ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

じいちゃんとバラン

2018年01月19日 20時46分32秒 | 生活

doironのじいちゃんは、
昔は百姓仕事のほか
「バラン」の販売をやっていた。

バランは漢字にすると「葉蘭」とかき、
ハランと読むそうですが、
古名としては「馬蘭」とかいて
「バラン」とも呼んでいたそうで、
我が家では昔からバランと
古名で呼んでいました。

スズランの仲間だそうです。

じいちゃんは屋根の低いところで育てて、
中腰で水をやりつつ
手入れをしていたそうだ。
バランというのはこういうやつね。



今も村のあちこちに生えている。
写真は、地元神社の裏の森に
生えているやつです。
何に使うかというと、
料理の仕切り板みたいに
あいだに敷いたりするやつね。

例えば芋の煮物ときんぴらごぼうの
あいだに敷いて、料理間の
味のうつりを阻止するものね。

しかもスズランの仲間ということで
抗菌作用なんかもあったようです。

人に話をしたら
「え~、あれってプラスチックじゃないの」
という人も多いのですが、
本来はこういう野草だったんですね。

子どもの頃の運動会や
遠足のお弁当なんかには
必ず含まれていたなあ。

僕はそんなバランを育てている
じいちゃんとあったことはない。

もうdoironが生まれるより
ずっと前に畑仕事中の事故が
原因で亡くなっていたそうだ。

そうそうそんなじいちゃんの
葬式を覚えている人が、
今も村に数人いる。

昔は棺桶をリヤカーで運んだそうだが、
そのリヤカーから棺桶が転がり落ちて、
亡くなったじいちゃんが
川の中に飛び込んだようになったそうだ。

ウヒャーである。

その景色は今も忘れないと、
その人達は語っている。

そんな昔の人にいろいろ聞いてみると、
うちのじいちゃんが作っていた
「バラン」は、実は料理屋さんではなく
主に生け花屋さんに売れたそうだ。

根元には花も咲くのだが、



うちのは、葉っぱに白いスが入ったりした
変形種で「杜夜」とか「茜雪」
とか呼ばれた人気種だったそうだ。

それをリヤカーに積んで
大阪まで押して運んで行ったそうだ。
ああ、doiron歩きの起源はそれなのか。

もちろん、我が家の庭にも
バランは生えている。



家を建て替えても、
知らず知らず生えてきたものだ。

地面の中に根っこか何か
残っていたのかもしれない。

食卓でそんな話をしてたら、
ミセスはもしかしたら両親が
こっそり植えたのかもしれないよ
というけれど、その辺はもう
確認しようがないなあ。

でも昔の家には山ほど生えていたので、
庭の地面からいきなり葉っぱが
突き出すように咲いているのを見ると
なぜか懐かしくてしかたがない。

じいちゃんの遺伝子がdoironの
細胞の中で騒いでいるのかもしれないね。

昨年末、さっきの写真のバランを見ていたら、
懐かしくなって、今回の喪中明けで
3年ぶりのおせちには、
これを飾ってみようと一枚切ってきたのだ。



きれいに洗っておせちづくりの
テーブルにのせてみた。

まずはこれ。



バランに笑顔を作って入れたら、
にぎやかになったな。
料理人ミセスにはちょっと申し訳ないけど、
ま、そんなときもあってもいいんじゃない
という感じだった。

そしてもう一枚はこんな風に加工したよ。



わかりますか?

わかりますよねえ。
バランは「富士」で、
そこに「鷹」と「なすび」を刻みました。

こんないい夢見れたらいいんやけどね。

doiron家は正月に
息子夫婦も帰省しなかったので、
正月もミセスと二人だけになり、
両親がいたころや
息子が騒いでいたころに比べて
寂しくなりました。

でも、こんな飾りを飾ったりしながら、



ご先祖様含めて
ほっこりできたいいお正月でしたね。