清盛塚の横にある琵琶塚も
市電の工事現場にあったものを
ここに移転させてきたようです。
琵琶の演奏が上手だった
平経正の墓だといわれています。
コースはここから新川運河に
沿って進んでいきます。
以前ここに来た時は、
この公園の片隅でお弁当を食べました。
あの時は鳩だけだったのに、
今日はカモメもたくさん
飛んでますねえ。
ここに城跡の碑がありますよ。
歩き情報その4.
今回の歩きで一番最初に
訪ねた西国街道の惣門跡というのが、
この城の周りの土塁のところに
作られていた門だったんですねえ。
で、この城は池田恒興が
築いたものの、
彼は2年で移封され、
その後は代官等が住む
陣屋となっていったそうです。
そしてさらにその後、
明治時代にはここが兵庫県庁となり、
伊藤博文が初代知事に
赴任していたという
歴史あるところなんですねえ。
広い運河の突き当り部分には、
そうそう「清盛くん」が
置かれてありましたねえ。
さあ写真をとっておこうと
近づいていくと、
さっきの子供が
「おっちゃん撮って」
といわんばかりにポーズを
作っていたので、
「よっしゃー」といいつつ、
その子の両親に会釈しながら
撮影してあげました。
その清盛くんから
川沿いを歩いていきますと、
道の端に大きな磐が置かれています。
これが大和田泊の石椋
だったそうです。
今でこそ川沿いを歩いていきますと、
なんて書いてますけど、
その道は昔は海岸線でした。
川沿いではなく、
海を埋め立てたところとの
間にある海の運河沿い
だったんですね。
海の水は結構きれいでしたね。
以前この辺りを歩いたときは、
そこからまだずっと
海辺沿いを歩いていったのですが、
今回は手前の広い
道路沿いの歩道を進んでいきます。
おっ、こんなフグひれ?のような
ものが大量に干されています。
忘年会で飲んだお酒に
浸っていたあの例の奴ですねえ。
海沿いでこんな商売も
やってるところがあるんですねえ。
しばらく歩いて到着するのが
七宮神社。
なぜ七宮なのかというと
二つのいわれがあります。
ひとつが、神功皇后が征伐帰国の際に
7番目に寄った神社
という説と
7名の神様が祀られている
という説があります。
大きな交差点のところにある
神社ですねえ。
どんないわれが正解なのか
わかりませんが、
こんな神社はどうして
やっていけてるんでしょうねえ。
お祓いをする人も多くないし、
お守りなんかの収入も
限られているでしょう。
どうしてやっていけてるのか、
はたから見てても
大したことないはずなんですがねえ。
今度、神社の氏子総代になるんですが、
その辺のところもしっかり
勉強しておきましょうかねえ。
ここからまた海の方へと
向かって行きますと、
途中の歩道にこんな絵が
描かれています。
昔の帆船ですねえ。
これはそう、
あの高田屋嘉兵衛の痕跡です。
この辺りに本店があったそうです。
歩き情報その5.
彼の活躍は、司馬遼太郎の
「菜の花の沖」で
しっかりと読みましたよ。
淡路で生まれ、村抜けして神戸へ。
そしてそこで活躍して
船持ちになり北海道で
ロシアの船にとらえられて
連れていかれ、
それでもロシアと日本の
良好な関係を築いてきたという彼。
全6巻の小説を、
すべてジムで自転車こぎながら
読みましたねえ。
物語の中で、幕府は頑丈な
船を作らせないという
方針だったのだが、
その船の姿がこうして
歩道に埋め込まれてあるのでしょう。
そしてdoironは今年中に
淡路の五色台にある
高田屋嘉兵衛の記念館に
行こうと思っています。
そんな彼の船の姿を
見に行くとともに、
彼に関するお宝を色々と見ながら、
物語を復習してこようと思っています。
そうそう、そんな記念館が
これまでは2館あったのが、
見学が紛らわしいと、
昨年の三月に1館になり
運営されているようです。
その辺も注意しながら
ちゃんと訪ねて行かないと
いけませんね。
そして、そんな記念館の
近くには彼の墓もあるようです。
ここにもちゃんとお参りできたらいいね。
続く