カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

豊作の予感

2011-05-31 22:53:43 | in My お庭
先週から庭で写真を撮ることが多くて・・・つまりネタギレ?

ウチの庭で一番大きな木が八朔(はっさく)の木でして、毎年沢山の実をつけてくれるのですが、去年は不作。ろくに収穫できませんでした。
ところが今年は驚くほど花を咲かせて・・・過去最高じゃないでしょうか。


これだけの花が全部実になったら、恐ろしいくらい・・・


八朔の花です。
名前の由来は旧暦の八月朔日(ついたち)に食べることができたことからだそうですが、冬まで置いて食べるのがふつうかな。
花も実も夏みかんにそっくりですが、味は少し苦味のある甘さ。夏みかんほど酸っぱくは無いです。果汁は夏みかんの方が多い。

他にも何本か柑橘類がありますが、おおむね今年はたくさん花を咲かせてます。

これは檸檬(れもん)の花。




八朔とは明らかに花の形が違い、色もちょっとピンクが入ります。


これは獅子柚子(ししゆず)のツボミ、そして花です。




鬼柚子とも言います。結構珍しいみたい。
何ともスゴイ形の実が生ります。しかも食べられない・・・果皮の部分をピールやマーマレードにして食べるみたいですが。
こんな実になります。獅子柚子だと判ったのは最近で。和歌山の某ミカン園の方に訊ねても正体が判りませんでした。(^_^ゞ


柑橘類にとってアゲハ蝶は受粉をしてくれる大切なお客様?
少しくらいは葉っぱを差し上げます。でも度を過ぎることも・・・



クロアゲハ


アオスジアゲハ


ツマグロヒョウモン(♀)


ツマグロヒョウモン(♂)


アゲハチョウ


ゴマダラチョウ

1本の木にこれだけの蝶が来るなんて、チョー人気?
人気絶チョーかな・・・

ハチさんも色んな種類がハチ合わせ。









やっぱり目立つのはこのコやね、クマバチ。







こちらは柿の花に・・・


初夏は結実の時季でもあります。庭も賑やかでショカ。(^_^ゞ


サクランボ


キンカン


ビワ


ザクロ(花)


おまけ。キュウリ(花)

身近に果物や野菜、自然の営みや恵みが見られるのは嬉しいな。

ところで、よく言われるこの言葉・・・最後まで知ってました?

桃栗3年、柿8年、梅はすいすい13年、
ユズは大バカ18年、りんごニコニコ25年、
女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生、
あーこりゃこりゃ

なんだそうです。地方によってバリエーションがあるようだけど。


ユスラウメ。


昭和の香り

2011-05-29 20:14:32 | ランチ/カフェ
ランチを食べた後、麩屋町通を歩いていると
突然、こんな建物に出会します。何ともレトロ・・・



「国登録有形文化財」「歴史的意匠建造物」の銘板が貼ってある。



円錐形屋根でタイル張の円筒形塔屋、屋根にはフランス瓦。
格子窓を垂直方向に連ね三角屋根が突き出した部分も。
外観は蔦に被われ、塀や庭には薔薇が・・・
まるで中世ヨーロッパのお屋敷?この界隈でもまさに異彩を放っている。



実は革島外科医院の建物。今は新しい建物が隣りに建っているが
以前は医院として機能していたようです。手術室まであるとのこと。
建物は昭和11年に竣工。木造3階建て。
革島家は当地に医師として三代目、これを建てられたのは祖父ってことになります。洋館が好きだったようで、ドイツに留学されたこともあり、ドイツの城郭風の建物をってことで建てられたようです。
昭和11年、モダンな病院だったのでしょうね、周りは変わっても残していって欲しいものです。

さて、寺町通(寺町京極)をぶらぶら北上、三条通りまで戻って
三条商店街を抜けると、河原町三条の交差点。
ここらも変わってしもうた、かっぱ寿司になか卯、わたみん家にびっくりドンキーやてぇ!時代の流れとはいえ、ちと悲しい。
なんも京都の繁華街のど真ん中に進出せんでも・・・

そんな京都の街ん中でも頑なに昭和を残していてくれるお店もあるんよね。
河原町三条の東南角をちょっとだけ下ったところに・・・



『六曜社』って喫茶店が。創業は1950年(昭和25年)。私まだ生まれてません。
当初は地下だけだったのが、1965年ごろには一階で珈琲、地下はバーとして営業していたのが、数年前から地下も昼間は喫茶店として再度開店することになったようです。





地下店は12:00~18:00までが喫茶、18:00~24:00はバーとして営業です。





紫煙漂う昔ながらの喫茶店、地下だからこそ外の喧騒から逃れられ
昭和に埋めたタイムカプセルの中に身を置ける気がします。
しかし私はこのお店の常連ではないし、今までに入った記憶もない(忘れているだけかも)。なのに、革張りの椅子に腰を下ろせば、通い詰めた店のような安らぎを感じてしまった。



いつも飲んでる珈琲に、いつも欠かせないドーナッツ・・・
そんな感じでオーダーしましたよ。(^_^ゞ

珈琲は言うまでもなく美味しい!珈琲らしい珈琲を久しぶりに口にした気がした。メニューにはストレートコーヒー(深煎り)(中深煎り)(中煎り)と分けられた幾つもの種類が書かれている。私は中深煎りエチオピアモカ、家内は中煎りブラジルを注文。
注文を受けるとマスターが自家焙煎の豆を1杯分づつ挽いて、丁寧に煎れてくれる。豆を挽く時の香りも楽しみ、新しいお客さんが来る度にその香りがまた店内に充満する♪



