
東大寺には子供の頃、何度か来た記憶がある。学校の遠足や家族とも来たはずだ。
しかし当時の写真やビデオが残っている訳でもなく、甦る記憶は微かなものです。
大仏さん見たな、柱の穴をくぐった憶えが・・・程度かな。(^_^ゞ
さすがに東大寺、特別な日でも無いのに門前参道の賑わいは結構なものだった。


しかも、人だけじゃなく、シカも・・・

しかし、シカのお土産は昔とは随分変わってきている?
ところでまだ「奈良の大仏商法」って言葉は生きているのかな・・・


ここの鹿、天然記念物として保護されてはいるが、飼い馴らされたものじゃなく
あくまで野生。なのに感心するのは、目の前に販売中の鹿せんべいがあっても
決して手を(口を)出さない。観光客に首を上下に振ってまるで
お辞儀をするようにおねだりする。さすが日本鹿?

『華厳宗大本山 東大寺』興福寺や薬師寺、唐招提寺などとともに世界文化遺産であり
本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
とにかく建物も仏像も国宝、重文のオンパレード!
聖武天皇の発願により創建され、そのはじまりは神亀5年(728)に建てられた
金鍾山寺(きんしょうさんじ)にまで遡ることができるという。
初代別当は良弁。行基、菩提僊那(インドから招かれた僧)らにより
大仏の鋳造が始まった頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったとか。

「南大門」
現在の門は、鎌倉時代の1203年に再建されたもの。

でかいです。門の高さは基壇上25.46m、日本最大の山門。

「金剛力士像」左側の阿形(あぎょう、口を開いた像)
これまたデカッ!教科書の表紙になっていたような・・・
この阿形像は運慶・快慶らの作。8.36m木像。

「金剛力士像」右側にある吽形(うんぎょう、口を閉じた像)
一般的な仁王像の配置とは逆になってます。しかも向かい合って立っているのは
ここだけだとか。こちらの吽形像は定覚・湛慶らの作とわかった。8.38m木像。
実は僕らは「阿形像は快慶、吽形像は運慶」と覚えたのだが、1988年から
5年間にわたり解体修理を実施した際、像内から多数の納入品や墨書が
発見され、従前の通説が覆されることに。
いずれにしろこの迫力には圧倒されます。

屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及ぶといいます。
大仏さんといい、我が国最大級がひしめいている寺ですね。

「鏡池」水面に映る大仏殿が・・・あ、そんな撮影ポイントに気がつかなかったw

「中門」
ここも焼失、再建を繰り返し、現存のものは享保元年(1716年)ごろの再建。


元来、大仏殿に入るのはこの門を通ってなのでしょうが、今は柵で塞がれています。
左右にある回廊の向って右側に入館料を払って入り、左側に出口があります。
確か、元日の午前0時より朝八時までこの門を開扉。大仏殿を一般開放、
無料で参拝できるとか(元日のみ)
南大門は金剛力士像(仁王像)がある仁王門ですが、こちらは左右に
二天像が安置されている二天門です。

「持国天」像。向って左側ですが
ここも二つの像は向かい合っています。

「兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)」像、右側。
足元にチラッと見える頭は「地天(ぢてん)」で、この両手に乗っています。
・・・ちゃんと写真撮れって?これでも寝転がるようにして柵の間から撮りました。
やっぱ、バリアングル液晶モニターが必要。

「金堂(大仏殿)」
当初の大仏及び大仏殿は、8世紀に造られたものですが、中門と同じく
2度の兵火で焼け落ち、鎌倉と江戸時代に再建された。
現存する大仏殿は江戸時代の再建だが、柱とする材が調達できず、
芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。
そのため、創建時には11間(86m)あったが7間(57m)となった。
現在でも世界最大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。
大仏も台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、
体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作だそうです。

実はここまで来て、大仏殿には参らず。中門の柵越しに写真を撮りました。
どうせ入っても撮影禁止だろうと思っていたら、撮影可でした。(^_^ゞ
(但し、三脚は禁止)

大仏殿の前の八角灯籠も見えてます。その先に大仏さんのお顔も・・・
う~ん、見えへん(悲)
そうそう大仏殿の東側の空き地に変なものが・・・

これ高さ23.3mもあるそうです。
大仏殿が出来た当初はその東西(左右)に97mの七重の塔が建っていたそうで
これはその屋根の上に付ける相輪(復元模造)
これひとつとってもクレーンも無い時代、大変な建築をしたものですね。

2012.2/12、東大寺にて。
しかし当時の写真やビデオが残っている訳でもなく、甦る記憶は微かなものです。
大仏さん見たな、柱の穴をくぐった憶えが・・・程度かな。(^_^ゞ
さすがに東大寺、特別な日でも無いのに門前参道の賑わいは結構なものだった。


しかも、人だけじゃなく、シカも・・・

しかし、シカのお土産は昔とは随分変わってきている?
ところでまだ「奈良の大仏商法」って言葉は生きているのかな・・・


ここの鹿、天然記念物として保護されてはいるが、飼い馴らされたものじゃなく
あくまで野生。なのに感心するのは、目の前に販売中の鹿せんべいがあっても
決して手を(口を)出さない。観光客に首を上下に振ってまるで
お辞儀をするようにおねだりする。さすが日本鹿?

『華厳宗大本山 東大寺』興福寺や薬師寺、唐招提寺などとともに世界文化遺産であり
本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
とにかく建物も仏像も国宝、重文のオンパレード!
聖武天皇の発願により創建され、そのはじまりは神亀5年(728)に建てられた
金鍾山寺(きんしょうさんじ)にまで遡ることができるという。
初代別当は良弁。行基、菩提僊那(インドから招かれた僧)らにより
大仏の鋳造が始まった頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったとか。

「南大門」
現在の門は、鎌倉時代の1203年に再建されたもの。

でかいです。門の高さは基壇上25.46m、日本最大の山門。

「金剛力士像」左側の阿形(あぎょう、口を開いた像)
これまたデカッ!教科書の表紙になっていたような・・・
この阿形像は運慶・快慶らの作。8.36m木像。

「金剛力士像」右側にある吽形(うんぎょう、口を閉じた像)
一般的な仁王像の配置とは逆になってます。しかも向かい合って立っているのは
ここだけだとか。こちらの吽形像は定覚・湛慶らの作とわかった。8.38m木像。
実は僕らは「阿形像は快慶、吽形像は運慶」と覚えたのだが、1988年から
5年間にわたり解体修理を実施した際、像内から多数の納入品や墨書が
発見され、従前の通説が覆されることに。
いずれにしろこの迫力には圧倒されます。

屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及ぶといいます。
大仏さんといい、我が国最大級がひしめいている寺ですね。

「鏡池」水面に映る大仏殿が・・・あ、そんな撮影ポイントに気がつかなかったw

「中門」
ここも焼失、再建を繰り返し、現存のものは享保元年(1716年)ごろの再建。


元来、大仏殿に入るのはこの門を通ってなのでしょうが、今は柵で塞がれています。
左右にある回廊の向って右側に入館料を払って入り、左側に出口があります。
確か、元日の午前0時より朝八時までこの門を開扉。大仏殿を一般開放、
無料で参拝できるとか(元日のみ)
南大門は金剛力士像(仁王像)がある仁王門ですが、こちらは左右に
二天像が安置されている二天門です。

「持国天」像。向って左側ですが
ここも二つの像は向かい合っています。

「兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)」像、右側。
足元にチラッと見える頭は「地天(ぢてん)」で、この両手に乗っています。
・・・ちゃんと写真撮れって?これでも寝転がるようにして柵の間から撮りました。
やっぱ、バリアングル液晶モニターが必要。

「金堂(大仏殿)」
当初の大仏及び大仏殿は、8世紀に造られたものですが、中門と同じく
2度の兵火で焼け落ち、鎌倉と江戸時代に再建された。
現存する大仏殿は江戸時代の再建だが、柱とする材が調達できず、
芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。
そのため、創建時には11間(86m)あったが7間(57m)となった。
現在でも世界最大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。
大仏も台座と袖、脚などの一部に当初部分を残すのみで、
体部の大部分は中世の作、頭部は江戸時代の作だそうです。

実はここまで来て、大仏殿には参らず。中門の柵越しに写真を撮りました。
どうせ入っても撮影禁止だろうと思っていたら、撮影可でした。(^_^ゞ
(但し、三脚は禁止)

大仏殿の前の八角灯籠も見えてます。その先に大仏さんのお顔も・・・
う~ん、見えへん(悲)
そうそう大仏殿の東側の空き地に変なものが・・・

これ高さ23.3mもあるそうです。
大仏殿が出来た当初はその東西(左右)に97mの七重の塔が建っていたそうで
これはその屋根の上に付ける相輪(復元模造)
これひとつとってもクレーンも無い時代、大変な建築をしたものですね。

2012.2/12、東大寺にて。
小学校の遠足以来、訪れてないかも。
大仏さんの写真が登場しなくて残念。
たしか中には大仏さんの鼻の穴と同じサイズに開けられた柱の穴がありませんでしたっけ(笑)
大仏さん、撮影可だと分かったのが閉門10分前・・・残念なことしましたw
柱の穴、遠足で希望者だけ並んでくぐったような。今でもくぐれるかな
京都の大仏が残っていたら勝っていたのにね。惜しいことをした。
三脚禁止ということは、松葉杖もだめということなんかな・・・清水寺の舞台はどうかな。
鹿の形をしていて、吹くと羽根がまわって音がするやつ。あれが見ように欲しかった。
鹿と売店の関係、裏で取引があるように思いますね。あやしい。談合か。
大仏殿の大きさに感動したけど…
あんまり覚えてません(^_^;)
鹿の笛は、う~ん、よく憶えてません。お土産は以前、記事にされていた
「大仏の鼻くそ」を探してみたらよかったかな。(^_^ゞ
松葉杖は大丈夫でしょう、三脚がダメなのはおそらく人の流れを阻害するからじゃないでしょうか?
鹿と売店、ほんと密約でもあるかのように、買ったのを見届けると
ワッと群れが寄ってきますよ。
仕事では、大仏殿の屋根には登ってないですか?
仕事のやりがいがありそうな屋根でしたけど・・・
あ、鹿が売り物のせんべいを食べないのは・・・
売り子のおばさんに激しくシカられるから
その後は成人してから1回だけかな、大仏さんの顔を拝んだのは。
昨春も奈良公園で引き換えしたし。
あと3年のうちに1度は参ってみたいと思ってます。
「大仏さまのヘソのごま」ってのもあったそうです。
どうやら大仏さまの○○○シリーズは東大寺の異議申し立てで
商標取り消しになったとか・・・ホントなら寂しいね。
>おばさんにシカられる・・・鹿にシカわからない事情があるんでしょうねぃ。
この辺りを探索するのも面白いです。建造物もバラエティに富んでいるし。
シカはくれぐれも苛めないようにね。
東の待国天。。。
有名ですよね。
北と西の仏像は、フィギアで飾っていて
六月ですべて揃います。
お墓の五輪等でも、凡字で表現されてます。
上に位が進むほど、簡素な衣をまとっているあたりがなんとも。。。
よく、博物館でこちらでも仏像展などあるときに、カメラ持込禁止なので、
くやしいです。。
どうせならモデルがここ東大寺の戒壇院の四天王像だと素晴らしいです。
この中門の二天像は東に多聞天(毘沙門天)、西に持国天と、ちょっとイレギュラーかな。
仏像の多くは撮影禁止ですね、写真好きにとっては良い対象なんですが。
若草山に寄って、詰め替えたやつを・・・
通りすがりのフンちゃんや、1さんにももって帰れば良かったかな。
賞味期限内に・・・