西国三十三所観音霊場、京都市内のお寺が続きます。
番外元慶寺から7連続。特に17・六波羅蜜寺、18・六角堂、19・革堂は
市街地のお寺です。で、1日3寺、一気にお参りしました。
まずは『補陀洛山 六波羅蜜寺』(ふだらくさん ろくはらみつじ)

市内をうろうろするにはコレに限ります。XLとスクーター♪

本堂正面の門、近世っぽい門ですがここからは入れません。
お寺の位置は五条大橋から少し北東にあります。住所は、
東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町・・・
町名、怪しいです。(^_^ゞ 「ろくろちょう」って読むのですが。
このあたりは、かつて人間の骨が無数に出てきたことから髑髏(どくろ)町と
呼ばれていたのを、江戸時代に町名を変更させたそうです。

境内は広くありません、つーか最小クラス?
ここも御多分に洩れず幾度もの戦禍にまみれ焼失、復興を繰り返したようです。
創建は、951年(天暦5年)醍醐天皇第二皇子でもある空也上人により開創
されたもので、現本堂は1363年(貞治2年)の修営、1969年(昭和44年)に
解体修理が行われたものです。

なぜか、なで牛?

宝物館(有料)では、教科書でもお馴染の「空也上人像」や「平清盛像」が
安置されており、本物を観ることができます。
空也上人は教義の奥義を極めたのち、森羅万象に生命を感じ、
ただ南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を
唱える「踊り念仏」で、仏教を民衆へ広げるため常に市民の中にあって
伝道に励んだので、「市の聖」と呼ばれました。天皇の子だったのにね。
当時、都で流行った悪疫の際は自ら彫った「十一面観世音菩薩像(本尊)」を
車に乗せて市中を曳き回り、病人には小梅干と結昆布を入れた茶を与え
病魔を鎮められたという。(今も皇服茶として正月三日間ここで頂けます)
印象的な「空也上人像」ですが、首から鉦(かね)を提げ、手に撞木と
鹿の角を付けた杖を持ち、草鞋を履いた清貧な僧侶の姿の像です。
口から6体の小さな「阿弥陀如来像」が吐き出されているのが何とも・・・これは「南無阿弥陀仏」の6文字を象徴しているんだそうです。
鹿の角が付いた杖についの逸話も面白いです。
空也上人が鞍馬山に閑居している時に毎日、側にやって来る鹿がいたそうです。
上人はこの鹿の鳴き声を愛し、鹿が来るのを楽しみにしていた。ところが
ある日から鹿はやって来なくなり、山へ様子を見に行くと、定盛という
猟師が鹿を射殺していたそうです。
大変悲しんだ上人はその皮と角を請い受け、皮をかわごろもとし、角を
杖頭につけて生涯我が身から離さなかったといいます。
また定盛も自らの殺生を悔いて上人の弟子となり、衆生の能化につとめました。
その子孫も有髪の姿に黒衣をまとって踊り、念仏しながら瓢をたたいて
市中を徘徊。これが今に伝わる六斎念仏踊りなんだそうです。

平安後期、広大な境域内には六波羅殿と呼ばれ、平清盛ら平家一門の屋敷が
栄え、その数5200余りに及んだという。その縁からかここには
「平清盛公の塚」が存在します。その隣りにあるのは「阿古屋塚」です。
阿古屋は、平景清の愛人。京都五条坂の遊女で、「壇浦兜軍記」などに
登場します。ちなみに今年六月の南座「坂東玉三郎特別公演」では
玉三郎さんがこの阿古屋を演じらました。(観に行ってへんけど)


「弁財天堂」

阿弥陀如来石仏(鎌倉時代作) 左奥に見えているのは「阿古屋地蔵尊」

たくさんのお地藏さんのピラミッド?
六波羅蜜寺に向かう角に「六道之辻」という石塔が立っている。
六道とは、生前の善悪の行いによって 導かれる冥界で、
天上、人間、修羅、 鬼畜(畜生)、餓鬼、地獄のこと。
地蔵さまは六道にいる人間の苦を救う仏で、この世からあの世へ、
またあの世からこの世へ、さ迷える魂の送迎をする。
地獄に落ちた亡者を救えるのは唯一、地蔵菩薩しかいないのである。
もともとこの地域は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる葬送地。
泉涌寺辺りの鳥戸野(とりべの)とは異なり、こちらは一般庶民の
死骸の捨て場的なところ。埋葬もされず野晒しの骸がごろごろ・・・
だったのかも知れない。それで地蔵信仰が特に篤いのかと。

「本堂」



最後に六波羅蜜についてさわりだけ・・・
波羅蜜、波羅蜜多はサンスクリット語でパーラミター。仏教における
菩薩の基本的な実践徳目である。
『般若経』では般若波羅蜜(般若波羅蜜多)ほか全6種(六波羅蜜)を、
数える。
詳しくは『HP』、『ウィキペディア』で。(^_^ゞ
六波羅の地名の由来には異説も・・・それは「六原」と書くもの。
六の「ろく」は霊の古語で、墓所(むしょ)がなまって六所となったごとく、
霊が多く集まる原野ということから六原の名が付いたと言うものです。
ちなみに六所神社(ろくしょじんじゃ)というのは全国にありますが
京都・山科にもあります。例の東山トンネルのところに・・・