家内は只今、コーヒー練習中である。お砂糖3杯、ミルクは全量入れてしまう・・・ここの珈琲の旨さが分かったのだろうか?(^_^ゞ
ちなみにメニューの裏にはハウスブレンド、マイルドブレンド、ミルクコーヒーなどが書かれていたようだが、気がつかなかった。もちろん珈琲が苦手な方のためのメニューもある。

珈琲を煎れてくれるマスターについて、ひとこと。当然私は常連でもなく、取材をしたわけでも無いので、受け売りだが・・・
奥野修氏、この老舗喫茶店を始められたご両親から引き継がれたわけだが、シンガーソングライターとしての顔も持たれているとのこと。お昼の喫茶担当で、夜のバータイムはお兄さんと交替される。
喫茶、珈琲に関しては並々ならぬ研究者のようで、全国各地の有名店を回り修業、見聞を広められたようだ。そこで感じられたことは職人気質のコーヒー専門店、そこのコーヒー親爺が自らのコーヒー論を開陳する様には違和感を覚えられたようだ。そんな店では一部のマニア以外は楽しめない、正しいコーヒーの飲み方なんてあってたまるか!って。そんなことは個人の好みだろうし、何よりも大切なのは「くつろいで気持ち良く飲めるか」だと言うことを悟られたとか。
それにしても美味しいここの珈琲。マスターいわく「あたりまえの最低の基本ラインを守っているだけ、うちの店より不味い珈琲があればそれは何かの過程をサボっているだけでしょう」・・・という発言にもマスターの珈琲に対する美学を垣間みる。



ここの名物でもあるドーナッツ。サクサクのクラシックタイプ、ほかほかで出てきます。1日限定個数があるらしい、お早めに。
そう言えば「スマート珈琲店」にはホットケーキがあったな。『ノスタルジックな珈琲店 by 京男雑記帳』

ついでに京都の昭和な老舗喫茶店を・・・
昭和5年(1930年)創業、「進々堂 京大北門前」
昭和7年、「スマート珈琲店」
昭和9年、「築地」「フランソワ喫茶室」
昭和23年、「ソワレ」上の2軒とともに京都三大アンティーク喫茶なんて呼ばれてるようです。
おっと、京都の朝はイノダコーヒの香りから・・・三条堺町のイノダ
昭和15年、「イノダコーヒ」。“コーヒー”じゃなくて“コーヒ”ってとこが昭和?




そう言えば、僕らの世代の中学生の頃は、気軽には喫茶店に入れなかったな。学校ではエレキご法度、喫茶店は父兄同伴のことって決められてたもの。(^_^ゞ
だからじゃなくても、喫茶店は大人が行くところだった。珈琲も煙草も大人の香りだったしね。当時は喫茶店に入っていく大人は知的でカッコ良かった♪いつかはあんな大人になりたいなと横目で見ながら憧れたりして・・・



意外と若者も多く来ていたな、さすがにファミリー層は地上店の方に。この地下店は大人の空間だった。当然のように全席喫煙可だしね。
珈琲の香りに紫煙はよく似合う・・・何て言ったら禁煙論者から怒られそうだけど。そう言う私も外出時は煙草を持たないから、ここでも吸ってないです。今度は葉巻でもくゆらせますか・・・


小一時間しか居ませんでしたが、ここの空間は心地よかったな。
あっ、ドーナッツはふたりで1コですよ。フォークは最初から2本ついてきたけどね。



2011.5/22、六曜社にて。

どこから?

2011-05-27 23:19:58 | ランチ/カフェ
先の日曜日、朝から雨模様なのでボサーッとしてたので
街まで家内の所用にお付合い、ついでにちょっと昼飯でもってことに。



高島屋にクルマを停めて、寺町通りのギャラリーへ寄って・・・
あらかじめ近くで見つけておいた『お野菜ダイニング ここから』ってお店に行ってみました。



寺町通から2本西の麩屋町通り、三条を下ったところ、六角との間にあります。お店の前には野菜の写真やら何やら看板がいっぱい。
「たっぷりの野菜と雑穀米のお昼ごはん」・・・ヘルシ~やん♪

お店に入るとガラスのウインドーに、料理サンプル・・・かと思ったら

本物の野菜をプリザーブドして作ったアート作品の展示でした。(^_^ゞ

ビルの1階ですが、お店の中はまあまあ広く、清潔感もあり。
こりこりに凝った造りじゃ無いところも落ち着きます。



まぁメインターゲットはビジネスマン、学生・・・特に女性かな。ってとこでしょう。メニューもそこらを意識した感じです。



ランチメニューから「日替わりランチ」と「ここからセット」を注文。



まずはフレッシュジュースが・・・注文してないのになと思ったら
ランチメニューに付いているのだそうで。その代わり、食後のコーヒーなどは付いてません。

「ここからセット」






色んな野菜が食べられて、お造りや海老天ぷらも付いているので、満足できます。野菜だけじゃね・・・。雑穀米のご飯も美味しかったので、おかわりが出来たらな、ちょっと少なかったです。








「日替わりランチ」

チキンだったかな中華風の味付け、野菜たっぷりのサラダ。小鉢やスープは共通だったりします。
こちらも満足だったようで、また来てもいい度75%。(^_^ゞ




2011.5/22、「ここから」

百花繚乱、石山寺。

2011-05-25 23:14:49 | 花だより
GWうろうろ日誌。やっとファイナる5月4日の続きの続きぃ~♪

石の山の寺は、意外や花の山でありました。
時季が良かったのか、日頃の行いか・・・春の花が
こんなに一気に観られるとは・・・♪
ちうわけで石山寺、春の花の集大成、植物図鑑みたいやけど。(^_^ゞ


