藤ノ木古墳の副葬品は、
国宝級のものも含め
1万点を軽く超えるものでした。
学芸員の方が熱心に説明してくれた中から、
面白いと思ったものを数点紹介しましょう。
まず、これは刀です。
石棺の中に入れられてあったものですが、
持ち手のツカの部分には
2個の鈴が内蔵されていたそうです。
振り回せばチリチリ音が鳴るものだったそうです。
後の世の武士の刀とはかなり異なります。
そして装飾品のひとつに
変わった形のものがありましたので、
尋ねてみますと、
なんと「イカ」を形どったものなんだそうです。
イカ好きのdoironとしては興味津々です。
また、こういった古墳の土器の中には
たいてい1個は入っているという
奇妙な形の土器があります。
アラジンの魔法のランプの口を広げたような形をした容器の
下の部分の横に穴が開いているものです。
どうも埋葬の際に酒をいれて、
みんなで回し飲みしたのではといわれています。
写真の前列中央の土器です。
つい先日父親を見送ったばかりなので、
これらの副葬品を見ていると、
親父の棺の中にもっといろんなものを
入れてあげられたらよかったのになあ
と考えてしまいました。
他にも装飾馬具の飾りの中に
直径2~3ミリの小さなガラスが
たくさん埋め込まれている話や、
出土した銅鏡の話など
本当に丁寧な説明をしていただいて、
厚くお礼を申し述べてから
文化財センターを後にしました。
それにしても入館料無料はありがたかったです。
これを「館無料」というのでしょう。
再び藤ノ木古墳のところに戻り、
周りを一周してみました。
里山を背景に見晴らしのいいところにそれはありました。
発掘当時はこんな姿をしていたそうです。
ところで、この古墳の被葬者は誰だったのでしょう。
棺には2体の男性とみられる遺体が
埋葬されていたそうです。
まだ、それが誰だと確実に決まったわけではないのですが、
「穴穂部皇子」ではないかと
今は言われてます。
あの聖徳太子の叔父です。
皇位継承争いの中で
若くして殺された皇子です。
聖徳太子の父である用明天皇の後、
誰が天皇になるかともめた後、
用明天皇の弟である
「崇峻天皇」(一緒に埋葬されていたもう1体だと言われてます)
が継承したのですが、
なぜ用明天皇の皇子である聖徳太子が
継承しなかったのか、
その辺もきっといろいろあったのでしょう。
とはいえ、こんな話はよくわかりませんよねえ。
当時の系図はとてもややこしく、
それを見ながらあーだこーだと言ってても、
系図を見ていなければ何のことやら
さっぱりわからんと思います。
興味のある方はこの系図と
あわせてお読みください。
ま、この辺は歩きには関係してこないので
スルーしておくのが無難だろうと思います。
それにしても権力争いは
いつも悲劇を生みますねえ。
藤ノ木古墳を出て、
宮大工などの住宅があった
西里の町に入っていきます。
土塀や築地塀の建ち並ぶ
路地の突き当たりには法隆寺の西大門が見えてきます。
このあたりには、道端に地蔵さんがたくさん並んでいます。
このあともいっぱい出会ったのですが、
どれもきれいに花が手向けられていたのには感心しました。
さすがに、世界遺産の町だけあって、
そこに住む人々の篤い思いを感じます。
法隆寺に来て、
そこに入る前に寄り道が長くなりました。
西大門からいよいよ法隆寺の中に入っていきます。
続く。