ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

カニカニツアー 取材編2

2014年02月26日 20時44分35秒 | ウォーキング

お薬師さんの階段を降り切ったところで、
登る前にハゲシク興味をひかれた商店に入ってみました。

入り口に串に刺された一夜干しの魚が
ずらっと並んでいます。



値段を見るとこれが激安。
国道沿いの大きなお土産さんの
干物1枚の値段が、ここでは1串(八枚)の値段でした。
何ともリーズナブルでありました。
もちろんお買い上げです。

店内も何となくローカルチックで面白かったし、



いけすではカニさんが飛び出さんばかりに
元気に泳いでおりました。



こういう地元のお店は要チェックですな。

次に目指したのが、
いよいよ「Dの複合」に所縁のある神社です。

小説の冒頭近くで
「先生と一緒に歩いたとき、あすこに小さな祠がありました」
と書かれてある場所です。

右側の田んぼ越しに清張の書斎を眺めつつ、



線路を越えて200mほど比較的大きな水路沿いの道を歩くと



目的の神社の鳥居が見えてきます。



ここが賣布神社です。



表記を簡単にすると「売布神社」と書き
「めふじんじゃ」と読みます。

この神社の本殿がこれ。



一間社流造のこの建物は京都府の文化財に指定されています。

Dの複合では死体が埋められていた近くにあったのが
この神社の小さな祠とありますが、
それがこの本殿にある左右の拝所のことを
書いているのだろうといわれています。

右側がこれ。



そして左側にはこういう祠が見られました。



小説では死体の埋まっていたのが
祠の裏側の雑木林であったと書かれていますが、
どちらを想定しているのかはわかりません。

他の部分には「稲荷」という言葉もありましたので、
それはやしろを詳細に調べればわかるのでしょうが、
そこまでの時間はありませんでした。

物語の中でこの場所はひとつの伏線にすぎません。
厳密にそれを調べることで
清張の意図が読み取れるというものでもないでしょうから、
深く追求はしませんでした。

それよりもこの神社のいわれの中に、
もしかしたら清張が小説の組み立ての
きっかけを見つけたのかもしれないと
doironは思うわけです。

2カ月の滞在の間、周辺を歩き回って
この神社にも何度も足を運び、
滞在していた部屋に積まれていたという膨大な資料の中には、
この神社に関する資料もきっと含まれていたのだと思います。

なぜそう思うのか、
そのことを少し書いてみます。

この神社の名前である「賣布神社」ですが、
大阪の人なら「あれ?どこかで聞いた名前やな」
と思われたんではないでしょうか。

そうです。阪急宝塚線終点の宝塚の二つ手前に
「売布神社」という駅があります。

もちろんその名前の神社があるからですね。

では「売布神社」という名前の神社が
他にもあるのかと調べてみますと、
延喜式神名帳には6社が記載されています。

兵庫県には宝塚の他に三田市に1社、

島根県は松江市に1社。

そして後の三社が丹後にあります。

これらのうちで、「売布」発祥のひとつ
と思われているのが今回訪れた神社なのです。

それはこの神社のあるところの名称が
「女布谷(めふだに)」であること。
また木津温泉の南5キロのところに
「女布権現山」という山があることから、
地名が合致することからも伺えるということです。

さらに、この神社の祭神が
お酒の神様である「豊宇賀能命」であることも
発祥の地を表しているほか
多くの示唆も孕んでいます。

丹後地方には「浦島伝説」と
「羽衣伝説」が同居しています。

羽衣を盗んだ漁師が
天に帰れず泣き崩れている天女を連れて帰り、
一緒に長年暮らさせていたのですが、
天女が天に帰れず
あまりにも毎日悲嘆にくれ続けるので
可哀そうになって返してあげた所、
礼を言ってお酒の造り方を
教えて出ていったそうです。

ところが、長年の逗留で羽衣を手に入れても
天への帰り方を忘れた天女が
再び泣き崩れたというところが
今も丹後にあります。
それは「奈具」というところだといわれています。

「奈具」は「泣く」から転じた言葉だそうです。

この天女と「豊宇賀能命」が、
どちらが先なのかわかりませんが、
酒の祖ということで被るのは言うまでもありません。

また浦島も同様に竜宮城で過ごした時間が
あっという間だったのに、
玉手箱を開けたら歳をとってしまった
というのも、いずれも長期間
とらわれの身であったという点
(これは「淹流説(えんりゅうせつ)」といわれます)
でストーリーが重なります。


この神社があるこの地に
そんな伝説が残っていることを
知って滞在しにきたのどうかはわかりませんが、
清張は賣布神社の境内であれこれ思いを巡らし、
浦島伝説、羽衣伝説を絡めて
「Dの複合」を組み立てていったと
考えられるわけです。

他にも垂仁天皇のために
不老不死の薬を求めて
海を越えていき、
長い年月を費やして不老不死の薬
(それは「酒」ではなかろうか)
を探しあて、帰ってきた田道間守(たじまもり)が
垂仁天皇の死を知って泣き崩れた伝説もここにあります。

それも「淹流説」と関係があるとしていることのくだりや、
「田道間守」の読み方がこの地の南側の
「但馬」に似ているということも
小説には書かれています。

賣布神社の「賣」は神様の名前に
「比賣(ひめ)」として女性の祭神を表す場合に
よく使われています。
姫の語源ですね。

では「布」はどうなのか。

ここまで書いてくると
当然天女の羽衣の
「布」と関係があるように思われるのですが
それはdoironが勝手に思っていることで、
根拠もないし小説にも出てきません。
先に書いた島根の売布神社では
「めふ」のことを
「海藻や草木の豊かに生えること」としていますが
それはこの神社にはちょっと当てはまらないでしょう。

そしてdoironはさらに思うのです。
この神社に来るまでに
てくてく通ってきた道が
ちょっとした水路に沿っていたのも、
古来この水路を通ってこの地の人々が
大海へ漕ぎ出していったかもしれないと考えると、
「売布(めふ)」が転じて「舟(ふね)」になったという説にも
何らかの関係があるのでは
と考えてしまいます。

いやあ、まったく推測だらけなのですが
何もはっきりとわかっていないのだから
どう推測しようと勝手といえば勝手です。

いずれにしても普通に訪れたら、
ああここが清張の小説の
とある場面のモデルになった神社か、
で終わってしまいますが、
こうしていろいろ考えていくと
いっそう旅は面白くなるものです。

次回は宿の取材などについて書きます。