霧島ツツジ、真っ盛り。



平戸ツツジ、まだこれからでした。



石楠花(シャクナゲ)、この色だけだったかな。



すみれ、これはコマガタケスミレかな?いわゆるスミレとは違うよう。
スミレといっても日本で野生種だけでも60種。さらに、亜種、変種まで含めると300種類近くあるそうです。


松葉海蘭(マツバウンラン)、群生している姿は素敵です。



地縛り(ジシバリ)、タンポポに似てるね。



牡丹(ボタン)


知らずに行ったのですが、牡丹園がありました。有名らしい。
この時期は、これを目当てに来る人が多いようです。






確かに豪華絢爛、種類も多くて牡丹の品評会のよう










がらりと変わって・・・


射干(シャガ)、境内のあちこちで見られました。


琵琶湖をかたどった池や滝からなる回遊式庭園「無憂園」。









今は文目(アヤメ)や黄菖蒲(キショウブ)が咲いているようです。
もうすぐ花菖蒲が咲きだすとのこと。もう夏やもんね・・・



八重桜、まだ咲いていました。(^_^ゞ



藤、行った時はまだほん咲き始め。



山吹(ヤマブキ)や山躑躅(ヤマツツジ)も咲いていました。
たっぷり色んな花を見ることができるお寺です。




2011.5/4、石山寺にて。

紫式部ゆかりの石山寺。

2011-05-23 23:43:25 | 洛外うろうろ
滋賀県大津市石山寺1丁目にある『石山寺』
山号を石光山、寺号を石山寺と言う真言宗のお寺です。
西国三十三箇所観音霊場第13番札所。京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場と言われており、そのはじまりは聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(ろうべん)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったことにより開基したとされてます。







日本最大の湖、琵琶湖の水はその南端から川となり流れ出ます。それが瀬田川、石山寺はその西岸の伽藍山の麓の景勝地にあります。
ちなみに瀬田川は京都府の喜撰山あたりから宇治川と名前を変えます。



さて、源頼朝の寄進により建てられたとされる東大門をくぐると
真っすぐ伸びた石畳の参道。霧島ツツジが見頃でした。



そこで迎えてくれたのは・・・



「おおつ光ルくん」
えぇ~と、向かって左がスイ・スイ光ルくん。右はヒラメキ光ルくんで真ん中がおおつ光ルくん。21世紀版の光源氏だそうです。

入山料を払って進むと手水舎(ちょうずや)脇に、池と何やら奇岩が



「くぐり岩」だそうです。石山寺の特徴である珪灰石でできた天然の胎内くぐりってことだそうで。







水車があったけどあんまり関係ないみたい。(^_^ゞ
だいたいこのお寺、巨大な岩盤の上に建てたものだから、階段ばっか!石の山の寺やもんね、しゃぁないか・・・
良弁さん、ここに如意輪観音像を祀って修法が無事に効果を現わしたのはいいけれど、像がどうしたわけか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創なんだそうで・・・

2つ並んで建っているのは毘沙門堂と観音堂。
蓮如上人が祀られている蓮如堂もありましたが、屋根しか撮らなかったかな。(^_^ゞ
国宝の本堂・・・中は撮影禁止。
日本で唯一の勅封の秘仏、ご本尊の如意輪観世音菩薩が収められた宮殿(くうでん=御厨子)の扉は33年に1度開くそうです。一般公開があるのかどうかは知りませんが、次回は2016年だそうです。
本堂の建物は滋賀県最古の木造建築物だそうで、内陣は平安時代中期の建築、外陣は淀殿(茶々)の寄進により増築されたとか。

紫式部ゆかりの寺とはよく知られてますが、浅井三姉妹にもゆかりがあったとは・・・こちらのブログでね。5/13日には三姉妹と光ルくんまで勢ぞろいしていたようですね。









相の間には、紫式部が『源氏物語』を起筆したことにちなむ「源氏の間」があります。このお人形はご案内役?


さて、石山寺ならではと言ってもいい景色が・・・







硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。とのこと。

その珪灰石の岩石群の先に見えていたのが



源頼朝の寄進で1194年に建立された日本最古の多宝塔。これまた国宝です。下重が大きく、上重は搭身が細く華奢で軒の出が深い優美な姿で、日本三大多宝塔のひとつ。(あとの二つは金剛三昧院:和歌山県高野町、浄土寺:広島県尾道市)


えっちらおっちら、なんだ坂、こんな坂・・・しんどいけど、途中いろいろ見られて飽きません。↓これは鐘楼。









月見亭です。落語家が来たからではなく、後白河上皇の行幸に際して建てられたものだそうです。はるかに琵琶湖を望みながら瀬田川の美しい風景を楽しむことができます。



月見亭の横には芭蕉庵があります。この石山寺、文学とも縁があるようで、松尾芭蕉や島崎藤村の足跡も・・・
紫式部の『源氏物語』は言うまでも無く、藤原道綱母『蜻蛉日記』、菅原孝標女『更級日記』、清少納言『枕草子』などの文学作品にも登場します。

