ると懸造(かけづくり)で、連子窓(れんじまど)になっています。









この渡廊、「舟廊下」と呼ばれ、朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた
日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作ったもので、その名がついています。
これも唐門、お御堂と同時期に桃山様式で作られたものです。





重文、国宝? どっちやねんッ・・・! (国宝のリストには無かったような)
いずれにしろここに千社札を貼るのは犯罪です。指名手配者の名前が並んでるようです。


「舟廊下」(重文)

舟廊下を渡って行くと、都久夫須麻神社の領域に・・・


「竹生島神社御本殿」(国宝)
この建物は、関白豊臣秀吉が時の天皇の迎える施設として伏見城内に建設した
勅使殿「日暮御殿(ひぐらしごてん)」を豊臣秀頼が移建・寄進したもので、
桃山時代の文化を伝える建造物として国宝に指定されています。

奥は「本殿」、手前は「天忍穂耳社」末社です。

         「招福弁財天」
本殿の前は工事中でテントが張られていたりして、ちゃんと回れたかどうか・・・
「白巳社」摂社です。御祭神は宇賀神で、御徳は金運・財運だそうです。

「黒龍堂」


ここにもありましたよ、「かわらけ投げ」。当然、挑戦します♪


          「竜神拝所」
2枚で300円だったかな、売店で土器(かわらけ)を買い、それに願い事を書いて
湖面に突き出た宮崎鳥居へと、かわらけ投げをします。投げたかわらけが
鳥居をくぐれば、願い事が成就するとも言われていますが・・・叶わぬ願いに。(^_^ゞ


祠も埋るほどの夥しいかわらけの残骸。



あっ、船が来た。ここでの上陸時間は75分。
もちろん次の便があればそれに乗っても構いません。次の便があればね・・・






左:オーミマリン(西武鉄道系)    右:琵琶湖汽船(京阪電鉄系)




さて、船に乗り、竹生島をあとにします。










2013.6/9、琵琶湖上にて。

舞鶴港通過

2013-06-10 23:07:45 | 洛外うろうろ
宮津市の成相寺(28番札所)から天橋立、そして舞鶴市の松尾寺(29番札所)へ
宮津湾から舞鶴湾へと移動。
舞鶴港と言えば軍港として有名、それに赤レンガ建物群もね。
『舞鶴赤れんがパーク』『海上自衛隊 舞鶴地方隊』も通り過ぎたのですが・・・

チラッとだけでも見ておきたいので



『赤れんが博物館』を表からだけ・・・




倉庫群は遠目に見ました。(^_^ゞ


そして、前島みなと公園へ行って自衛艦ウォッチング。
めったと見る機会は無いしね。


後ろの〔682〕は、掃海艇「のとじま」



〔425〕補給艦「ましゅう」、
〔105〕護衛艦「いなづま」




〔143〕護衛艦「しらね」


〔130〕護衛艦「まつゆき」

土日祝は見学が出来るようですね。甲板に見学者が見えます。



ゆっくりと「しらね」が動き出しました。何処へ行くのかな・・・





あまり伝えられていない気がしますが、こんな問題もあるんですね。
『日本海 呼称問題』
なんだかなぁと思ってしまいますが、民族・国家って面倒なもんですな。
人類は早くボーダーレスな世界を構築すべきだと思うのですが、逆行しているようで。
歴史から学ぶものは過去の歴史に拘らないってことも大切、でないと未来は来ない。
それともうひとつ、人類は今まで色んな武器で戦ってきました。石器は鉄の武器に
破れ、刀剣や弓矢は火器の前に無力に。今は大量殺人兵器を持つことが力と
信じられていますが、すでにサイバー戦争時代になっているのでは?
一瞬にして大国を混乱、滅ぼすこともできるかもね。妄想で終わればイイのですが。


