ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

カニカニツアー 取材編3

2014年02月27日 21時18分09秒 | ウォーキング

神社を後にして、そろそろ宿に帰らないと
カニカニの時間が迫ってきました。

せっかくだから温泉にも入りたいしね。

水路に沿った道を町の様子を眺めながら戻っていきます。
「のんびりぶらぶらマップ」のコースをすべて歩いて
宿に着いたのがカニカニの始まる20分前くらいでした。

慌てて風呂に行き、露天風呂ではしゃぎました。
もう少し時間があれば
ここでも風呂に入る前に
まず取材をと思っていたのですが、
ちょっとそれは無理でした。

で、仕方なく席についてから
料理を運んでくる女中さんに訊いてみました。

「清張がこの宿にいた頃に働いていた人はいませんか?」

そしたら「そんなんいつのことですか。
ここにはおらんし、そんな人が生きてるかどうかもわからんよ」だって。
50年くらい前に20歳なら今は70歳。
生きてはいると思うのですが、
ここで働いている人はいないそうです。

それがわかっただけでもひとつ収穫です。

ワイワイ、モグモグ、グビグビと宴会が進み、
帰りの時間が迫ってきましたので、
ちょっと席を外して
先ほどの女中さんに訊いてあった
清張の書斎を見に行くことにしました。

書斎は旧館の玄関の真上にあります。

カニカニをしたのは新館で、



女中さんによれば平成2年に建てられたそうです。

平成2年といえばJR宮津線が
第三セクター運営になった年で、
大阪から直接乗り入れされる
タンゴエクスプローラーという特急が、
華々しくデビューしたのを何となく覚えています。

この旅館もその特急が
京阪神からどんどんお客さんを運んでくると期待して、
新館を増築したんでしょうね。

旧館は昭和5年築だそうですが



大正館と名付けられていました。



その2館は渡り廊下で結ばれています。



クネクネと通路を行き、
ギシギシと階段を上ったところに
その書斎はありました。



清張が宿泊していた部屋は
膨大な資料に埋まり手狭だったために、
ここで執筆をしていたそうです。



窓から外を眺めると、
左に最初に行った「お薬師さん」の山が見えます。



赤い矢印が展望台の辺りだと思われます。

そして右の方には、
「賣布神社」のある山と谷が見えています。



小説の中では、あの山に死体捜索の灯りが
ちらちらと見えていたことになっています。

清張はこの書斎で2カ月の間小説を執筆してたのですが、
最初の頃は新聞記者も一緒に滞在していたそうです。

実は、後で女将に訊くと、
この書斎に案内するのは宿泊客だけで、
日帰りのお客さんには案内していないそうです。

そればかりか、当時の話をするのも
宿泊客にだけなんだそうですが、
帰りがけに、女将は先の新聞記者の話や
昔はこの宿が海軍のお偉いさんだけが泊まれる宿で、
一般の人は宿泊できなかったことなども教えてくれました。



エピソードなどいろいろあるようでしたが
日帰りカニカニ旅行の客としては、
そこまで聞き出すのがやっとこさでした。

旅館でそんな風に決めているとは知らないとはいえ、
宴会後この部屋に来て
大切な部屋の窓まで開けて、
こんな記念撮影をしたと知ったら



女将も卒倒されるかもしれません。
なにとぞお許しを。

それでも制限がある中で、
とりあえずここまで聞き出せたのですから、
まあまあ来た甲斐があったというものです。

この後、一行は天橋立にも行き、
そこでみた元伊勢大神宮の鳥居の形について



T君から質問をいただいて
それもいろいろと調べてみたのですが、
それはまた別のところを訪ねた時にでも
まとめて書いてみたいと思います。

束の間の旅行でしたが、
賑やかに楽しく行けたのと、
精一杯の取材もできて充実した一日でありました。
なんとか元は取れたかな

またこんな機会があれば
ぜひ参加したいと思いますので、
よろしくお願いします。

カニカニツアーシリーズ終わり。