あれれ、いよいよかな・・・







紫式部さん登場です!
紫式部がこのお寺に参籠して『源氏物語』の構想を練ったとか、書きだしたとか・・・小野小町ほどでは無いにしろこの方も多くの謎や伝説に包まれています。ま、この頃の女性の出生などは定かで無いことが多いですから。
しかしながらこの平安期、この時代に女流文学が花開いたというのは世界的にみても日本だけのようですね、意外と女性の発言力が強かったのかも・・・日本の伝統?
それまでの漢詩文学から「かな文字」が生まれ、散文による日記や随筆が大ヒット、書く方も読む方も分かりやすくて好まれたのでしょうね。頭の固い男どもは漢詩から抜けられず、かな文字を操る女性のほうが自由に文学を発展させたものでしょう。
源氏物語は54帖にわたる大作小説ですが、当時は「蜻蛉日記」「枕草子」「紫式部日記」「和泉式部日記」「更級日記」、今で言うブログ大ブーム?特に枕草子と紫式部日記は宮中で人気を二分、アクセス数を競ったとか、ブログの女王は紫式部か清少納言か!ランキングのトップ争い?だから紫式部は日記の中で清少納言のことをボロカスに悪口を書いていたり・・・ライバル心むき出し。(^_^ゞ
この二人、実名は不明で、紫式部も清少納言もHN(ハンドルネーム)。紫は小説の登場人物「紫の上」、式部は父の官位。清は姓が清原で親族の役職名、少納言から由来しているのでは等と推測されているがその由来は定かでは無い。

ともあれ「源氏物語」不思議に思うのは、藤原の出でもありパトロンが当時の最大権力者、藤原道長であったと言われる紫式部が、どうして敵であった源氏を喜ばせるような小説を書いたのかな?蹴落とした相手を慰めるため?かな・・・

ちなみに紫式部、HNは可愛げだが・・・実際はブサイクだったとか。よくある話しかもね。(^_^ゞ




2011.5/4、石山寺にて。



しみじみ、しじみ。

2011-05-20 10:19:08 | ランチ/カフェ
まだやるか、GWうろうろ日誌。5月4日の巻ぃ~♪
この日は滋賀県の石山寺へ行きました。自宅から30分もかからないのに
行くのは初めてでした。

例によってお昼、もう1時をまわってから出かけたので腹ぺこ。
観光駐車場に停めて、石山寺公園を抜けて東大門へ向かうのですが
その間、食堂がいくつか並んでいます。どこも同じようなメニューなんですがね、一巡ショーウインドウのメニューを見て回り・・・
最初の蕎麦屋さんがイイかなって、一番駐車場に近かった『小松家』ってお店に戻って入りました。



ここらのお店はおそらく、ほぼ100%石山寺へお参りの観光客相手。
あとで調べたらこのお店もイマイチの評価・・・
並びのお店では『湖舟』ってお店が人気あったようです。(^_^ゞ
ま、とりあえず食事が目的じゃなかったので、それなりに満足でしたけど。
本格的な食事ならこの瀬田川沿いには有名な料亭や人気店も多々ありますから、ちゃんと調べてから行くことにしましょう。







設えもそれなりに風情があって悪くありません。ただ食事が出てくるのが遅いかな・・・



メニューの名前は忘れました。とりあえず「しじみご飯」が食べたくて。瀬田川の名物なんですよね、しじみ。
石山寺はちょうどその瀬田川の西、瀬田しじみの産地にあります。
釜飯風に食べるのも美味しいでしょうが、ここのは普通に炊き込みご飯。それでもホクホク、思ったよりシジミもたっぷり。
美味しかったです。
小鉢やしじみの味噌汁もなんじゃかんじゃついて980円だったかな?
これに蕎麦がついたりデザートがついたりで、定食は3段階。フルセットの「小松家御膳」でも1500円だからコスパはまずまずかな。




家内は単品の天ぷらそば、ここのは手打ち七割蕎麦ってことですが
特別な感じはしなかったな。結局食事はいつものように半分づつでチェンジ。いろんなものが食べられる、ビンボー人の知恵?(^_^ゞ

さて、シジミってヤツはかなり身体に良いそうで。特にお酒を召し上がる呑ん兵衛さんには肝臓に良いちゅうことですな。タウリン・アスパラギン酸・コハク酸、ミネラルもたっぷり。カルシウムはアサリの4倍、亜鉛やビタミンB群も豊富・・・小さな貝に健康パワーがいっぱい♪
滋養強壮パワーはウナギをも凌ぐ?その食べ頃は「寒シジミ」「土用シジミ」が旬だと言われ、寒い水の中でエネルギーを蓄えているためにおいしい冬と、産卵前のもっとも身の入りがよくなった夏、土用の丑の頃なんだそうです。

日本で食用にされるシジミのほとんどはヤマトシジミ、島根県宍道湖産のものだと思われます。ヤマトシジミは汽水域(海水と真水が混じりあった水域)で育ち、淡水域で育つのはマシジミとセタシジミ。マシジミは本州から九州の河川の上流から中流にかけて分布し、局地的な産地で流通はほとんどしていない。産地に行って食べるしかないかもね
同じようにシジミの中では最も美味だと言われるセタシジミも流通量は少ない。漁も全盛期の60分の1だとか・・・
『食材図鑑 しじみ』

ところでこの石山公園には、教科書にも載っているというこんな石碑が

クリック
縄文時代の遺跡で、淡水産貝塚では日本最大の規模なんだそうです。

さぁて、このあと行った石山寺はその名の通り、石の山の寺でして
坂道ばっかり・・・
ま、良い運動をしたご褒美。帰りにはこれッ!


