家からの出棺の前には納棺式がある。
棺の底にまずお茶の葉を敷き詰める。
お茶の香りに包まれて旅立ちをしてもらうためなんだそうだ。
そして死出の旅立ちの衣裳を整えた後に納棺となる。
この時、棺の中には
故人に持って行ってほしいものを入れることができる。
ただし、火葬の際に燃えにくいようなものであるとか
溶けて炉をいためるものなどは入れることができない。
プラスチック類はダメと言われた。
ここで、あらかじめ考えてあったものを入れてあげた。
先ずは半紙に包んだお米を少し。
食べることが大好きだったしね。
それから親父は読書が好きで
持っている本には付箋がいっぱい貼られてあるので、
その付箋をひとつ。
いつも一緒に寝ていたグーの毛をひとつかみ等々、
生前手元にあったものを中心に
一緒に納棺した。
最後に業者さんが持ってきた
わらじと杖と三途の川の渡し賃である
六文銭を紙に印刷したものを入れた。
あの世に消費税はない模様。
そして棺の蓋をし、家から出棺となる。
ここで思い出したのが、
先日古い写真を整理している時、
近所の長老から聞いた話によると、
doironの祖父の出棺時に衝撃的な事件があったそうだ。
当時は寝台車などはよほどでないと使わずに、
みんなで棺を大八車に乗せて
火葬場へ運んでいったそうだ。
祖父もそうだった。
衝撃事件が起こったのは出棺して
家から出てすぐの時だった。
家の前には川が流れていたのだが、
大八車の操作を誤って、
その川に棺ごとドボンとはまってしまったそうだ。
その話を聞いた長老も、
当時は子どもであって、
そのことを目撃して以来トラウマとなり、
川で魚取りなどの水遊びが
できなくなってしまったと言ってた。
まさしく衝撃の事件であった。
そのことを思い出したので、
親子二代でそんなことがあってはならない。
もしあれば自分の時も棺が壊れるなどの
呪われた事件に巻き込まれるのではと思うと、
出棺時は棺を支えながら
非常に緊張してしまったわい。
なんとか無事に寝台車に棺が収まった時にはホッとしたな。
家から車で5分くらいのところにある
葬祭ホールに着くと、もう祭壇が出来上がっていた。
会葬の受付や香典の集計、
供花の受付など葬儀の細かい段取りは
全て町会がやってくれるのでお任せしてある。
この辺のところはとても助かるもので、
doiron自身が普段町会側でやっていたお世話が、
喪主をどれだけ助けているか
ということを実感したな。
喪主がやらねばならないのは、
告別式での焼香順位の作成だ。
来てくれる親戚の人をあらかじめ調整しておき、
血の濃い順番に並べていかねばならない。
普段そんなに濃い親戚付き合いがないので、
よくわからないところは
知ってそうな親戚に尋ねながらの作成となる。
街道の歴史には興味を示すのに
自分自身に宿る歴史には
とんと疎いdoironなのでした。
血の濃い順番とはいえ、微妙なところもある。
そのあたりにも気を遣うし、
そもそもどこまでの親戚を詠みあげるかというところも難問だった。
そうしてなんとか出来上がったメモを、
町会の人が焼香順位表に記入してくれることになる。
あらかじめ清書してしまうと、
急きょ参列となった時に書きなおせないので、
ギリギリまで待っておいてもらわないといけない
ということもある。
それが整うともうあとは町会と業者任せでことは進んでいく。
お通夜を終え、参列者、親戚共に引き上げた後は、
一人で朝まで親父と過ごすことにした。
ホールの控室には宿泊の準備も整っている。
親父はお酒が好きだったけれど、
晩年は糖尿病で医者にとめられていたので
一緒に飲みに行く機会はほとんどなかった。
なので、その日ばかりは最後の語らいだ。
棺の前でビールを飲み交わした。
この時点で丸三日間、
ほとんど眠っていなかったので、
思わず萩のときのことを思い出したな。
最後の宴を終え、控室で数時間泥のように眠った。
そしていよいよ告別式の日を迎えたのである。
続く。