カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

いにしえの大王の杜 

2011-10-14 23:53:20 | 洛外うろうろ
先月ですが、こんなところに行ってみました。
大阪府高槻市に今年の4月、オープンした『いましろ 大王の杜』

ここらは三島古墳群と呼ばれる多くの古墳が点在している地域である。高槻に古墳群があったとは、知らなかった。
発掘調査の結果、この今城古墳が継体天皇陵であるとされているのだが、宮内庁としては以前から大田茶臼山古墳を継体天皇陵としてきた。これを変える気は無いようで、そちらの方を(現)継体天皇陵と呼ぶようだ。したがって今城古墳は「真の継体天皇陵」と呼ばれている。
このように天皇陵とされているものの多くは確証が無いの現状だ。

古代史ってのは、ほとんどが仮説のようなものであって、だから考古学は面白く興味深い。結論の無い学問の代表みたいな気がする♪
知識はほとんど無いけれど、考古学マニア、発掘マニアの気持ちはよ~く分かります。
そんな性質でもあり、ここを知ってからは行きたくてウズウズ。(^_^ゞ



どっち行ったらええねん?あちこち矢印が・・・


とりあえず駐車場の広い、ここへ。「今城塚古代歴史館」

ここで発掘された埴輪を中心に展示、学習施設になってます(入館無料)








まぁ埴輪って色んなものがあったんやね。改めて感心。
人物型、武者男子や馬形など動物、家形などなど・・・
実は少し離れたところにハニワ工場公園あり、そこにもハニワ工場館という施設(入館無料)があるのですが、今回は時間的に入れませんでしたw。高槻には古墳群があると同時に大規模な埴輪生産工場があったのは確か。




ここでも甲冑着用体験があるようですが、誰一人着ているコはいませんでした。展示品の装束は大王のもの?(想像だろうけど)

もっとじっくり見たかったのですが、いかんせん閉館時間が迫っていたので・・・


「はにたん」に案内されて(何でカメラ持ってるねん、はにたん)今城古墳へと向います。



こちらは公園になっているので、時間は気にしなくてもOK♪



さすが整備されてオープンから間もないので、キレイなものです。
高台にテラスも作られているので、そこから見渡せます。
前方後円墳ですね、コンクリート造り?←ちゃうって!あれは模型!

淀川北岸の古墳としては最大級のようです。全国でも大きさベスト50位以内(41位)。大したことないようですが、古墳って北海道から鹿児島まで無数にありますから、この順位は相当大きいものです。ちなみにベスト50位は、全て前方後円墳です。ご存知ナンバーワンは、やはり大阪府堺市にある大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。墓域面積は世界最大であるとされてます。


上の写真でちら~っと見えたでしょうか、何やら埴輪の大群が・・・
気になるので行ってみます。









中国の兵馬俑を思わせる埴輪群、ほぼこの位置で発掘されたものをレプリカですが並べられてます。
どうしてここにこれだけの埴輪が出土したかは謎のようですが、どうやら葬儀の様子を再現されたもののようです。埋葬後、これらの埴輪を並べて祀りをとり行ったようだとか。
200以上の人物や動物、建物の埴輪が発掘され、この古墳の特徴的なものなのですが、すでに鎌倉時代に盗掘にあい、戦国時代には城が築かれ(だから今城と呼ばれるようになった)、伏見大地震によって崩れ、石室も石棺も破壊され
しかも大量の土砂も無くなってしまっている・・・そんな経緯があっての出土だから、当時の規模はどうだったのだろう?







武人、兵隊、巫女、神官、かなり位の高そうな人物や力士も。兵馬、牛、白鳥、雄鶏、雌鶏。家形の埴輪も大小様々、民家風から祭殿風の建物、高床式の宮殿と思わしきもの等々。これらの本物は「今城塚古代歴史館」で展示を見ることができます。









ちょっと陽が傾いてきました、とりあえず古墳をぐるりと一周・・・



墳丘を中心に内濠、内濠を囲む堤、外濠の構造になっているが、内濠の一部を除いて、濠は埋め立てられ芝生地に整備されている。
内濠を囲むように円筒埴輪が並べられているが、聖域と俗界を分ける境界だと思われている。ここの規模だと約6000の円筒埴輪があったものと推定されています。


前方後円墳だからここは前の「方」の角部分。


そしてこちらが後ろの「円」のカーブ。

整備前は荒れ放題だったようで、濠も残っていたものの釣り堀状態だったとか。今は釣り禁止になってます。
墳丘自体は手付かずで残されており、散策路もあるようです。子供の遊び場になっていたような跡も・・・今も遊び場になってるみたいだけど。
とにかく、一般人が自由に入れる古墳としては国内最大のものだとか。
貴重ですね、いいんだろうかって気もしますが・・・