「ほうじ茶ソフト」ほうじ茶の香りとさっぱりした味わいがウマウマでした♪

これぞ花道、ツツジの参道。

2011-05-17 21:34:46 | 花だより
GWうろうろ日誌。5月3日の続きぃ~♪『長岡天満宮』霧島ツツジ。

ここは京都ではキリシマツツジの名所として、毎年多くの見物客が訪れるところです。例年は4月末頃が見頃、今年はやはり少し遅れたかな。
開花情報HPによると4/24日ではまだ1~2分咲き、5/1日でやっと南面が見頃、北面が2分咲きに。南面、北面、日当たりによって開花状況が違うようです。
5/2日には南面散り始め、北面ほぼ満開。5/4日は南面終わり近し、北面満開・・・僕らが行ったのはその間の3日でしたから、まずまずだったのかな。
ちなみに5/9日には・・・終わりました。来年に向けて養生作業にはいります。ということです。













樹齢130年以上、2.5mに及ぶ樹高の霧島ツツジが両側を深紅の壁のように被う参道は壮観です。
この参道、八条ヶ池を二分する中堤。途中にある石の太鼓橋は加賀前田候の寄進と言われています。



写真でお気付きでしょうか、空の色。この日は酷い黄砂で、空に青味が全くありません。ちょっと先の大鳥居も霞んでるし・・・





八条ヶ池は南北に長細く、外周は約1km、貯水量 は約35000トン。
寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮が造るように命じた、灌漑用の溜め池だそうです。



中堤(参道)の北側の池にはジグザクの水上橋、六角舎があり、池の周辺とともに散策路として市民に開放されてます。




南側には、たけのこ料理で有名な『錦水亭 本店』の建物が風景のアクセントになってます。






水上座敷かな、たけのこの旬の時期、今が繁忙期でしょう。







池をぐるっと廻って行くと錦水亭に到達。







錦水亭、忙しそうなので入りませんでしたが・・・(^_^ゞ
ホントノリユウハ・・・筍料理で12000~20000円、税・サ別。ですから
気軽には入れない小市民、ふたりだと最低でも諭吉さん3人とお別れしそう・・・

ま、そんな訳で探した昼のお食事どころは・・・ジャァ~ん♪






ちょうど参道横に出ていた露店。この日はいっぱいお店が出ていた。
緋毛氈の床几に座っていただいたのは、長岡名物竹の子入りたこ焼き♪
焼きそば大盛りと掘りたて筍の焼き竹の子!水がいっぱい出てきてジューシーで美味しかったよ♪デザートは焼き立てほくほくのメロンパン。英世ちゃん1人で大活躍。(^_^ゞ


お腹も膨れたことだし、長岡天満宮本殿にもちらりと寄ります。









天神さんですから北野天満宮と同様、菅原道真公が祀られています。
長岡は、菅原道真公が生前に在原業平らと共に、しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深いところで、公が太宰府へ左遷された時、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれたとか。

学業の神さんなので合格祈願とかもあるのかな、撫で牛さんもちゃんと居ります。
社紋は梅干し星梅鉢、北野天満宮と同じです。天満宮といえば梅鉢紋なんですが、各地で微妙に違うんです。それに天満宮って京都市内だけでも末社を含めると70ヵ所以上あるそうです。
どうでもいい話しだけど・・・(^_^ゞ




2011.5/3、長岡天満宮にて。

乙訓寺で牡丹を

2011-05-14 19:20:57 | 京都徘徊記
お得にデーラーでボタンを・・・変換間違い。(^_^ゞ

GWうろうろ日誌。5月3日の巻ぃ~♪『乙訓寺』へ牡丹を見に行きました。
京都は意外と牡丹の名所が無い、奈良などは長谷寺、當麻寺、石光寺、金剛寺などなどあるのにね。京都ではこの乙訓寺の2000株っていうのが唯一の牡丹スポットのようです。
ちなみにここの牡丹は長谷寺から移植したものです。



二十日草と言われる牡丹の花、見頃を逃すことも多いので今年こそはとHPを毎日チェック。
4月28日に始まった「乙訓寺牡丹まつり」スタート時点では1割程度の開花だとか。今年はスポーツ界やイベントも軒並み自粛延期、牡丹も咲くのを1週間ほど遠慮したようです・・・
5月1日になってやっと5割、3日にようやく見頃になったと言うので、黄砂のヒドイ日でしたが行くことにしました。
この牡丹まつりも先週8日の日曜で終了しました。今はもう来年のために残った花も切り落とされたと思われます。











乙訓寺(おとくにでら)  山号:大慈山 真言宗豊山派 
寺伝によれば推古天皇の勅命により聖徳太子が建立したと言われている古刹です。
もともとこの辺りは古代より人が多く定住していたようで、深い歴史をもっている地域です。518年-526年、継体天皇が住まわれた時は弟国宮(おとくにのみや)と呼ばれています。
桓武天皇により奈良の平城京から784年、長岡京に遷都(平安京遷都の前10年間、都でした)その際、この乙訓寺を都の地鎮として大規模に増築。廃都となっても相当な規模を誇り、室町時代でも10を越す僧坊があったといいます。現在の規模からは想像できませんが・・・

かつて弟国(おとくに)と呼ばれたのと関連は無いだろうが、桓武天皇は実弟の早良親王を長岡京造営担当の藤原種継暗殺に関与したとして、乙訓寺に幽閉。親王は身の潔白を示すため断食されたが、10余日後、流罪処分となり淡路島に護送途中、淀川べりで絶命。その亡骸を桓武天皇は淡路島へ流すという死後処刑を実行したものだからかその後、天皇の母、皇后の死、皇太子の重病が続き、悪疫の流行、天変地異が発生した。
811年、弘法大師の乙訓寺別当就任は「宮廷がたたりを恐れ、弘法大師の祈祷の効験に期待した」という説もある。ちなみに日本の二大密教の祖、真言宗の弘法大師空海と天台宗の伝教大師最澄が最初に出会ったのがこの乙訓寺といわれる。