ともあれ、転落だけはゴメンです・・・



2013.5/26、舞鶴港にて。

目の前、まっ暗峠。

2013-05-17 14:27:42 | 洛外うろうろ
生駒に来て、楽しみにしていたのがランチです。
奈良側から暗峠(くらがりとうげ)へ向かう一帯に、素敵なカフェが点在しています。
それを知ったのはコチラのブログで。

とりあえず目指したのは『森のレストラン ラッキーガーデン』ってところ。
自然の中で外国人シェフが作る、畑の野菜とハーブを使ったスリランカ料理が絶品です。
と言うお店ですが、少し注意が必要。akiraさんにも忠告されたのですが、ナビに
任せると通行困難な酷道308号を案内するということです。したがって
お店のHPの「ラッキーガーデンへの詳細地図」をプリントして持って行きました。
暗(くらがり)越えほどでは無いものの、こちらも結構狭い道でしたが・・・

何とかランチタイム内に辿り着いたものの、大盛況。駐車場待ちで店の前は渋滞、
お店の方が交通整理、案内されていましたが辺りも駐車車両が溢れている状態。
こんなことは能勢のカフェで経験して以来かも。あの時は並びましたが
今回は他にも候補があるので、あっさりスルー。
第2候補の『手打ちうどん 風舞(かざまい)』へ向かいます。



ここもなかなかイイ感じ♪ 
田舎の古民家でゆったりほっこり手打ちうどんを賞味できそう・・・と、
お店の中を覗いていたら「ご予約のお二人様ですか?」って!
ラスト2名分、ご予約様分で本日終了~だって。(・_・、)



「営業時間、土日祝は11時~19時(麺が無くなり次第終了)」
まだ、14時なってませんけど・・・GW真っ只中の5/3日、考え甘かったですw

とは言え、天然酵母パンでランチでもイイんじゃないかと。も少し峠の方へ
『風のビューカフェ 友遊由』に向かいました。

近辺のカフェマップです。


何だかな、ちょっとお店のイメージが、思っていたのと違うんだけど・・・





「風のビューカフェ」だよねぃ・・・



ガラス張りの店内からは長閑な風景が。(^_^ゞ
しかし、ここもまた、期待していたパンは売り切れ。麺類ならできますけどってことで



意に反してとってもお洒落なランチタイム。でも美味しかった(空腹だったから?)

お店の外からは少しパノラマビュー?




さて、このお店の先は道幅も少し広く駐車スペースがとれるので、歩いて峠見物に
行くことにします。「幅1.8メートル通行不可」ロドは車幅1.72メートルだから
8センチの余裕(?)が・・・行けないことは無いのですが。(-_-;)



トンネルの先の短い急勾配を上るともうそこが、峠のはずです。



トンネルの上は、信貴生駒スカイラインが通っています。峠は大阪府と奈良県の境。



峠部分は粗い石畳、ローダウン車は要注意。無理?かも・・・



どういう基準なのか「日本の道100選」に選ばれています。暗越奈良街道。

特に大阪側は急勾配、最急勾配37%の場所はヘアピンカーブだったりします。
この街道、よくTVなどでも紹介され、YouTubeなどの映像も多数あります。
私の存じ上げている何人かもチャレンジされている、バイクでね。
あまりに勾配が急なのでバイクを停めて置けない、即、倒れるとか・・・(^_^ゞ

これでも一般国道なんですよね!

(左)トンネルの上を走る信貴生駒スカイライン。



今でこそ明るいですが、昔は木々が鬱蒼と生い茂り、昼なお暗い峠だった。
そのため、暗(くらがり)峠と呼ばれるようになったのでしょう。
上方落語の枕では「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返ることから、
鞍返り峠と言われるようになった」と語られていますが・・・