だから今はこんなのもカイツブリが抱卵してました♪





2011.9/18、いましろ大王の杜にて。


10 コメント

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Unknown (ピィ)
2011-10-15 07:06:42
この規模の古墳となると、やはり天皇クラスの方が葬られているんでしょうね。
継体天皇は大化の改新の100年ちょっと前の在位のようですね。
継体天皇のお墓なのか、それとも別人ものなのか、そもそも実在の人物だったのか、ロマンがあるというか面白い学問ですね、考古学って。
現代が考古学で研究される時代はくるんだろうかとも思ったり。
でもさすがに現代の情報は、デジタルデータとかで映像ごと残っていきそうですが(^^)
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な・なんと! (7駆)
2011-10-15 08:20:59
高槻にこんな立派な施設があったなんて!
点在してたって・・・古墳の宝庫ですやん。
見どころ満載。 しかもパラダイスっぽい要素もあって素晴らしい。
(この甲冑は着たくないけど)

前方後円墳・・・円の方が前に見えるのは、私だけ(鍵穴ともいう)
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謎を解き明かす ☆ピィさんへ (路渡カッパ)
2011-10-15 18:50:18
考古学ってミステリー小説にも似た醍醐味があるかもしれませんね。
この頃の朝廷、天皇も実在じゃなかったり名前だけ変わって重複してたり
謎が多いです。ま、写真もビデオも文献すら無い状態ですから・・・
そこがまずオモシロイところかもしれません。
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実は私も ☆7駆さんへ (路渡カッパ)
2011-10-15 18:55:04
高槻に古墳群があることすら知りませんでした。
前方後円墳、手前が方形で後ろ(奥が)円形だと考えれば、素直に鍵穴ですね。
てるてる坊主にも見えるけど・・・(^_^ゞ
あの甲冑着て、埴輪と一緒に並んでたら絵になるかもよ。
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高槻と聞くと意外ですが。 (りちゃ。)
2011-10-16 22:54:00
よくよく思い起こせば、古代史の豪族って畿内中心だったですから、むしろないほうがおかしいですもんねぇ(^^;。

とはいえ、今にそれだけの立派な施設。
大した町おこしだ;;。

こちらでは五色塚古墳なんかが有名ですが、久方ぶりに古代史散策してみたくなったりしましたよ(^^)。

※あ、一応試験、無事にやってきましたー。
来週、何とかいけそうですw。
寝坊しないように気をつけますね~^^)ノシ。
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いましろ (jimmy.)
2011-10-17 07:50:50
高槻にこんな施設ができたんですね。
お嬢がいるうちにいっぺん見に行かなきゃ。
これだけの規模のもの、当時の栄華のほどがうかがえます。
でも、いつの時代も権力者のところへ金が集まるようになってるのねん・・・
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古代史 ☆りちゃ。さんへ (路渡カッパ)
2011-10-17 12:31:39
ひとつの発見だけで直ぐにひっくり返ってしまう・・・そんなあやふやな所が面白いですね。
昨日は藤井寺市に行ってきましたが、ここも古墳群で有名なのか、立派な施設ができてたりします。
ぽ集、お待ちしてますよ♪試験の結果はまだ出てないんですよね。
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一度ぜひ ☆jimmy.さんへ (路渡カッパ)
2011-10-17 12:37:37
公園としてもまったり和めるところでした。
古墳時代、統一国家ができつつある時代かな?
ニューヨークみたいに99%デモとか起きなかったのかなぁ。
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Unknown (aw@bitlog)
2011-10-17 21:31:30
この時代の意匠って、後の時代のものと較べると、随分大陸よりですね。
日本的に変化した理由を知りたいです。
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古代史 ☆aw@bitlogさんへ (路渡カッパ)
2011-10-17 22:46:00
この頃は大陸、半島の影響が色濃いですね。
朝鮮半島で発掘調査を進めていくと、かなりの共通点、交流の跡が発掘されてきています。一方的ではなく、明らかに日本から発信されたモノも出ているようです。
さて、日本独自の意匠になったのは・・・甲冑の変遷を見るのもひとつの手かも知れませんね。
この時代の後は、仏教伝来があるので、これまた影響を受けますが、仏像にしても日本古来の古代宗教と融合したり・・・なかなか難しい話ですね。
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