最近激しい運動を控えている首Dさん。
いつもエイの帰りには
ひとりでテクテクと夜のお散歩をしてから
帰宅されているとのことなので、
昨日はそれに付き合ってdoironも一緒に歩いてみることにした。
それまでは浜寺方面に向かって歩いていたそうだ。
「どこで何キロ、そしてあとどれくらいの距離と
時間がよくわかるので、
いつも同じところを歩いている」とのことだったので、
昨夜はおおよそ距離を合わせて、
doironの案内で勅使道を
歩いてみることを提案したところ賛同してもらった。
あとの歩行を考えて、
アルコールはナマ中を一杯だけにし、
いつもより20分くらい早く店を出た。
GPSをセットしてスタートである。
コースは多分通ったことがないだろう
という道や車で通っていても止まってみることもないだろう
という道を中心に選んでみた。
店をでてまず「二田(ふった)」の村中を通った。
車では通れないような
細い路地が続く。
写真をとっても塀が写っているだけで
何が何だかわからない。
なので、画像処理ソフトでゴニョゴニョしてみると、
ほらこの通り。
赤外線カメラみたいでしょ。
この後に出てくる画像は
ときどきこの処理をかまして紹介しよう。
これは二田の地蔵尊。
地元のふるさと文化遺産とやらに認定されている。
この地蔵は並んでいるのがたくさんおられて、
柳生などでよく見た六地蔵とはちょっと違う。
村の境界に並べておいて、
他村から来た人に村の格式を見せつけるような
意味があったんでしょう。
それはdoiron村にも村の北端、
その北の村にも南端に地蔵様がおられることからもわかるように、
そんな村はずれの地蔵尊は
ムラの境神信仰の表れだといわれている。
「二田」のその地蔵尊を右折し、
中央線へと向かう。
途中、遠くに輝くアルザタワーが見えてくると、
その道も終点となる。
その歩き始めて1キロのところにある交差点は
一見T字路に見えるが、
よく見ると歩行者には十字路となっている。
車では侵入できない細い道を
てくてくと直進していくと・・・
出たあ。
これが勅使道。
だからわからんがな。
え~と、おまじないをかけると、
ほうらこの通り。
これもわからん?
いいんです!夜間歩行なんですから。
わかったつもりでその勅使道を東進していく。
みちみち、首Dさんに
「『ちょくしみち』ってどんな字を書くの?」と聞かれて困った。
「えーっと、弥勒の勒みたいな字ていうか、
あ、そうそう『教育勅語』の「勅」の字です」
と答えたものの、
この漢字の説明は難しい。
その時とっさに書けなかったんだよね~
なので、意味は「みことのり」、
とか「おおせ」とかいう意味で、
昔大津の港に着いた京都の官人たちが、
国府に向かって歩いた道
という説明で許していただいた。
やがて左手にそびえるのは、
夜の市民病院。
う~ん、なんとなく怪しげなネーミングだ。
その道をぐいぐい直進していくと、
そこが和泉国二宮の「穴師神社」。
夜の神社もまた雰囲気がある。
ここに祀っている神様は
紡織の神様とその夫である農業の神様の二人がおられるので、
そのそれぞれを参拝できるように
相殿造りの本殿前に鳥居が二つある
珍しい景観を持っている。
勅使道は、かつて方向的には
このまま穴師神社の鳥居を左に見て直進し、
後で出てくる要池の宝篋印塔と地蔵堂まで
まっすぐ続いていたように思えるのだが、
今はそれらしい路地はあるものの
複雑に入り組んでおり、
直進の道はない。
なので、鳥居のところを右折し、
進んでいくことにした。
後篇に続く。