お寺の話はこのくらいにして・・・
例によって牡丹の写真はフォトチャンネルに収納しておきます。

右下のアイコンをクリック、フルスクリーン・スライドショーでどうぞ。





「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 と言うのは女性の美しさを形容する言葉で、シャクヤクのように風情があり、ボタンのように華麗で、ユリのように清楚・・・ということらしい。
ちなみに牡丹と芍薬の花はよく似てます。文目と杜若みたいに。(^_^ゞ
どちらもボタン科ですが、牡丹は“木”、芍薬は“草”として見分けます。芍薬は牡丹の花が終わった頃から咲き始めます。











牡丹の花言葉は「王者の風格」と言うだけあって、大輪の華麗な花は見応え充分。
桜にも大輪の八重咲きを牡丹桜なんて呼びます。
ほかに牡丹といえば唐獅子牡丹、緋牡丹お竜・・・なんてね♪
美味しいところでは、牡丹鍋かな。イノシシ鍋っていうより食欲湧くもんね。同じように鹿肉を紅葉、馬肉を桜って言いますよね。
牡丹の花を観賞して、猪肉を連想お腹が減ったという人は余程だと思いますが・・・(^_^ゞ
そんな人には牡丹灯籠の話しでも聞かせましょう。

境内で咲いていた他の花もちらりと


御衣黄(ぎょいこう)桜。咲きだした頃はもっと黄緑の花なんですが。


平戸ツツジ。ツツジとサツキってどう違うんやったっけ・・・


楓の花。実になると例の二枚羽根プロペラのような形になります。


それと・・・傘の花。



2011.5/3、乙訓寺にて。

西陣で和菓子

2011-05-12 18:27:14 | 京都徘徊記
GWうろうろ日誌。5月1日の続きぃ~♪

雨も止んだので岡崎界隈から充てもなく西陣界隈へ行ってみる。
西陣織として織物で有名なところだが、住所としては存在していない。あくまで界隈。
東は堀川通、西は七本松通。北は鞍馬口通、南は中立売通の地域だが、これも定まっているわけではない。だいたいだ。(^_^ゞ
「西陣」の名は応仁の乱で西軍総大将である山名宗全が堀川よりも西に陣をおいたとされたことが由来である。

またしてもふらりと寄ったのが『白峯神宮』
小さな神社だが鳥居をくぐって境内にクルマを停められるのが良い。



ロドの横は名水『飛鳥井』。その奥には樹齢800年の霊木『小賀玉の木』(京都市指定天然記念物)が。


境内社のひとつ『潛龍社』。ここにも名水『潛龍井』があり、飛鳥井とは全く違った水脈源だそうな。とにかく街中にあって、ふたつの名水がこんこんと涌き出しているのは希少かも。


ここの御祭神は崇徳天皇・淳仁天皇。他にも境内社として精大明神などが祀られている『地主社』。源為義・源為朝を祀る『伴緒社』がある。

特にこの白峯神宮を有名にしているのが蹴鞠の行事。毎年4月14日と7月7日に奉納が行われる。

竹で四角く区切られたスペースが蹴鞠のピッチなのかな。鞠(ボール)を扱うので、サッカーをはじめ野球やバレー、卓球やゴルフまでスポーツ全般にわたり全国から参拝者が訪れるようだ。


春、ここへよく来るのは鬱金の桜(黄桜)が目当てなのだが・・・

さすがにもう終わっていて、わずかに遅咲きの牡丹桜が残っていた。

藤棚もあり鬱金の桜と同時に見られることもあるのだが、藤は遅れ気味?
それにやけにショボイ。(^_^ゞ












花房が短すぎるよね・・・


このすぐ近くに『京菓匠 鶴屋吉信』の本店がある。
ここの2階には茶寮があって、和菓子とお茶がいただけます。
駐車場は堀川通沿いと今出川通(道を隔てて向い側)の2ヵ所あります。



横の路地を入ると茶寮の入り口が、そこから2階へ上がります。







趣のあるスペースに・・・
カウンター席は目の前で和菓子を手作り、菓子職人の技を見て楽しめます。奥には茶室コーナーも。





メニューはこんな感じ
ゆったりとしたスペースで話しもはずみそう、女性の好みそうなところですね。平日なら旦那に500円玉持たせて送りだし、自分はお友達誘って・・・何てことなんでしょうか?


「季節の生菓子とお抹茶」をたのむと、この中からひとつ生菓子を選べます。





私はこちらのほうが良かったので「きな粉ゼリーと抹茶アイス」カッパ添え?



オッと、これは展示品です。喰ってはいけません・・・きっと。(^_^ゞ


ランチは失敗だったけど、ここはまずまずだったかな。



2011.5/1、鶴屋吉信にて。

雨だからアート。

2011-05-10 23:55:59 | 京都徘徊記
GWうろうろ日誌。5月1日の巻ぃ~♪

震災の影響で仕事も無く、長~い連休になった今年のGW。
お天気は曇り空が多かったけれど、おおむね良好。崩れることは無かった。
ちょうど『パウル・クレー展』のチケットがあったので、雨が降れば行こうと思っていたところ、5月初日がしとしとぴっちゃんとなり・・・



岡崎の京都国立近代美術館に出かけました。



パウル・クレー(Paul Klee、1879年12月18日 - 1940年6月29日)は20世紀のスイス出身の画家、美術理論家である。
ドイツでワシリー・カンディンスキーらの青騎士のグループに参加し、バウハウスで教鞭をとったこともある。その作品は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特の世界を形づくった。(Wikipediaより)

デザインを学ぶにあたってどうしても避けて通ることができない存在でした。
改めて今見てもその影響力の大きさを感じます。



例によって内容は写真には撮れないので、館内をちらちら撮ったりして・・・



外に出ると雨も上がっていたので



新緑の岡崎をお散歩・・・



平安神宮へ向かいました。


大文字と平安神宮、京都どすなぁ。



天気が悪かったせいか、観光客はまばら。がら~んとしてました。
クレー展、美術館は人がいっぱい、かなり混雑していたのに・・・

神苑にはまだ入ったことが無いので、行ってみようかと入り口で何か花は咲いてるか訊ねると、白藤が見頃だそうな。・・・もひとつかなと入らなかった。(^_^ゞ
また花菖蒲の頃にでもゆっくり来てみよう。