2012.5/27、六波羅蜜寺にて。

○宗派:真言宗智山派 ○開基:空也上人
○御本尊:十一面観世音菩薩 ○創建:天暦5(951)年
御詠歌「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば」
番外元慶寺から7連続。特に17・六波羅蜜寺、18・六角堂、19・革堂は
市街地のお寺です。で、1日3寺、一気にお参りしました。
まずは『補陀洛山 六波羅蜜寺』(ふだらくさん ろくはらみつじ)

市内をうろうろするにはコレに限ります。XLとスクーター♪

本堂正面の門、近世っぽい門ですがここからは入れません。
お寺の位置は五条大橋から少し北東にあります。住所は、
東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町・・・
町名、怪しいです。(^_^ゞ 「ろくろちょう」って読むのですが。
このあたりは、かつて人間の骨が無数に出てきたことから髑髏(どくろ)町と
呼ばれていたのを、江戸時代に町名を変更させたそうです。

境内は広くありません、つーか最小クラス?
ここも御多分に洩れず幾度もの戦禍にまみれ焼失、復興を繰り返したようです。
創建は、951年(天暦5年)醍醐天皇第二皇子でもある空也上人により開創
されたもので、現本堂は1363年(貞治2年)の修営、1969年(昭和44年)に
解体修理が行われたものです。

なぜか、なで牛?

宝物館(有料)では、教科書でもお馴染の「空也上人像」や「平清盛像」が
安置されており、本物を観ることができます。
空也上人は教義の奥義を極めたのち、森羅万象に生命を感じ、
ただ南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を
唱える「踊り念仏」で、仏教を民衆へ広げるため常に市民の中にあって
伝道に励んだので、「市の聖」と呼ばれました。天皇の子だったのにね。
当時、都で流行った悪疫の際は自ら彫った「十一面観世音菩薩像(本尊)」を
車に乗せて市中を曳き回り、病人には小梅干と結昆布を入れた茶を与え
病魔を鎮められたという。(今も皇服茶として正月三日間ここで頂けます)
印象的な「空也上人像」ですが、首から鉦(かね)を提げ、手に撞木と
鹿の角を付けた杖を持ち、草鞋を履いた清貧な僧侶の姿の像です。
口から6体の小さな「阿弥陀如来像」が吐き出されているのが何とも・・・これは「南無阿弥陀仏」の6文字を象徴しているんだそうです。
鹿の角が付いた杖についの逸話も面白いです。
空也上人が鞍馬山に閑居している時に毎日、側にやって来る鹿がいたそうです。
上人はこの鹿の鳴き声を愛し、鹿が来るのを楽しみにしていた。ところが
ある日から鹿はやって来なくなり、山へ様子を見に行くと、定盛という
猟師が鹿を射殺していたそうです。
大変悲しんだ上人はその皮と角を請い受け、皮をかわごろもとし、角を
杖頭につけて生涯我が身から離さなかったといいます。
また定盛も自らの殺生を悔いて上人の弟子となり、衆生の能化につとめました。
その子孫も有髪の姿に黒衣をまとって踊り、念仏しながら瓢をたたいて
市中を徘徊。これが今に伝わる六斎念仏踊りなんだそうです。

平安後期、広大な境域内には六波羅殿と呼ばれ、平清盛ら平家一門の屋敷が
栄え、その数5200余りに及んだという。その縁からかここには
「平清盛公の塚」が存在します。その隣りにあるのは「阿古屋塚」です。
阿古屋は、平景清の愛人。京都五条坂の遊女で、「壇浦兜軍記」などに
登場します。ちなみに今年六月の南座「坂東玉三郎特別公演」では
玉三郎さんがこの阿古屋を演じらました。(観に行ってへんけど)


「弁財天堂」

阿弥陀如来石仏(鎌倉時代作) 左奥に見えているのは「阿古屋地蔵尊」

たくさんのお地藏さんのピラミッド?
六波羅蜜寺に向かう角に「六道之辻」という石塔が立っている。
六道とは、生前の善悪の行いによって 導かれる冥界で、
天上、人間、修羅、 鬼畜(畜生)、餓鬼、地獄のこと。
地蔵さまは六道にいる人間の苦を救う仏で、この世からあの世へ、
またあの世からこの世へ、さ迷える魂の送迎をする。
地獄に落ちた亡者を救えるのは唯一、地蔵菩薩しかいないのである。
もともとこの地域は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる葬送地。
泉涌寺辺りの鳥戸野(とりべの)とは異なり、こちらは一般庶民の
死骸の捨て場的なところ。埋葬もされず野晒しの骸がごろごろ・・・
だったのかも知れない。それで地蔵信仰が特に篤いのかと。

「本堂」



最後に六波羅蜜についてさわりだけ・・・
波羅蜜、波羅蜜多はサンスクリット語でパーラミター。仏教における
菩薩の基本的な実践徳目である。
『般若経』では般若波羅蜜(般若波羅蜜多)ほか全6種(六波羅蜜)を、
数える。
詳しくは『HP』、『ウィキペディア』で。(^_^ゞ
六波羅の地名の由来には異説も・・・それは「六原」と書くもの。
六の「ろく」は霊の古語で、墓所(むしょ)がなまって六所となったごとく、
霊が多く集まる原野ということから六原の名が付いたと言うものです。
ちなみに六所神社(ろくしょじんじゃ)というのは全国にありますが
京都・山科にもあります。例の東山トンネルのところに・・・

2012.5/27、六波羅蜜寺にて。

○宗派:真言宗智山派 ○開基:空也上人
○御本尊:十一面観世音菩薩 ○創建:天暦5(951)年
御詠歌「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば」