ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

Kさんのこと

2009年01月20日 22時56分06秒 | マラソン
先日のブログで
走りながら般若心経を
聞いていたという人の話を少し書いた。

今日はこの人の話をしよう。

この人というのは
職場の先輩
Kさんだ。
わしがマラソンを始めたのは
今から21年前。
この時すでにKさんは、
篠山マラソンをすでに完走していたばかりでなく、
ニューヨークマラソンや
ホノルルマラソンの完走経験も持っていた。

これからマラソンを始めよう
としていたわしにとっては
まさに雲の上の人だったのである。
そんなKさんの奥さんにしてみても、
まだまだ世間に市民ランナーが
あまりいなかった頃だったから、
他のレベルとあまり比べる術も無かったので、
篠山マラソンに応援に行った際に
こんなエピソードを作った。

トップが2時間そこそこでゴールした後、
いつ旦那さんがゴールするかわからなかったので、
カメラを2時間近く構え続けていたらしい。
さぞや片目で疲れただろう。
当時はフィルムカメラだったもんね。
いまなら2時間もデジカメを構え続けたら
バッテリーがなくなってしまうってもんだ。
そしてKさんは、
今のわしの職席も
経験したことのある
仕事上の先輩でもある。
Kさんが編集長を勤めていた頃の社報を読み返すと、
見出しのつけ方や
記事の取り上げ方、
紙面構成がとてもKさんらしいことに気がつく。

今の社報に
わしの色がそれだけ出ているかとなると
それははなはだ疑問であるところだ。

Kさんは、マラソンだけではなく、
インターネットやブログも
周りの誰よりも先進的に取り組んでいた
(携帯電話はなかなか持とうとはしなかったけど)。

そんな風に常にマイペースで、
自分のしたいことに
積極的に取り組むという点で、
今のわしに大きな影響を与えた人でもある。

初めて、サロマで
ウルトラマラソンに挑戦したのも
この人がいたからこそだった。

マラソンの練習中に
耳で覚えた英会話も駆使して
最近は
海外旅行も頻繁に行かれているようで、
つい先日もカナダの
ナイアガラの滝の前のホテルから、
自らの60歳の誕生日を祝う
メールを送ってこられた。
まったく自由に
人生を謳歌されているにゃあ。

この3月に定年を迎える
そんなKさんのことを、
わしは「停年の星」と呼んでいる。
いつまでも若く、
遊び心満載のKさんに、
定年を迎えても、
いつまでも年をとらず(停年)、
わしらの定年時に
いっぱい遊び方を教えてくれる目標(星)
でいてほしいとの願いと
敬意を込めて、
そう呼ばしていただいている。

この呼び方をKさんはいたく気に入ってくれていて、
あちこちで
俺は職場で「停年の星」
と呼ばれているんやと
言いまわっているらしい。

来月、そんなKさんの
定年送別会を開催させていただく
運びになっている。

思い出話は一晩では語りきれないほど、
山のようにあるぜ。

そして定年後は、
暇にまかせて
頻繁にお誘いもあることだろうな。