さて、美術館に行く前に昼食にしたのですが、この岡崎界隈は古くからのお店と新しい人気店も出来ていて、結構迷うくらい食べるところが充実している。



あちこち歩いて迷った挙句、久しぶりに「権太呂」に行こうと向かっていると
隣りに今まで気にもしなかったお店が・・・
その隣りは「美先」って和食料理店。新しく出来た京情緒がウリのプロデュースされたお店だが、お手軽ランチにはちと高級。「権太呂」は、うどんすきで有名、ガイドブックには必ず出ているお店だ。どちらもネットで知っていたが、この2軒に挟まれてこんな店があるのは知らなかった。怪しげではあるけれど、それほど悪くも無さそう・・・多少躊躇しながら入ってみた。



前にそこそこの駐車場スペースがあり、庭のようになっている。
設えもまずまず、テーブルも椅子も小粋なものが。
でもでも何だかな、徹底してないちゅーか、センスが・・・
ここ、もう20年以上やっているのだとか。







和牛石焼き丼だったかな?と、天ざる。何これッ!何ともなぁ~
帰ってから「食べログ」で調べたら・・・「おすすめできません!」って口コミが1件だけ。(^_^ゞ 激しく同意!
ま、たまにはこう言うこともあるわな。お店の名前は伏せておきますね。

困っちゃう小町ちゃん。

2011-05-08 23:04:53 | 京都徘徊記
GWうろうろ日誌。4月29日の続きぃ~♪

ご存知、小野小町。楊貴妃、クレオパトラと並んで世界三大美女と言われる平安前期9世紀頃(生没年不詳)の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人である。
小倉百人一首の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」の作者として知られてます。

絶世の美女と言うわりには、百人一首のカルタの絵では顔を見せてないのですよね。後ろ姿だけ・・・何でだろ?(^_^ゞ
今でも「何とか小町」と言えば美女を指し、小野小町からきていますが、この「小町」と言うのは本名ではありません。この時代「町」と言えば宮中仕え更衣であるとされ、姉が小野町として勤めてたので、妹だった彼女には「小」を付けて小野小町と呼ばれたという説があります。








ここには小野小町が暮らした屋敷があったとされ、朝夕化粧に使ったという「化粧の井戸」も残っていたりします。ただの水溜りやったけど・・・

この小町ちゃん、容姿端麗で和歌に優れた才能を発揮した実在の人物だというのは分かっているのですが、伝説・謎の多い女性でもあります。
生誕地についても秋田県湯沢市小野、福井県越前市、福島県小野町ほかにも新潟県、滋賀県、鹿児島県までも・・・幾つあることやら。一番その気になってるのは秋田かな「あきたこまち」のブランド米や新幹線に「こまち」ってネーミングしたり。
東北地方に伝わるものはおそらく『古今和歌集』の歌人目録中の「出羽郡司娘」によると思われますが、この伝説の信憑性は薄いとも言われています。
墓所もしかり、全国に点在。宮城県から山口県に至るまで小町寺や小町塚が十ヵ所以上はあるんじゃないかな。とにかくミステリアスな存在です。




小野小町の伝説で最も有名なのが「深草少将の百夜通い」伝説。
室町時代に世阿弥ら能作者が創作した謡曲なんだけど、その内容は
小野小町に恋をし、熱心に求愛をした深草少将という貴公子あり。しかし小町は冷たく「百夜通ったら想いを遂げさせてあげましょう」と言います。
それ以来少将は毎夜、伏見区深草の欣浄寺から約5kmの山科区小野、随心院の小町の元に通い、その証拠にと榧(かや)の実をひとつずつ置いていきます。
しかし九十九日目の大雪の降る夜、少将は最後の榧の実を持ったまま力つきて倒れ、死んでしまうという物語り。



それを証明するように、深草少将が置いていった榧の実が随心院に残されていたりします。





随心院の裏には「史跡 小町庭苑」なる雑木林があり
深草少将をはじめ、小町を慕うあまたの男性から寄せられたラブレターを埋めたとされる「文塚」があり、訪れる人も多いとか・・・



庭園跡には榧(かや)の木の巨木もありました。欣浄寺にも「少将の通い道」があったり、少将と小町の塚があるそうです。深草少将って架空の人物じゃ無いの?
なお「百夜通い」伝説にはいくつもの後日談があり、謡曲などの題材になっています。
多くは強烈な未練や無念を抱きながら亡くなった深草少将の霊が成仏できずに・・・と言うようなものです。そう言えば随心院の住所は「京都市山科区小野怨霊御霊町35」コワッ!






一方、絶世の美女、モテモテだった小町にあやかる動きもありますね、化粧品会社が随心院をCMに使ったりということもあったそうです。
ちなみに裁縫に使う「まち針」は「小町針」の略で、男を寄せ付けずフリまくってた小町は実は男を受け入れられない体であった、という憶測。穴が無いというところからきているそうです。
逆にあまりにモテ過ぎで穴が空いてる間がない、いつも塞がってるとか・・・
「百夜通い」の異説でも、実は33日目に深草少将は死んでしまった。なら99個の榧の実は?計算が合わない。1日に3回も通ったことになる・・・そりゃ回数だよ。やりまくった挙句、少将は文字通り33日目で逝ってしまった。何てね。憶えなくてイイですよ、この話し。(^_^ゞ

母の日やのに何ちゅう不謹慎なことを!話しを換えて・・・

優れた歌仙であった小野小町、それにちなんで多くの人たちが書いた和歌が刻まれた石版が、随心院を囲む竹薮の小径に並んでいます。






随心院に行かれたらぜひ、この小町庭苑跡も行かれるとイイかも。
ただし「マムシ・スズメバチに注意」の看板が立ってますけど・・・



紅花常盤満作(ベニトキワマンサク)の木が満開で1本だけポツンとありましたが何か謂れでもあるのかな?