ロドで大阪側を下って行く勇気は無いので、帰りも奈良側へ。

GoPro装着して、撮影しながら下ったのですが、それほど険しくないので面白くなく。
それよりちょっとしたハプニングが起きていました。気付かなかったけれど・・・
路肩に停めてナビで次の目的地を入力していると、知らない間に頭上の樹から
無断同乗者が乗り込んで来ていました。
そのまま走り続けて(映像中略)、狭い道で離合渋滞に遭遇。
(¨)nnnnnくん、より快適な場所を探して・・・潜り込みよった!
ちなみに、未だに所在知れず・・・おそらくトランクの中?
オープンカーにお乗りの諸兄、くれぐれも樹の下は注意しましょう。


画面の右下、ボディに注目。



峠にはまだ桜が咲いていました。


2013.5/3、暗峠にて。

幽霊だっけ?

2013-05-15 19:29:39 | 洛外うろうろ
写真や山野草展では見たことがあったのですが、実際に生えているところは
見たことが無い。
ちょうど生駒の方で幾つか行きたい所があって、此処に行ってみることにしました。



奈良県、生駒市の『往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)』

ひと息で言えそうにない神社名。「往馬大社(いこまたいしゃ)」でOK?(^_^ゞ



境内はツブラジイの巨木などの林に囲まれています。






創建は古いと言うか、不明。かなり古代からあるようで、「総国風土記」の
雄略天皇3年(458年)条にすでにその存在の記述があるようです。

今回もうひとつ見たい花がありました。それは『上溝桜(ウワミズザクラ)』。
4月下旬から5月にかけて咲くという。
桜といっても花のイメージは全く違う、バラ科と言う点では同じなのだが。
ここの神社のブログを見たら1週間前の記事では咲いているとのこと・・・





期待していたのだが、見事に終っていた。(-_-;) 花びらひとつ見られず。



わずかに房状に咲いていた跡だけは見ることができましたが。


お札所に居られた神主(?)さんに、もう上溝桜は終ったのですね。と声を掛け、
ついでに「銀竜草は何処で見られますか」とお訊ねすると、
わざわざ連れて行って下さいました。本殿横に張ってあったロープを外して
その先の林の中に案内されると・・・



出てる出てる、うらめしやぁ~ポーズの幽霊茸がアチコチに♪



薄暗くジメッとした林の中で、蝋白色のこんな姿だからユウレイタケなんて
呼ばれるのでしょうが、キノコではありません。れっきとした植物。
と言っても「腐生植物」ってやつで、その代表格なんだそうです。
択捉島から沖縄まで日本領土の全域に分布。4月から8月にかけて落ち葉が
たまる薄暗くて湿っぽい林床に出てきます。

葉緑素を持たないので茎(円柱状)、葉(鱗片)、花(筒状鐘形)も真っ白け。
10~20本、かたまって咲きます。花にはちゃんと雌しべ(真ん中の青い部分)と
雄しべ(そのまわりの黄褐色)があり、マルハナバチなどの虫媒で受粉する。
実は卵形の液果(果皮が肉質で液汁が多い実)だそうです。
残念ながら実は見られなかったのですが、資料で見ると可愛い形をしています。

葉緑素を持たずに養分をどうして得ているかというと、ブナなど周囲の樹木と
共生関係を持つベニタケ属の菌類に寄生し、樹木が光合成で作り出す養分を
菌を経由してちゃっかり頂いているのだそうです。



和名の「銀龍草」は銀白色の鱗片に包まれた姿から名づけられたのでしょうが、
この格好はタツノオトシゴだね。(^_^ゞ
英語では「Indian pipe」とか「Waxflower」とも呼ばれているらしい。
中国名は「水晶蘭」、根を含む全草が漢方の生薬で。強壮、強精、鎮咳などの
薬効があるのだとか。

ユウレイタケというのも的を得ていますが、私的にはムーミンのニョロニョロ
ジブリもののけ姫に出てくる森の精「こだま」の様なイメージなんですけど。

とにかく変った生態をもつ面白い植物です。


他の写真はコチラにまとめました。右下のアイコンクリックでフルスクリーンになります。



2013.5/3、往馬大社にて。