休憩がすんだら、歩行を再開。
山の辺の道を北上していきます。
海柘榴市(つばいち)は
街道交通、河川交通が集まって市が立って
大いににぎわったところだそうです。
日本書紀や万葉集にも
頻繁に表れる「市」だそうだ。
柘榴は「ざくろ」のことです。
そしてそれに「海」をつけた
「海柘榴」はご存じ「つばき」のことをいう。
多分どちらもよく似た実をつけるからなんでしょう。
これが、先ほどの大和川沿いで
撮影した「ザクロ」。
そしてこれがネットの中で実っていたつばきの実。
この二つがよく似ているところから、
こんな漢字の構成になっているのでしょう。
ここ海柘榴市には
春と秋に若い男女が集まって歌を交わした
「歌垣」というイベントも催されたそうで、
さしづめ今でいう「街角バル」だったのかもしれません。
そして、歌が激しく交わされることから、
古代のつま恋あるいは
泉大津フェニックスのようなところであったともいえる。
その海柘榴市の跡と言われる
「海柘榴市観音」に入っていく道には
案内看板と道標と万葉歌碑があった。
「むらさきは 灰さすものぞ つば市の
八十のちまたに 逢へる児や誰」
詠み人知らずだが、歌碑の文字は
今東光書と書かれてあった。
さらに手作りの看板に導かれていくと・・・
見えてきました。
ここが海柘榴市観音。
観音堂や
数々の地蔵に囲まれて、
どことなくパワースポットめいた雰囲気を醸していた。
元の道に戻り先を行くと、
古い家並みの中に
こんな鬼瓦をのせた家がある。
「おたふく」の鬼瓦だそうだ。
鬼とおたふく?真逆のような気が
するけどいかがなもんか。
「福瓦」といってもいいかもね。
このあたり屋根の上はどこも結構賑やかで、
大黒さんや
布袋さん
数多く見かけたな。
それにしても、
こうして瓦を見上げたり、
電柱を見上げてみたり、
地面を見下ろしてマンふたを調べたりと、
近ごろは街道歩きも一筋縄ではいきませんな。
そうして、キョロキョロしているうちに、
ついに金屋の石仏に到着した。
ついに・・・というのは、
前回天理から歩いた時はここが終点だったので、
doironの足跡として山の辺の道が
天理から桜井まで一本の線でつながったということになる。
山の辺の道はいろんな古代の面影に出会った
いい道だっと言えるでしょう。
天理以北はまたいずれ。
森の中を抜け、
大神神社に出ても、
まだ喪の明けていないdoironは
鳥居をくぐりません。
脇道から参道入り口にでて、
門前で食事をすることにした。
食べたのはこれ。
もちろん三輪そうめん。
ここのお店はこれまで大神神社に
何回か来たときにはたいてい立ち寄っている。
多分、ヒネのそうめんだろう、
コシがあってつるつるとした食感が
なかなかのもんだ。
ま、三輪の本場でええかげんなそうめんは出せないわな。
おなかもふくれたところで、
車のある桜井へ戻るために
電車の駅に向かった。
途中の木立に囲まれたこの参道には、
時期が来れば出店がいっぱい並ぶ。
海柘榴市ならぬ「三輪市」としていつか
歴史に残っていくんだろうな。
駅前商店街の古いお店を眺めながら、
ほどなくJR三輪駅にとうちゃこ。
桜井駅に比べてなんとものどかな無人駅である。
駅前で、こんなソーメンをお土産に買った。
子供の頃、そうめんを食べるときに、
色のついたのが入っていると
とても嬉しかったりしたもんだ。
駅のホームからは、三輪さんが見えている。
仏像もそうだけど、祈りの対象となるものには、
何かしらの力が宿っているように見えて仕方がない。
この三輪山も、そうしてみると
神様が寝そべっているように見えないでもない。
突然思い立って出かけてきた
山の辺の道には確実に秋が訪れていました。
こうして芙蓉の花も咲く中を歩き
今年の秋の幕開けにふさわしい、
山の辺の秋を満喫して、
大満足で家路についたのでありました。
このシリーズ終わり。