思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを

うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼み初(そ)めてき

いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る





2011.4/29、小町庭苑にて。

随心院の石楠花

2011-05-06 22:58:08 | 京都徘徊記
GWうろうろ日誌。4月29日の巻ぃ~♪

今年のGWは遠出をする予定も無く、高速道路に一度も入ることなく、もうすぐ一律千円も終わろうとしてるのに勿体無い。(^_^ゞ
そうなると昼までうだうだ、昼からのそのそと動き出す日々でした。
つーわけでご近所回りばかりの花巡りになってしまいましたw

まず4月29日は京都市 山科小野にある真言宗大本山 随心院門跡へ。



991年、仁海僧正により開基された牛皮山曼荼羅寺が起源とされ、その後、後堀河天皇より、門跡の宣旨を賜り、以来隨心院門跡と称されています。応仁の乱の戦火にあい灰塵に帰してしまいますが、1599年に九条二条両宮家より門跡が入山し、再建されました。

隨心院が所在する小野は小野氏(小野妹子とか)の一族が栄えたところで、ここは世界三大美人の一人、小野小町ゆかりの門跡として有名なんです。



梅園があり、「はねず梅」で有名な観梅スポットです。※はねず(朱華/唐棣)とは、薄紅色のこと。
桜はここの直ぐ側に醍醐寺三宝院があるから勝負にならないってことかな?
境内にはツツジがいっぱいあって、咲きだすとキレイでしょう。
紅葉も楽しめそうなお庭でした・・・

ちょうど石楠花(しゃくなげ)が見頃だとの情報を目にしたので
見に行きました。平年より4、5日は遅れたようですが、他の地域よりちょっと遅めな感じです。










石楠花を中心に庭の写真はこちらに集めておきます。

右下のアイコン、クリックでフルスクリーン・スライドショーでどうぞ。










それほど大きな寺院ではありませんが、伽藍配置の妙もあり、なかなか見映えのする庭園です。拝観者の姿が思ったより多かったのは意外でした。















狩野派の襖絵や快慶作の仏像など見どころも結構あります。(撮影禁止でした)
美術品を楽しんでも良し、庭園を眺めながらボーッとしても良し・・・












2010.4/29、随心院にて。

ご近所ランチ

2011-05-03 23:34:08 | ランチ/カフェ
GWも真っ只中、皆さま楽しまれてるのかな。
私はと言えば今年は何も予定が無く、暇だけはた~っぷりあるので
その日の思いつきで行動しております。
な、わけでブログの記事もこんなものに・・・

このお店『ステーキハウス やまと』は、歩いて4、5分の所にあり以前からその存在は知っていたのですが、入るのは今回初めて。
もう24年もされているという。なのに見ての通りの店構え、お客の出入りも見たことが無い・・・ステーキハウスって事ですが、どんなメニューなのかも分からなかったのですが、最近ネットで近所のランチどころを検索すると出てくる。それも高評価、ランキングも上位。しばらく気になっていたのですが、遂に探索に・・・



店内は予想通り、いやそれ以上に狭い。カウンターのみで10席ほどかな・・・
迎えて下さるのはシェフと女性がお二人(奥様とお嬢さん?)家庭的な雰囲気です。



ピカピカに磨き上げられた調理具が期待を昂ぶらせてくれます。
注文はネットで調べてたので、直ぐに決定。





テキ重定食とビーフカレーです。ともに¥1,050。

シェフから「初めて来られましたか、何で知られたの」と言われ、ネットで知りましたよと答えると、最近増えてますと納得されたようでした。
ついでに写真を撮らせてねと許可をもらうと「何に使われる?」みたいなことを、ブログに載せますよと言うと、それも納得なようで・・・悪くは書けないかな。(^_^ゞ









これが一番人気?評判のテキ重定食の全容です。
折りに詰められたステーキ(厚切りのローストビーフのような感じでしたが)は、ご飯が見えないほど敷き詰められてます。
サラダはクリーミーなドレッシングと削り鰹がのっている和でちょっと個性的、赤だしのお吸い物、お漬物の付け合わせもgoodです。コーヒーも付いてくるのでコスパ高いです。コーヒーはもう少し量が欲しかったかな。

シェフいわく、こればっかり話題になって・・・本当はコースを紹介して欲しいんだけどね、次はぜひ。って事でした。(^_^ゞ
ちなみにお昼のコースは¥3,000、夜は¥5,000かな。〆のライスはカレーとハヤシが選べてお替わり自由なんだそうです。

ちなみにビーフカレーの¥1,050はちょっと高目?
これはシェフの思い入れと自信の現れ・・・実は京都では伝説のカレーハウス「ジャワ」で修業され、その味を伝承する貴重なお店のようですね。この「ジャワ」のカレーを参考にして出来たのが「ボンカレー」なんだとか。
フルーティなちょっと酸味を感じるここのカレーは、さすがに美味しいものでした。でも僕の好みでは無いかも、スイマセン。




帰り道、いつもの公園は桜がすっかり散り、ハナミズキが満開になってました。















2011.4/28、六兵衛公園にて。