俺も相当ボケてきた。ボケの自覚は、かなり前からある。聞いてもすぐに忘れ、思い出せない。いわゆる短期記憶がまるでできなくなってしまったのだ。例えば、人に電話番号を聞いたとする、ちょっと時間を置くと、聞いた番号が全く頭に入っていない。「えっ、今なんて言ったっけ?」と焦ることが多くなって、ボケを自覚するようになった。それから、聞いたことは頭の中で復唱し、音として記憶するようになった。音の感覚はまだ記憶に残りやすいからだ。それに加えて、メモするようにもしている。しかし、早口で次から次へと話されると、問題はメモする前に、どんどん記憶から飛んで行ってしまう。これは非常に困ったことだ。
そういうことが増えるに従って、聞き逃してしまったことや忘れてしまったことがあるのではないかという不安が大きくなってきた。まあ、一大事になるようなことは余りないのだが、それでも、気になる。だから、記憶を辿り、思い出す、確認するという作業が必要になり、どうしても、速い動きができなくなってくる。それは当然のことなのだ。
妻の介護をしていても、ああして欲しい、こうして欲しいと言われたことがいくつもある。例えば、「トイレの蓋は開けておいて!」ということだ。しかし、小用を足して、便座を戻すつもりでパッと閉めると、一緒に蓋も同時に閉めてしまうことがある。そうすると、妻はトイレに行って、「えーーー、また蓋閉まってる!空けて置いてって言ったじゃない・・・・」と言われてしまう。そこで、蓋をテープで固定して、これで大丈夫と考えたが、今度は便座を戻し忘れることがある。そのたびに、妻の泣き言を聞かされ、つくづく自分が嫌になってくる。
まあ、正直言うと、忘れていることばかりじゃない。言われても、何も妻の言うとおりにすることはないのだという気持ちが優先しているところもある。単なる好みの問題だろう、それに合わせる必要なんてあるのか、という反発心もある。まあ、大人気ないといえば大人気ない。どうでも良いことだが、そんな変なところが俺にはあるのだ。
妻が先を心配して言っているところもある。「私がいなくなったら、どうなっちゃうのか?」ということだろう。でもでも、俺はこうして十数年一人でやってきたのだから、ボケはボケなりに何とかやってきたのだから、心配するなと思う。ただ、それを口にしたところで、妻が納得するはずもないので、黙っている。
そんなこんなで、妻との間に衝突は絶えない。勝手にしろと言いたいときもあるが、勝手にできないから、妻は色々と言って来るわけで、勝手にしろといって介護を放棄してしまうことはできない。ボケが介護するのは色々と大変なことが多いが、でも、逆に、ボケずに介護される方はもっと大変なことが多いのかも知れない。